ポリーニ逝去に伴うさまざまなネット投稿の中で、こんな映像を見かけた。
何とも珍品というべきか。ポリーニ=ベーム=ウィーン・フィルの「ミッシェル」。
モーツァルト風のアレンジだ。そこが辛うじてベーム=ウィーン・フィルとつながらないでもないが、こういう音楽を振っているベームの姿には、やはり違和感の方が大きい。
何かのアンコールなんだろうか。途中、手拍子が起きるのがまた珍妙。
23日(土)夜、旧Twitterを観ていて、マウリツィオ・ポリーニが亡くなったことを知った。
急ぎネットニュースを検索してみたが、それらしいニュースは見つからず、もしかしたらフェイクニュースか? とも思ったが、朝になって、間違いないことがわかった。
82歳。早すぎるとは言えない年齢だが、やはり残念だ。
私がポリーニの存在を知ったのは、1973年、高校3年の時。
例のショパンのエチュードのレコードが、「レコード芸術」の推薦盤になったのを見たのが最初だと思う。月評子、小石忠男氏の評文の見出しは、「玲瓏たるショパン」だった。
デビュー盤のストラヴィンスキーとプロコフィエフの1枚は記憶にない。
初めて買ったポリーニのレコードは、ショパンの前奏曲集。1976年、大学3年の時だった。以後、在学中には、シェーンベルクのピアノ作品集、シューベルトの「さすらい人幻想曲」、D845のソナタを買って聴いた(エチュードに関しては、前後して出ていた競合盤、アシュケナージの方を買った)。
ショパンにせよ、シューベルトにせよ、「その曲を聴くのは、ポリーニのレコードが初めて」だった。つまり、曲ともアーティストともこれが出会いだったわけだ。
その後、今日に至るまで、リリースされるポリーニの録音は、そのほとんどを買い求めたきたが、結局のところ、一番強く印象に残っているのは、ショパンとシューベルトの2枚である。曲のよさも、ポリーニというピアニストのイメージもこの2枚で私の中にできあがった。
(ポリーニの代名詞とも言えるエチュードのレコードを買ったのはずっと後のことだ。ポリーニの演奏でのハ長調の1曲目のあざやかさには確かに黙らせられるものがあったが、結局、曲への好みの違いだろう、前奏曲集の方を何度も聴いてきた)
ポリーニのショパンについてつけ加えれば、主に1970年代から90年代、ドイツ・グラモフォンに次々録音しながら、結局、曲種としては、即興曲とマズルカ、ワルツの全曲を残さなかった。本人がこれらの曲種を好まなかったのだろうか。一部の曲は近年のリサイタル盤で聴けるのでよしとすべきかもしれない。
私のレコード蒐集歴において、ピアニストについては、ポリーニとアルゲリッチが特別な存在だ。ただ、アルゲリッチは、80年代からソロ曲をまったく録音しなくなったので、ピアノソロのレパートリーにおいては、ポリーニが唯一無二の存在だった。
学生時代に前記2枚のレコードを聴いて私の中にできあがったポリーニ像は、技術的な完璧さ、そして硬質にして深さやうるおいも持ったピアノの音だった。
また、ポリーニならとにかく間違いない、というイメージの確立には、柴田南雄氏、吉田秀和氏の批評を読んだ影響が大きい(尚、両氏の影響は、小澤(征爾)さんについても大きい)。
そんなポリーニだが、しょっちゅう日本に来てくれていたのに、実演に接する機会を持たぬままだった。あまりに頻繁な来日だったので、いつでも行ける、いつか行こうと思っていながら、実現させずに過ぎてしまった。
ポリーニも高齢になってきたので、いい加減聴かねば、と思って初めて行ったのが、2012年のことだった。
マンゾーニ、シャリーノの作品とベートーヴェンのソナタを組み合わせた演奏会2回を、妻と聴きに行った。1回目の演奏会では、生で初めて聴くポリーニのピアノの音が、レコードで親しんでいたものと異なるのにとまどった。2回目の演奏会ではそういうことがなく、満足した。
