naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

「今日も元気でよかった」という1日1日を積み重ねたい

この新型コロナウイルスとは、「あらゆる場所であらゆる活動を脅かす」ものだと、日に日に実感を強める。

 

先日、相撲界で初となる、力士の感染が明らかになった。五月場所の開催を2週間延期すると発表された後だったが、瞬間、その力士を休場させて場所を開催すれば良いのではないか、と思った。

 

しかし、その後、稽古場での申し合いやぶつかり稽古を禁ずることが発表され、関連の報道で、相撲部屋における、幕下以下の力士の大部屋雑魚寝や、集団でのちゃんこなどに、感染の危険があるとの指摘を読むに至り、これは、相撲というものの古来からのあり方それ自体が、根幹から成り立たなくなる危機ではないか、と一転して深刻に受け止めるようになった。

 

思ってみれば、三月場所を無観客開催したのは、集まってくる相撲ファンの安全のためだったが、そもそも、土俵上で相撲を取る力士の安全の観点は抜け落ちていたようにも思う。今にしてみれば、だが。部屋や稽古場での行動のあり方自体が問題視されるとなれば、本場所開催云々以前の話になる。

 

スポーツにおいて、「観客の安全のため」、「競技者の安全のため」という両面を考えなければならないのは、大部分の競技に共通する話だろう。

 

特に、直接ぶつかり合う格闘技が深刻だが、既にプロ選手に複数感染者が出ている、野球やサッカーにおいても同様。いくら、オープンエアのフィールドで行う競技であろうと、人と人とが交錯する場面は避けられない。もっと狭い空間で行われるバレーボールやバスケットもしかり。

 

テニスのシングルあたりなら、競技者同士の距離が遠いから大丈夫かもしれないが、ダブルスはNG。卓球くらいのサイズ感になると、シングルでも声を出し合ったりしたら危険、となるのだろう。

 

JRAの競馬も無観客開催となっているが、スタートのゲートでの騎手同士の接近はどうなのか。

 

もともと防具が堅固なイメージがある、フェンシングくらいは大丈夫だろうか、などと思ったりする。

 

ともかく、多くのスポーツが、「競技者の安全のため」の観点を重視すれば、観客の有無に拘わらず、できなくなってしまうように思う。

 

「やる人」と「見る人」の観点は、音楽にも共通する。

 

私もチケットを買ってあった多くの演奏会が、軒並み中止になった。発想の発端は、集まってくる聴衆の安全確保だったと思う。

 

中止された演目を、無観客での演奏を配信することも行われ、びわ湖ホールの「神々の黄昏」などは、大変価値の高い演奏と評価されたようだが、今や、演奏者の安全の観点からは、そもそも演奏会を行うことがどうなのか、という部分に焦点が移っているように思う。

 

ピアノソロくらいならともかく、室内楽であっても、複数の奏者が演奏するとなるとどうなのか。オーケストラや合唱などは論外、ということになる。

 

間隔を空けて並ぶバンドとかならいいのだろうか。

 

マチュアの演奏活動にしても、多くの市民オーケストラは、当初は、練習会場あるいは本番会場となる公的施設が閉鎖されたことで、活動の場を失った形だったが、今は、仮に練習場所や本番会場が確保されたにせよ、そもそもオーケストラという形態で集まって座り、演奏する行為自体に怖さを感じる状況ではないかと思う。

 

集団で声を出す合唱においては、飛沫を出し合う点で、なおリスクが高いとされる。
(合唱指導の仕事をしている妻は、現在、仕事がなくなっている)

 

外出自粛が要請され、会社の仕事でも在宅勤務が推奨される今、趣味としてのアマチュアの音楽活動であれば、我慢せざるを得ないと、ほとんどの人が納得もしくは諦めを感じているだろうが、プロはそうはいかない。

 

音楽に限らず、演劇等々も含めて、プロの文化芸術活動については、補償の問題が大きな議論になったが、趣味のアマチュアとは違って、「それで食べている」人にとっては、深刻な問題だ。例えば、プロオケの破綻も決してありえないことではないと懸念される。

