naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

音楽「自分史」~ ピアノをやめてから

高校入学直前の1月、「お弾き初め会」を最後にピアノをやめた。
受験勉強もあったことで、しばらくはそのまま過ぎていった。

しかし、地元の高校に入学後、新しい環境にも慣れて一服すると、レッスンをやめてしまったことの後悔が俄然浮上する。
やめて間もないから、急に腕が落ちた訳ではない。ピアノ自体は、以前習っていた曲を、以前程度に弾くことはできた。
だがやはり、「門下生」という身分を失ったことが、当時の自分には思いの他大きかった。あるグループから離脱した切なさは、時に今でも続けている者への嫉妬に近い感情にもなった。
で、もう一度レッスンに戻りたいという気持ちが抑えられず、とうとう親に陳情するに至った。
しかし、まあ当然なのだが、反対された。自分の意思でやめたんじゃなかったのか、とも言われたし、もう高校に入ったんだから、進路のこともあるという訳だ。

まだ高校1年だから、正直進路云々は考えていなかった。
レッスンに戻りたい、というのも、別にそこから精進して音楽大学へ行って音楽で身を立てるとかの気持ちまではなく、単に「もといた場に戻りたい」だけだった。

親にしてみても、音大に行かせる気などはなく、普通に進学させて普通に就職させたい。
この際そんなふらふらしたことを言ってないで、ピアノは趣味と割り切って受験に向けて勉強しろ、という訳だ。

この件での親とのバトル、習わせろ、駄目だ、は断続的に1年近く続いたのだが、結局はあきらめることになる。

以後も、勉強の合間に弾くことは続けたのだが、そんな中で自分自身にとっては重要な2つの経験をした。

一つは、この時期にクラシック音楽を聴き始めたことに始まる。
既に書いたが、ピアノをあくまで「習い事」としてやっていた頃、「自分が弾いている音楽がクラシック音楽である」自覚は全くなかった。
ハノンもツェルニーも、バッハもモーツァルトも、私にとっては「それに従って指を動かすための楽譜」という点でどれも一緒だった。

そんなふうだったから、クラシック音楽を聴くということは、生活の中にまったくなかった。
それまで聴いていた音楽は、テレビやラジオを通じて子供の頃から親しんでいた歌謡曲、小学校から中学校にあがる頃全国を席巻したグループサウンズ、更に中学校から高校にかけて流行したフォークソングなどだった。
親にしてもクラシック方面の趣味は全然なかったし。

ところが、どうしたきっかけだったか忘れたが、高校1年の秋、ピアノをもう一度とごちゃごちゃやっていた時期のある時、「自分はこれからクラシック音楽を聴いていこう」と決意したのだった。

田舎のことで、演奏会はめったにない。聴くにはレコードしかない。
一番最初に買ったのは、フルトヴェングラー指揮の「運命」「第九」の2枚組だった。宇野功芳氏の熱いライナーノートが載っていた。今に至るレコードコレクター人生の始まりであった。
以後、少しずつ買い足していく。近くにクラシック好きの従兄がいたので、ある程度の枚数のレコードをしばらく貸してもらうこともできた。

学校から帰ると、夕食までの30分か1時間、安物のステレオではあったが、それらを繰り返し聴いた。
曲数はそう多くなかったが、有名どころのシンフォニーを中心に、色々な作曲家の作品に親しんでいった。

そういう日々がある程度続いた後、ピアノを弾いていて、今でも忘れられない感覚を味わった。
モーツァルトソナタだった。以前にレッスンで習ったその曲を、久しぶりに弾いてみたのだったが・・・。
たとえば、「アイネ・クライネ」の冒頭楽章で、4小節前奏の後、テーマが6小節あって、小休止する。モーツァルトでは、同じような小休止が色々な曲に出てくる。それがそのピアノソナタにもあったのだが、そこを弾いた途端に、「ああ、この曲はアイネクライネと同じモーツァルトなんだ」という感覚が全身に走ったのだ。
前に弾いていた時にはそんな感覚はなかった。レコードを通じて、いくつかのモーツァルトの曲になじんでいたから感じられたことだった。

以前は、どの他の曲とも同じに感じていたその曲を、「モーツァルト」と識別することが、自分自身の感覚の中でできたこと。
これは非常に鮮烈な、大きい経験であった。
レッスン時代には平べったい紙だったものが、立体になった、というような感覚である。奥行きを感じたといってもいい。

レッスン復帰云々に揺れていた頃だったが、先生に習うのではなく、一人で弾いていて、ある大きなものを自分で発見したこの経験は、私なりの音楽観を変えさせるものだった。

もう一つは、同じ時期、高校1年の夏頃の話だが、ショパンの「幻想即興曲」に独力で取り組んだ経験である。

この曲が、私自身の耳に最初に入ってきたのは、三浦綾子氏原作のテレビドラマ「氷点」だった。中学生頃だっただろうか。小学生だったかもしれない。
ドラマのわりあい冒頭の方で、この曲が出てくる。クラシックを聴く習慣がまだなかった頃だが、激情的な主部が印象に残っていた。

そして高校1年の夏。
たまたまK先生のところに久しぶりに顔を出す機会があった。そこに同じ門下生のSという女生徒がレッスンにきていて、この曲を弾くのを聴いた。
その時に、「氷点」の記憶がよみがえり、ああ、この曲か、と思うと同時に、自分もこの曲を弾いてみたい、という気持ちになった。ピアノを続けている者への嫉妬も手伝って。
K先生が「君なら弾けるようになるよ」と言って下さったことに意を強くして、挑戦することにした。
もちろん先生には教われないので、一人でである。臨時記号は多いし、右手と左手のリズムが違うし、てごわい曲だ。
最初は全然弾けない。しかし夏休みの毎日、独力で試行錯誤しながら、少しずつだが弾けるようになっていった。

これもまた、自分にとっては非常に大きい経験であった。
レッスンであてがわれた曲でなく、自分で「弾きたい!」と強く思った曲であること。
レッスンを受けずに、自力で取り組んだプロセス。

先生の指導は受けられず、時間もかかったが、この1曲を身につけていった過程の方が、音楽に対してよほど積極的だと自覚しながらのプロセスであった。

この2つの経験を通じて、私は自分にとっての音楽の世界がひろがったような気がした。
「もといた場所に戻りたい」との気持ちで、レッスンへの復帰に執着していた自分ではあったが、それとは別のところで、レコードでクラシックを聴いたり、独力で「幻想即興曲」に取り組んだりしたことを通じて、むしろかつてのレッスン時代の自分に足りなかったものに気づいた。

そんな流れで、私自身としては自然に「ピアノの時代」から卒業していく気持ちになっていったのだと思う。

さて、そうして、高校からも卒業し、大学入学。
そこで新しい楽器、ヴィオラを手にすることになる。