2016年の来日公演は、妻とミューザ川崎に聴きに行った。シューマンの幻想曲がめあてだったのだが、曲目変更でこれがなくなってしまい、落胆した。
2018年にも行っている。
妻と行った演奏会は、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」を楽しみにチケットを買ったものの、これが事前告知でショパンの3番のソナタに変更になり、それはそれで楽しみと会場に着いたら、再度の曲目変更で、なくなってしまっていた。
ショパンの3番ソナタは、この演奏会に先立って行われた演奏会を妻が1人で聴いて、「鳥肌もんだった」と言っていただけに、聴けなかったのが残念だった。
結局これが最後の来日公演になったと思う。
実演に関しては、このように晩年3回の来日公演に行ったが、やはり今となると、1970年代あるいは80年代に聴いておくべきだったと思う。
しかし、残された夥しいディスクで、今後もポリーニを聴いていこうと思う。
先月は小澤さんが亡くなった。
1985年に芸術現代社から出版された「小澤征爾の世界」という本がある。
日頃手に取ってめくることが多い本だが、この中に小澤さんのインタビュー記事があり、「協演されたソリストで“これはすごい”と思われた人は」という質問がある。
小澤さんの答えには、ルービンシュタイン、ルドルフ・ゼルキン、ポリーニ、アルゲリッチ、ピーター・ゼルキン、さらにロストロポーヴィチ、パールマン、スターンが挙げられている。
刊行から40年近く経ち、小澤さん当人は亡く、ここに回答されたソリストもほとんどが他界している。何度も何度も読んできたインタビュー記事だが、小澤さん、ポリーニが相次いで亡くなった今、改めて読み直して、1時代が過ぎた、との思いを強くする。
(ポリーニと同世代のアルゲリッチが健在で、今年の5月にも別府の音楽祭に来日するのは何よりだ)
自分のクラシック音楽鑑賞歴において、同じ時代をずっと一緒に歩かせてもらったポリーニに感謝を捧げたい。
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太田胃散
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マウリツィオ・ポリーニ ピアノ・リサイタル
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日 時 : 2024年3月24日(日) 13:30~16:30
場 所 : 美浜中学校武道場
指 導 : 本番指揮者K先生
内 容 : 合奏
曲 目 : コンチェルト(1~3楽章)、悲愴(3・4楽章)
弦人数 : 9・7・6・7・4
24日(日)の浦安シティオーケストラの練習は、本番指揮者K先生による合奏。K先生が来られるのは2月25日(日)以来1ヶ月ぶり。
最初は、チャイコフスキーのヴァイオリン・コンチェルトから。
前週の練習と同様、ヴァイオリンのTさんのご子息が代奏ソリストを務めて下さった。
1楽章から楽章順に3楽章まで、通しはなしで止めながらの練習だった。
前回、トレーナーの(K)先生から、指揮を見たりソロを聴いたりするだけでなく、オケ内で横の連携も意識するようにとのお話があった。
今回はそれを心がけながら弾いた。
休憩の後、チャイコフスキーの「悲愴」。今回は3楽章と4楽章を練習した。
いつも苦心する1楽章がなかったので、ちょっと気が楽。
両楽章とも、通してから冒頭に戻って返し練習の手順。
いつもの通り、K先生の練習は念入りで丁寧だった。だいぶレベルアップできたように思う。
1ヶ月ぶりの本番指揮者という緊張感はあったが、充実した合奏だった。
※練習往復に聴いた音楽
バッハ アリア
バーバー アダージョ
東京クヮルテット
ポリーニ(2019年録音)
ヴェーベルン ピアノのための変奏曲
