naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

君は「そごう饅頭」を知っているか!

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  これが「そごう饅頭」の製造機械だ!(そごう千葉店地下1階食料品売場)



木更津に生まれ育った私にとって、子供の頃「千葉に行く」というのは大イベントであった。

もちろん、親は夏休みとかに東京へも連れて行ってくれたのだが、千葉に行くことだけでも、すごく嬉しいことだった。

私の子供の頃、千葉にはまだ三越やパルコは進出していなかった。
行くとすると、千葉駅ビル、そごう、そして奈良屋デパート(後のセントラルプラザ。今は取り壊されてしまった・・・)などである。

千葉の田舎者にとっては、この中では「そごう」はブランドだった。
おそらく千葉県人(但し新浦安あたりの新住民を除く)にとっては、多かれ少なかれ「そごう」の名前には何かの思い入れがあるのではないだろうか。

だから、そごうの経営が傾き、あんなことになった時のショックは大きかった。

千葉店は基幹店の位置づけだったから、店が閉まることはないだろうとは思っていたし、実際今でも繁盛していて喜ばしく思っている。
しかし、木更津店の閉鎖はこたえた。
もともと、子供の頃のあこがれのそごうが木更津に出店した時は、それは嬉しかったものだ。
その後、木更津駅前に大きい店を作って移転した。
92年の夏の甲子園、地元の拓大紅陵高校が決勝に進出した(西日本短大付属に0-1で惜敗)時、地元からの中継ということでカメラが切り替わった時、そごう前に集まった市民が映った。まさに木更津のシンボルみたいなスポットだったのだ。
それが数年後、閉店するとは。
実家に帰省した際、店の中に入ってみた。つい何ヶ月か前に入った時、にぎわっていたどのフロアもがらんとして何もなくなっていた。
企業が倒産するというのはこういうことかと思った。

その元そごう木更津店は、しかし、かなりの苦労を経て、今では「アクア木更津」としてよみがえった。
このことはやはり嬉しい。

そういう感傷的な話はさておき、子供の頃の話に戻る。

当時のそごうは今のBee-one、塚本ビルにあった。
地下の食料品売場に売っていたのが「そごう饅頭」である。
これは、カステラ風の生地に白餡が入った、オセロの駒を厚くして大きくしたような形状の饅頭である。
売場の脇に、製造の機械が置いてあり、そごう饅頭ができる過程を見ることができる。
子供はこういうのを見るのが好きだ。
型となる丸い円筒形の金属がずらり並び、そこに生地が流し込まれ、餡が注入され、といったプロセスを、私もわくわくしながら眺めたものだ。
特に、最後にそごうのマークの焼き印が押されるところが何とも味わい深かった。

そごう饅頭が、千葉以外のそごうで製造販売されているのかどうか知らないが、そごうに思い入れのある千葉県人にとっては、このそごう饅頭というものにも思い入れがある筈だ(と思う)。

ところで。
現在のそごう千葉店にも、そごう饅頭は売られているのだ。
製造機械もある。
エスカレーターの脇、崎陽軒の隣である。
ロングセラー商品として今も健在なのが嬉しい。

今日は親戚の家を訪問した後、そごう千葉店に買物に行ったので、久しぶりに買ってきた。
明日の日曜日にでも食べよう。