25日(水)、浜離宮朝日ホールで行われた、今井信子先生の演奏会を聴きに行った。
実は、20日(金)に、須田祥子さんのリサイタルのチケットを買ってあったのだが、B社(三軒茶屋)の大阪出張が入ってしまい、泣く泣くあきらめざるを得なかったのだが、今井先生のこの演奏会は、無事に行くことができた。
●今井信子・夢 第7回 弦楽五重奏
日 時 2019年9月25日(水) 18:30開場 19:00開演
会 場 浜離宮朝日ホール
出演者 今井 信子 アマリリス弦楽四重奏団
曲 目 モーツァルト 弦楽五重奏曲第2番ハ短調
ラヴェル 弦楽四重奏曲ヘ長調
ドヴォルザーク 弦楽五重奏曲第3番変ホ長調
[アンコール] モーツァルト 弦楽五重奏曲第3番ハ長調 第1楽章
私の席は1階12列16番。下手寄り、ステージとはほどよい距離の良い席だった。
プログラム冊子から。
この曲の1楽章、聴いていて、モーツァルトだったら、もっと展開部で色々やってくれてもいいのに、と思った。結構すぐに再現部に行ってしまう。提示部のリピートをしているので、なおのこと、展開部の比率が小さく感じられて物足りない気がする。
2楽章は大変美しかった。
3楽章は、シンコペーションの音楽でビートがないので、どれが1拍目なのか、すぐにはわからない。
最後の変奏曲楽章は、本当に充実した作品だと思う。さすがモーツァルト。
弦楽五重奏を聴いていると、ヴィオラが2人いることの重みをつくづく感じる。
ところで、このモーツァルトは、軽量級と言うか、全体に重心が高い響きだった。上手側に座っているのに、ヴァイオリンの音が強く聞こえる。バランスとして、チェロにもっと低音を聴かせてほしかった。ちょっと物足りなかった。
改めて、何と言う音楽だろう、と思った。
精緻、精巧、完璧。
この四重奏曲について、「一音たりとも変えてはならない」と言ったのは、ドビュッシーだったか。
ラヴェルが「スイスの時計職人」と呼ばれたエピソードにとらわれるわけではないが、精巧に組み立てられた時計のメカニズムを見るようなイメージは、やはりある。しかし、だからと言って決して矮小なものではない。
4つの楽器の、これ以上ない効果的で自在な使われ方を聴いていると、ハイドンに発する弦楽四重奏という形式の驚くべき到達点がここにあると思わされる。
本当に堪能した。しかし、この音楽を、集中力を切らさずに聴くのは、こちらにとっても大変なことだ。
このラヴェルでは、チェロに物足りなさを感じることはなかった。4分の1と5分の1の違いということもあるのだろうが、曲の違いが大きいのかな、と思った。
もう一つ。この稀有な音楽、色々な響きの作り方があるのかもしれない、とも思った。今日聴いた、彼らの演奏が唯一無二のものではないかもしれない、と。
またこの曲を、別の団体の演奏で聴いてみたいものだ。
休憩後のドヴォルザークでは、今井先生がファースト・ヴィオラ。
曲が始まり、ドヴォルザークのあのひなびた響きが耳に入った途端、さっきのラヴェルとは全然違う、そしてラヴェルにはない、この上な魅力をたたえた音楽がここにある、とひきこまれた。
2楽章のドヴォルザーク独特のリズム。途中、「新世界」の2楽章を思い出させる部分があった。調べたら、この五重奏曲と「新世界」、「アメリカ」は、同じ時期の作曲なんだね。
3楽章では、今井先生が弾く長いメロディーがあったが、これは本当に圧巻としか言い様のないものだった。この楽章が持つ抒情は格別。深いというわけではなく、重みがあるわけでもないのだが。
一転して、4楽章は踊るような楽しさ。
そう聴かれる曲ではないが(私もそうめったに聴かない)、この曲には、ドヴォルザークのあらゆる魅力が詰まっている、と改めて知った。
決して易しくはなさそうだが、自分でも弾いてみたいと思わされる曲だ(大学時代に、オケ仲間と合わせてみたような、かすかな記憶がある)。
この五重奏曲では、バランスに問題は感じなかった。むしろこのくらい軽快な響きの方が、この曲には合っているのではないかと思った。
それにしても、モーツァルトに比べると、2本のヴィオラがずいぶん違う役割を担っている。これはヴァイオリンも同じことが言える。
アンコールには、モーツァルトの3番の1楽章が演奏された。演奏の前に、今井先生が「長い曲ですが」と曲紹介のMC。
さすがに提示部のリピートはなかった。
同じモーツァルトの五重奏でも、この曲では、チェロの強さはほどよかった。曲の違いか。
最後に、プログラム冊子について。
今回のような演奏会では、今井先生が編成上どこに入るのかを、明記してほしかった。
また、これはこの演奏会に限ったことではないのだが、プログラム冊子には、曲のデータとして、最低限、各楽章の速度、拍子、形式は記載してほしい。曲を熟知していない聴衆にとっては鑑賞の助けになると思う。
(今回は、速度表示のみ記載)