三月場所は、13日目を終わって、
1敗 尊富士
3敗 豊昇龍、大の里
という展開。
3敗の両力士は、既に尊富士との対戦を終えており、尊富士がそれ以外の力士に連敗するケース以外に、優勝決定戦に持ち込めるチャンスはない。
いよいよ、110年ぶりの新入幕力士の優勝が現実味を帯びてきた。
新入幕力士の優勝と言えば、平成26年九月場所の逸ノ城が、達成すれば100年ぶりと騒がれたのを思い出す。13勝したものの、14勝で優勝した横綱白鵬に敗れた。
昨年七月場所では、伯桜鵬が豊昇龍、北勝富士と優勝争いを演じた。
(続く九月場所の熱海富士も優勝決定戦進出する活躍で一躍注目を集めたが、再入幕だった)
その記憶も新しい中、先場所の大の里も新入幕優勝の声があったが、琴ノ若、豊昇龍、そして琴ノ若との決定戦を制して優勝した照ノ富士に3連敗して、11勝にとどまった。
2場所続いての新入幕力士の優勝争いだが、上位力士が皆早々に星を落とし、横綱照ノ富士が休場、大関霧島も極度の不振。その間を縫うようにして、全勝を保つ形で、単独トップに立って走ってきた。
逸ノ城、大の里が、立派な体格だったこともあり、手がつけられない勢いを感じさせたのに対して、尊富士は格別の巨体でもなく、両力士のような目立った印象はないままに勝ち続けてきた印象がある。
しかし、よほど力が強いようなのと、非常に堅実な相撲を取っている。特にスピードがすごい。
審判部としては、上位が星を落としていることもあり、全勝で走る尊富士を9日目に早々と三役の阿炎に当てた。ところが、その阿炎を一方的に破ると、ここから先場所の主役、大の里、新大関琴ノ若と、立て続けに下して、全勝を保ち続けた。
これらの相撲を観ると、前記の力の強さとスピード、そして新入幕とは思えぬ落ち着きで、初めて対戦する上位力士と五分に取るどころか、その上を行く相撲ぶりに驚く。おそらく、阿炎も大の里も琴ノ若も、決してまずい相撲を取ったわけではなく、落ち着いて対応しながら、まだまだと思う内にやられてしまった、そんな感じではないだろうか。今日の若元春も同様だった。
大きな琴ノ若をいっぺんにもっていった力の強さ、若元春に左四つに持ち込まれながら体勢を整えさせずに勝負を決めたスピード。
派手さはないが、非凡なものを感じさせる。
優勝すれば、三賞すべてを受賞してもおかしくない内容だ。
(時間いっぱいの塩で、呼出から渡されたタオルを使った後、それを丁寧にたたんで返しているのに気がついた。長年相撲を観てきてこういう動作は初めて見る。落ち着いている証だろうか)
14日目の対戦相手は、朝乃山に決まったそうだ。番付で言えば貴景勝だろうが、今日の琴ノ若戦で右腕を傷めた様子もあり、仮に休場で尊富士の不戦勝となっては盛り上がりもポシャる。同じ大関の霧島ももう10敗では止める期待を持てない。
朝乃山はそうした中の人選としては妥当なところだろうが、千秋楽はどうするのか。豪ノ山も4敗となった現時点では、対戦相手に推しにくい。やはり尊富士優勝が濃厚だろう。
それにしても大の里は悔しいだろう。先場所、自分も狙って跳ね返された新入幕優勝を次の場所に達成される、それも直接の対戦で勝てなかったのだから。
(それにしても、あの大の里=尊富士戦、物言いがつかなかったのは何故か。リプレイを繰り返し観ても納得がいかない)
今場所休場した、部屋の兄弟子、照ノ富士が、序二段への陥落から復活して2回目の幕内優勝を果たした令和2年七月場所の番付が、東17枚目だった。
今場所の尊富士は、それと同じ東17枚目だ。
先場所、十両優勝したこともあって、幕内優勝した照ノ富士のパレードの助手席に乗り、この景色をいずれ自分のものとして見てみたいと語ったと伝えられる尊富士が、早くも翌場所それを現実のものにするのだろうか。
(十両優勝の翌場所、幕内優勝した力士は過去にいただろうか)