 

スポーツ、文化芸術、以上は、つまり、客を入れる興行という形態でのビジネスについてだが、もちろん、事はそれだけに留まらないのが、新型コロナウイルスの脅威だと思う。

 

テレビ。

 

先日、朝ドラ「エール」で、ダンスホールの場面を観ていて、「3密」だなあ、と思った(もはやそういう感覚で物を見るようになっている)。

 

すぐに思ったのは、これはお芝居だから問題がないということはまったくなく、この場面を収録する行為には、現実の危険があるのだ、と。

 

漫画だったら、物語として描かれる世界に危険はないが、ドラマの収録は生身の人間がそこで行っているのだから、役者、スタッフ含め、今は避けなければならない行為になる。現に、「エール」に限らず、「麒麟がくる」の収録も中止されていると聞く。「エール」に、亡くなった志村けんさんが出演した場面は、まだ出てきていないから、ある程度のストックはあるのだろうが、それが尽きれば、放映は物語の途中で止まることになる。

 

気がつけば、バラエティ番組も、既に過去の総集編のようなものを放映するようになっている。新規の収録がされていないのだろう。

 

そう遠からず、どの局も、報道番組を除いたら、すべてが過去の番組の再放送や映画とかだけになるのではないか、と思ったりする。

 

これは、テレビドラマにとどまらず、映画、あるいは劇場での演劇でも同様だ。

 

今、漫画の話にふれたが、報道によると、「キン肉マン」のゆでたまご氏が、アシスタントを含む制作チームの安全のために、新規の執筆を中断したとのこと。漫画制作の場は「3密」に該当し、制作チーム及びその家族の安全のために決断したそうだ。

 

また、「少年ジャンプ」の編集部スタッフの感染で、最新号の発行が延期になったり、講談社が発行する漫画雑誌の一部をとりやめたりしているとも伝えられる。

 

今後の推移によっては、連載漫画の続きが読めなくなったり、雑誌そのものが発行されなくなったりする動きがひろがることも考えられる。

 

以上、主にエンタメ業界の話ばかりしてきたが、事はそこだけにとどまらない。

 

緊急事態宣言においては、店舗等の営業自粛を求める範囲について、議論になった。

 

つまるところ、この新型コロナウイルス問題は、医学的疫学的に安全確保しようとする方策が、社会経済的にはダメージになるという、相反する要素を持っている点が、本質的に悩ましい。

 

自粛要請と補償はセットでなければ、と言われながら、政治がそれになかなか踏み切れないのは、その立場としてやむを得ない要素もあるのだろうが、一方で、医学疫学の立場からは、手ぬるいの一言に尽きるはずだ。

(すべての仕事を止めることは、社会的に容認されないし、仮に仕事を止めることができても、事業主として、また個人としての収入補償がなければ、感染予防に徹する行動はとれない。すべてを満たす解はおそらく存在せず、トレードオフの中で、何かを犠牲にしつつどこかを選ぶしかない)

 

このパターンは、過去の感染症でも同様だったはずだが、これほど広範に影響する疫病は、近年ではなかった。

 

飲食業、ホテル・旅館業界、あるいは夜の商売などが、壊滅的な打撃を受けることは必至だが、ともかく、あらゆるビジネス、商売が、人と人とが接することを前提にして成り立っている中、このウイルスの影響から逃れられる業種は、皆無に近いのではないか。

 

ネットビジネスは、それを軽減するサービスを提供してくれるが、そのサービスとて、人間が提供しているものである以上、今後が安心とは言えないのではないか。

 

私の勤務する建設業においても、既に大手ゼネコンが、施工中の工事のストップを打ち出し始めている。物件ごとの対応は、施工中断や遅延に伴う関係者間の補償問題も含めて、難しいものがありそうだ。

 

