naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

「君津行き」の恐怖

酔っ払って電車を乗り越すことについて、人間は、じゃなかった、私は何故学習しないのだろうか。

独身時代からそれは始まる。
北浦和の独身寮時代。
東京から、大宮行きの京浜東北線に乗る。気がつくと大宮。
・・・というのはまだかわいい。

大宮で折り返し、気がついた時には東京さえも越して、大船方面へ向かっていた、ということは一度や二度ではない。

そして、年月を経て、京葉線で通勤する今も同様の事態は改善されていない。
会社から帰る途中なのに、どうして東京に向かっているんだろうか、ということも一度や二度ではない。

そして、この種の危機が、オケ本番の打ち上げ後にママあるのだ。

それは5年前の夏の定期演奏会の日だった。
いつもと同じ、新浦安駅前のホテルでの打ち上げ。さんざん飲んで、帰宅の途についた。
・・・筈だった。

ホームにすべりこんできた快速電車に乗った。少しでも早く帰ろうという心がけだった。
そして、目がさめた時に私は実家のある木更津駅にいた。
君津行きの快速だったのだ。
一瞬、何が起きたのか、事態が飲み込めなかった。
あの新浦安からはるばると、内房線に乗り入れて、こんなところまで来てしまっているのを嘘だろ?と思った。

まあ、そのまま実家に帰って泊めてもらう手もあったのだが、翌日は月曜で会社である。
幸いなことに、上り方面の最終電車がまだあった(そんな時間まで飲んでいた訳だ)。
これに乗って辛うじて帰宅したが、妻に事情を話してほとほとあきれられたのであった。

この一件にさすがに懲りて、ともかく打ち上げの帰りは蘇我行きに乗ろう。蘇我で止めよう!
そう決心した。
・・・筈だった。

しかし、その後、打ち上げ帰りに、今度は上総一ノ宮行きに乗って、さすがに茂原までは行かなかったが、確か四街道まで行ってしまって、タクシーで帰ったことがある。

そして昨日である。
写真の美女団員たちとさんざんいい機嫌で過ごし(何をしゃべったかよく覚えているようないないような)、いかん、そろそろ帰らないと明日は会社だ、と、殊勝なことを考えて店を後にした。
で、新浦安駅まで行って、まだあいていたアトレの家族亭で蕎麦を食った。

そして、ホームに上がった。
そこに来たのが、君津行きの快速なのであった。
私はふらふらとそれに乗った。うー、学習しない奴だ。

しかし、乗り越してはいけないという意識が辛うじてどこかにあったのだろう。
座席に座り、携帯電話のアラーム(振動)をしかけて、手に持って、そして寝た。

結果。
めでたく、下りるべき駅を過ぎる前に目をさまして、乗り越しなしで帰宅することに成功した。
しかし、これはまったくの偶然である。
後で見ると、ケータイのアラームの時間はしかけ間違えていて、これで起きたら、蘇我は過ぎていたという時間になっていた。
起きたのは全くの偶然。決して自力で、自分の意思で起きた訳ではない。
レクイエムの本番後だけに、「主のあわれみ」のたまものだったのかもしれない。

[補足]えー、ローカルネタですみません。京葉線は、基本的に東京=蘇我間で運行していますが、蘇我から内房線外房線に乗り入れて、更にその先まで行く電車が1時間に1本くらいあります。