尚、新入幕場所の初日からの連勝記録は11。これまでの記録保持者大鵬に尊富士が64年ぶりに並んだわけだが、大鵬の場合、12日目、小結柏戸に敗れた翌日は勝ったものの、最後の2日は連敗して12勝3敗で場所を終えている。
○○○○○○○□○○○●○●●
尊富士も、13日目現在、大鵬と同じ星取での12勝1敗だ。さて、14日目、千秋楽の勝敗はどうなるだろうか。
21日(木)は、ちばマスターズオーケストラの弦分奏。
練習会場は、前日、千葉県少年少女オーケストラの公開リハーサルで行ったばかりの市川市文化会館。
日 時 : 2024年3月21日(木) 13:00~16:45
場 所 : 市川市文化会館第1練習室
指 導 : トレーナーM先生
内 容 : 弦分奏
曲 目 : ラフマニノフ(1~3楽章)、ワーグナー
弦人数 : 5・6・6・0・0
このオケの弦分奏に出席するのは2回目。前回、2月の時は欠席してしまった。
チェロ、コントラバスの参加者がなく、ヴァイオリンとヴィオラだけでの練習となった。
ヴィオラもSeさんが欠席で6人だった。
ラフマニノフのピアノ・コンチェルト第2番を中心に練習した。
1楽章からスタート。再現部まで行ったところで一旦休憩。
その後、練習番号11から再開して楽章終わりまで。
続けて2楽章を練習して、再度休憩。
その後3楽章を練習した。
M先生のお話では、このコンチェルトは、ヴィオラとチェロの役割が重要とのことだった。個人的には浦安シティオーケストラで一度本番をやった経験があるので、がんばりたい。
残り時間で、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」。今回は、前奏曲は飛ばして「愛の死」、さらにその前半を練習した。
どちらの曲も、M先生の練習は、その都度必要なパートを取り出して弾かせる細かいものだった。
ここは家でさらって下さい、と言われた箇所がたくさんあった。
次回は、28日(木)の合奏である。
※練習往復に聴いた音楽
ワーグナー=リスト 「トリスタンとイゾルデ」愛の死
ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
20日(水)、市川市文化会館で行われた、千葉県少年少女オーケストラの公開リハーサルに出かけた。
31日(日)に東京芸術劇場で開催される定期演奏会に向けてのリハーサルである。
少年少女オーケストラの公開リハーサルには、昨年も行っている。この驚くべき水準のオーケストラはどんな練習をしているのか、と思ったからだった。
今回、重ねて出かけたのは、指揮が井上道義さんだからだ。今年いっぱいで引退される井上さんの指揮に接する機会は残り少ない。先日も新日本フィルのマーラーの3番を聴きに行った。その井上さんにとって縁の深い少年少女オーケストラのリハーサルは是非見ておきたい、と思ったのだった。
久しぶりの市川市文化会館へ。
街灯に、「完売御礼」の表示がついたコンサート案内。鈴木雅之さん、さだ(まさし)さん。
入場時に名前と連絡先を紙に記入。
注意書きの紙と、観覧エリアを示した座席表をもらった。
12時半過ぎ、観覧エリアの内、13列20番の席に座った。
ステージではオケメンバーが既に座ってさらっている。男女とも本番衣装らしき白黒。
ヴィオラは12人。
リハーサルは13時開始だが、下手側から、早々と井上さんが出てきた。客席に下りて、私の3列前、観覧エリアよりも前の10列20番に座られた。
ステージ上には音楽監督の佐治薫子先生の姿も見えた。
定刻より少し早く、リハーサルがスタートした。
「天体の音楽」を通し演奏した後、すぐにメンバー入れ替えが行われ、バッハの「シャコンヌ」。齋藤秀雄氏の編曲だから、井上さんにとっても思いの深い曲だろう。これも通した後、最後の和音の内、fisの音は演奏せず、aとeだけにするよう指示があった。fis抜きで試しに演奏したところで、井上さんが客席を向いて「違い、わかりますか」。