個人への一律10万円給付や、中小企業に対する給付など、遅まきながら補償的な動きも出始めたが、今後の推移によっては、それで持ちこたえられるものかどうかは、少なからず疑問だ。

 

こんな状況下で、公私の知人友人とメールのやりとりをすると、「コロナが落ち着いたら、また会いましょう」、「久しぶりに飲める日を楽しみにしてます」、「早く練習で会いたいですね」などとのフレーズをお互いにつけるようになっている。

 

しかし、「落ち着いたら」というのは、いつのことなのだろう。

 

緊急事態宣言は5月6日(水)までとなっている。この時点で、宣言が解除されて、様々な活動が解禁になるとは、私には思えない。多くの人が、宣言の延長を予想しているのではないだろうか。

5月6日まで、というのは、ゴールデンウィーク期間中の行動規制のための線引きであり、ウイルスはそんな社会的な意味づけと無関係に人間を襲い続けるはずだ。

 

今は、何となく「年末くらいまではこんな感じが続くのでは」と思ったりするが、よく考えればその保証もない。だいぶ先の年明けくらいだったら、何とかなっているかもしれない、とまさに「何となく」感じるだけのことだ。

 

何しろ、現状では、事態が好転する兆しはまったく見えず、日々発表される感染者数の増加カーブは、きつくなっていくばかりなのだから、もしかすると2年? あるいは3年?

 

そこまで、日本の社会は、経済は、個別の倒産等、小さくない犠牲を出しながら、持ちこたえられるんだろうか。

 

考えるにつけ、悲観的になってしまう。

 

時には、「もしかしたら、2020年代前半に、このウイルスによって、人類は絶滅してしまうのではないか」という恐怖すら感じることがある。

 

これだけ全世界的な疫病は初めて経験するし、過去の災害や戦争だって、範囲の大小に差はあってもローカルなものだった。それに対して、今回は、日本全国、世界中どこへ行っても同じものを避けられないのだから。

 

これは怖いよね。

 

ただおそらく、多くの人が、やがて「コロナ後」が来ると思い描けるのは、これだけの文明を持つ人類が、「人間の営み」を通じて、この未知のウイルスを克服できるだろう、できないはずはない、という期待だろうと思う。

 

そうであってほしい。

 

中国で、武漢の封鎖が解除されるなど、本件での先行国で、収束に向かう例が見えてきている。台湾も封じ込めに成功したと聞く。

 

そうした成功モデルが増えてくると、少し希望も出てくるだろうか。

 

ともかく、大事なのは、今、何ができるか、何をすべきかだ。

 

まずは、メンタルの維持だと思う。

 

在宅勤務で行動が制約される中、やはり普段と違う生活は気詰まりな要素がある。

 

先の一斉休校で、子供のストレスが指摘された。テレワークの推進の中、新聞には「コロナ離婚」などの見出しが躍り、実際にDV事件や殺人事件も報じられている。

 

私も、好きに出かけられず、好きなことができない生活には、気分的な疲れが蓄積されそうな感覚が、まだ兆候としてだが、ある。

 

要するに、「何となくつまらない」のだ。

 

まず、そこに負けてはいけないな、と思う。社会経済の動向はさておいて、毎日の生活で、できるだけいつものように、明るい気持ちで過ごすことを忘れてはならない、と。

 

そして、この状態がいつまで続くかわからない中ではあるが、とにかく、自分が感染してはならない。これがその次に大事。

 

100%の予防方法があるわけではないかもしれないが、手洗いうがい。コントロールできないことが多い中、自分にできることだけでもやっていかないと。

 

「今日も心身とも元気で終えることができてよかった」という1日1日を、根気よく積み重ねながら、光が見えるのを待ちたい。

 

いつも親しくして下さっている皆さん、いつもお世話になっている皆さん、お互いに気をつけて、できるだけ早い時期に、元気でまた会いましょう。

 

あー、早くオケで弾きたいっ!
(早く会社に行きたい、とは言わない(笑))