この後も、何度か客席に話しかける場面があった。
休憩の後、「運命」。これも全曲通した。終楽章はリピートなし。
毎回感嘆していることだが、弦の音がとにかくきれいだ。
さらにアンコール曲の練習。ここでは、舞台袖から子供たちがたくさん出てきて立ったまま暗譜で演奏に加わる。コロナ前は定番だった方式だ。
ここで再度休憩となった。
ここまでで、ヴァイオリンの音がずいぶん強く聞こえていたので、せっかくだからヴィオラ寄りの上手側に移ることにした。
16列の32番が空いていたので座ると、たまたま同じ列に元浦安シティオーケストラのヴァイオリンの団員だったYさんがおられ、声をかけて下さった。お子さんがチェロで参加しているのだそうだ。このオケで活動されているとは大したものだ。いずれ浦安シティオーケストラに入団してくれるといいが。
休憩後は返し練習。
コンミスが立ち上がると、音出しをしていたオケがすぐさま静まるのがすごい。浦安シティオーケストラではそれができない。
アンコール曲。
井上さんが、バスドラムが直立していて叩きにくそうなので、傾けられないか、と提案。工夫してやってみて、との指示にあれこれ試みているところへ、舞台袖から佐治先生が出てきて、山台上段の打楽器セクションまで上がって行かれた。音楽監督、すごい。やがてとりあえず何とかなった。
この曲では、曲締めのところでチェロも含めて全員が立奏となる。その練習もあった。
「天体の音楽」。
この曲に限らないが、井上さんの指示への対応がとても速い。
「○小節目から」「ヴァイオリンだけ」と言って、本当にすぐ振り始めるのだが、みんなついて行く。すごい。
井上さんが指揮をやめると、全員がぱっとやめるし。これもうちのオケではなかなかできないことだ。
管と弦のトレーナーの先生が何人かおられ、客席で聴いている。しばしば井上さんが振り向いて、聞こえ方やバランスを確認していた。
客席に向かって「指揮台の上は音が悪いんですよ。ここにいると自己満足になるんです」と話されていた。
「シャコンヌ」。
「楽譜にpと書いてあっても、俺がこうやったら(大きな動作)、どんどん吹け。楽譜は音楽じゃない」、と言われていたのが印象的だった。
後半、ヴィオラがDdurできれいなメロディを弾くところがある(練習記号Rから後?)。井上さんが弦のトレーナーに、「ここのヴィオラ、もっといい音が出てほしいんだけど、どうしたらいい?」と尋ねた。トレーナーからピッチの指摘があり、「そこで局面が変わるのに、準備が足りないかな」とも。やり直したらよくなった。
「運命」が残っていたが、16時過ぎ、公開リハーサルは終了した。
あの後、さらに練習したのだろうか。
31日、本番のチラシはこちら。
この日は、浦安シティオーケストラの練習日だが、欠席させてもらって、こちらを聴きに行く。
ここ数日、外出時に、久しぶりにカイルベルトの「ニーベルングの指環」をウォークマンで聴いている。
改めて思ったが、何と良好な音質だろう。
1955年のバイロイト音楽祭のライブ録音だよ。
1955年と言えば、私が生まれた年だ。つまり69年前。
ギリギリステレオ録音初期の69年前の演奏を、こんなにリアルに聴けるなんて。
ステレオ録音が間に合ってくれてよかった、としみじみ思う。
私がクラシック音楽に力を入れて聴くようになったのは、高校から大学にかけての時期だ。
大学に入った1974年はちょうど半世紀前になるが、フルトヴェングラー没後20年の年だった。
大学時代、フルトヴェングラーのレコードはずいぶんあれこれ買い集めたものだが、どれもモノーラルの悪い録音だった。
カラヤンなど、その当時の最新のステレオ録音と比べれば、25年、あるいは30年前のフルトヴェングラーのレコードは本当に見劣りする音だった。
この時点で、25年、30年前との落差は本当に大きかった。
しかしながら、今、2024年からさかのぼって69年前のカイルベルトの「リング」は、今の水準と比較して何の遜色もない。
つくづく、ステレオ録音の確立というのは、今日の価値観から見ても、いわば「完成形」だったんだな、と痛感する。
そんなありがたさをかみしめつつ、「ラインの黄金」から「ワルキューレ」へ聴き進めているところである。
※過去の関連記事
ほんの数年の無念
https://naokichivla.hatenablog.com/entry/49094919
「技術の確立」の意義
https://naokichivla.hatenablog.com/entry/54271820
ビートルズのモノーラルリマスター盤
https://naokichivla.hatenablog.com/entry/60602183
カイルベルトの「リング」全曲盤に着手して思ったこと
https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2021/09/04/122106
三月場所は、平幕中位に、髙安、正代、御嶽海と、元大関が顔を揃えていて、幕内前半戦の取組に登場してくる。
この3力士に限らず、大関から落ちて平幕で、時には十両で相撲をとる力士が近年は珍しくない。
昇進口上で「大関の名を汚さぬよう・・・」と述べた力士が、その地位を維持できずに陥落し、平幕でなお土俵に上がる姿を見ていて、彼らはどういう気持ちなのだろう、と以前から思っていた。
今場所も、元大関が次から次へと登場するのを見て、「元大関ばかりだな」とつぶやいたら、妻が、「昔もこうやって大関から落ちても相撲をとってたの?」と言う。
なるほど、思ってみれば、昔はカド番を乗り切れずに大関から落ちる力士自体が今ほど多くなかったような気がする。
いつもお世話になっているサイト「相撲レファレンス」にアクセスして、歴代の大関で関脇に陥落した力士のその後を確認してみた。
現行のカド番制度(2場所負け越しで陥落、翌場所関脇で10勝すれば復帰)になった、昭和44年(1969年)七月場所以降の大関を見てみた。※横綱に昇進した大関は除く
(×印は大関から陥落した力士。四股名の右は最終地位、引退場所)
清國 大関 昭和49年一月 カド番場所で引退
×前乃山 平幕 昭和49年三月 (現制度初めての陥落力士)
××魁 傑 平幕 昭和54年一月 (二度陥落)
旭 國 大関 昭和54年九月
増位山 大関 昭和56年三月
×琴 風 平幕 昭和60年十一月
朝 潮 大関 平成元年三月
×小 錦 平幕 平成9年十一月
×霧 島 平幕 平成8年三月
××貴ノ浪 平幕 平成16年五月 (二度陥落)
×千代大海 関脇 平成22年一月 関脇に陥落した場所で引退
×出 島 平幕 平成21年七月
×武双山 大関 平成16年十一月 関脇陥落から復帰、カド番場所で引退
×雅 山 十両 平成25年三月 十両に二度目の陥落をした場所で引退
××栃 東 大関 平成19年五月 二度の関脇陥落から二度復帰
こうして見ると、大関から陥落してなお一定期間相撲を取り続けたのは、昭和の時代だと、前乃山、大受、魁傑くらい。
それ以外の大関は、最終地位が大関なので、関脇に落ちてまで現役を続けることをよしとしなかったように感じる。
ところが、平成になって、小錦あたりを境に、関脇に陥落する大関が激増した印象がある。かつ、平幕に落ちても長く相撲を取り続ける力士が珍しくなくなった。小錦、霧島、出島、雅山、琴奨菊など。
一方、近年になっても、大関で力士人生を終えた力士としては、魁皇、豪栄道がいる。
また、武双山は、新大関の場所を全休したことに始まる関脇陥落だが、翌場所10勝して復帰し、以後長く大関を務めたまま、大関で引退。栃東も二度の陥落から即復帰した経緯を経て、最後は大関で引退。この両力士もそれに準じた位置づけができると思う。
(関脇を最後に引退した、千代大海と琴欧洲も、平幕に落ちることをよしとしなかったようにもうかがえる)
大関から陥落した場合、即復帰可能な10勝をあげられなければ、一からの出直しとして大関復帰の目安となる3場所33勝をあげる必要がある。
間隔を空けて、改めての大関復帰を果たした事例は、魁傑、照ノ富士の2人である。
平幕に落ちるということは、3場所33勝はもとより、三役の地位さえ保てなかったということを意味する。そのような状況で、なお相撲を取り続ける力士の心境とはどうなのか、近年では琴奨菊あたりから、今場所の3人まで、量りかねてきた。
単純に、今からでも自分は大関に戻れる、と信じて土俵に上がっている力士もいるだろう。髙安はそのような意欲を口にしているし、実際、平幕力士の立場で優勝争いにからむこともあるので、応援したい気持ちになる(以前で言えば、雅山も、大関陥落後に力を取り戻した時期があり、新大関だった白鵬と優勝決定戦を戦ったこともある)。
ただ、むしろそれは例外で、今だと、御嶽海や正代に、三役に戻り大関に復帰したいという意欲あるいは熱意を感じることはできない。単に、まだ自分の限界を納得できていないから、というのなら、それは、「大関の地位を汚す」ことにならないのか、と思ってしまう。
もっとも、彼ら本人の口から何かを聞いたわけではないので、憶測ではある。あるいは怪我や体調面の事情を抱えつつ、これが治ればといずれ来るチャンスを期しているのかもしれない。
あるいは、年寄名跡取得の問題など、引退後の生活設計のこともあるだろう。
テレビで相撲を観ているだけの身でとやかく言えないとはわかっている。
ただやっぱり、半世紀以上相撲を観てきたオールドファンとすると、大関だった力士が平幕に落ちても相撲を取ることが当たり前になっている現状は、「大関の地位を汚す」面がないか、との思いから離れられない。
私の見方は、「大関の地位」は、一旦大関に上がった以上、そこから陥落してもついてまわる、というものだ。大関として望まれる成績をあげられず、その地位を保てなかった、即ち大関の地位を汚したので、その大関の地位から関脇に下がってリセットし、そこからやり直す、というものではない。大関だった力士が今どうしているかは、大関の地位の価値を左右する、という考えである。
関連する話だが、このところのNHKの相撲放送では、大関から陥落した力士のことを、「元大関」と言わず「大関経験者」と呼ぶ。
これには大いに抵抗を感じている。大関とは「経験するもの」なのか、と。横綱は全員が大関経験者だ。それは良い。しかし、大関をいっとき経験して、そこから下位に下がって相撲をとっていることが普通であるようなニュアンスが、「大関経験者」には感じられるのだ。「元大関」でもどうかと思うくらいだが、これはそれ以外に言いようがないので仕方がない。
相撲放送は、先場所の琴ノ若もそうだったが、新たに大関に昇進する候補者が出てくると、非常に大きくとりあげ、気運を盛り上げている。
一方で、横綱に昇進できず、大関としても期待される成績を残せず、残念ながら陥落した力士を、「大関経験者」と呼んで扱うこと。
「大関の地位」というものの重さはどうなのか、という観点から、少なからず釈然としないものを感ずるのだ。
大関とは「経験するもの」なのか?
当の「大関経験者」たちの心境はわかりかねるものの、万一本人の気持ちの中に、同様の感覚があるとすれば、それはどんなものか、と思う。
※相撲レファレンス
https://sumodb.sumogames.de/Default.aspx?l=j
※過去の関連記事
NHK相撲中継特有の言い方
https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2023/07/22/102347