naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

2020年10月時点のコロナ雑感

新型コロナウイルスの話も、何か今さらって感じですけど、ちょっと思うところもあって。

 

 


これまでの人生で、感染症に最も恐怖を感じたのは、やはりHIV/AIDSだった。

 

私が「エイズ」というものを知ったのは、確か1980年代半ば頃、「笑っていいとも」でだった。

 

国内であれこれ騒がれるようになったのは、これも確か1990年代前半。

 

当時、私は労働組合の専従役員の仕事をしていたが、HIV感染に伴う、差別、偏見等の話を聞き、組合員の中に感染者が出て、組織内でそのようなことがあってはならない、と感じた。

 

HIV/AIDSについてあれこれ勉強し、正しい知識の啓蒙のため、機関紙に連載記事を書いたり、研修で説明したりしたものだった。

 

当時の認識としては、「感染してしまったら、HIVを追い出すことはできない。いずれ関連疾病を発症して死に至る」というものだった。

 

日本で問題になった時期には、既に研究がだいぶ進んでおり、実像は把握されていたと思う。

 

少なくとも、感染経路、どうすれば感染を避けられるかは明確だったので、啓蒙がしやすい面があったと記憶する。

 

 


さて、コロナである。

 

あの頃のHIV/AIDSに比べると、まだまだわからないことが多いように感じる。

 

さんざん議論されてきた、感染拡大防止と経済のバランスを始め、万人が納得し、あるいは従うべき、「これが正解」というものが、私には見えない。

 

その背景の一つは、HIV/AIDSとは影響範囲が段違いであることだろう。コロナの影響を受けていない人は、一人もいない、と言ってもいいはずだ。それも全世界的に。

 

人が集まること、群れることが排除される特質により、仕事にせよ趣味にせよ、ありとあらゆる生活の分野が大きく影響を受けている。

 

そんな中、それぞれの人が、それぞれの立場、あるいは損得で物を言うから、まとまるはずもないのだろう。

 

東京オリパラにしても、私個人としては、早く中止と決めてもらいたいと思うが、それは一市民の立場。ここで、完全な形でないにせよ、開催の実績を作ることに、意義を感じている人もいるはずで、それも理解できる。まして、当事者としての選手にしてみれば、長年目指してきた大会がなくなることなど、耐え難いはずだ。これも理解できる。

 

難しいんだよね、コロナは。

 

 


このところ感じるのは、連日メディアで色々報道されているものの、「身近に脅威がある」との実感が乏しい、ってこと。

 

千葉に住み、東京に通勤し、その東京では、連日3ケタの新規感染が確認されている、というが、自分が勤務する2社で、社内に感染者が出た、という情報は、皆無ではないものの、ごくごく稀だ。A社で1人(短期で復帰)、B社はゼロ。

 

友人、知人、親族関係でも話は聞かない。知らないだけかもしれないが。

 

メディアでは、芸能人やスポーツ選手などの感染情報が、これも日々報道される。ただ、志村けんさんが感染判明後早々に亡くなってしまったのはショックだったものの、このところの著名人の感染情報で、その後誰かが重篤化して亡くなった、という続報はあまり聞かない。

 

感染が確認された、ということと、だから死に至る、ということの落差。

 

ちょっと慣れた? マヒしてきた? ってことなのかな。

 

その点では、芸能でなく一般の報道に望みたいのは、単に今日何人新規に感染しました、を大きく扱うのではなく、人口に対する比率が例えば都市部と地方でどう推移しているか、とかの、「割合」に関する情報だ。だって、東京都では、昨日250人でしたが、今日は100人でした、と言われると、何だか減ったみたいに思ってしまうが、増え続けていることに変わりはなくて、その増え幅が鈍ったってだけだものね。

 

私が一番知りたいのは、新規の感染事実ではなく、感染したその人が、その後どうなったか、だ。

 

治癒したのか、重症化したのか、亡くなったのか。

 

「割合」で端的に言えば、感染者の人口比に加え、感染者に対する死亡者率が大事だと思う。それが、例えば以前に比べて悪化しているのか改善しているのか。

 

そのへんを、常に詳細に報道し続けてほしい。メディアに望みたいのはここだ。

 

とにかく、生活のあらゆる場面が、多かれ少なかれ不自由になっている現実。誰もがストレスや閉塞感みたいなものを、これも多かれ少なかれ感じながら、日々を生きている状況にある。

 

そんな中、今、思うことは、そうした重苦しさに負けてはいけない、と。ストレスや閉塞感に負けて、例えば家族の間で、友人との間がギスギスしたり、喧嘩するなんてことになっては、ほんとにつまらないと思うんだよね。

 

一個人としてできることは、鬱陶しさは否定できなくても、でけいるだけ元気を出して明るく過ごすこと。だってどうにもならないんだから。それは、あなたのせいでもないし私のせいでもないわけで、みんながおんなじ前提なんだから。

 

「正しく測定された脅威」の継続的な情報と、それへの「正しい対処方法」の整理された情報がほしい。

 

 


あとね、もう一つこのところ感じるのは、これがいつまで続くんだろう、という「スパン」の問題。

 

例えば、今年の1月の末くらいでしたっけね、コロナが報道で目につき始めたのは。あの頃は、「あったかくなったら収束するんじゃないか」って言ってたよね。つまり、3ヶ月後くらいのスパン、今にして思えば笑っちゃうけど、それを期待していたのも事実。

 

東京オリパラにせよ、延期決断までの時期って、今年7月下旬というのが「だいぶ先」のことで、その頃には何か状況が変わってるんじゃないか、という期待もあったように思う。今になるとどだい無理なことに迷ってたなあ、って感覚だけど。

 

個人的には、何と言ってもマウントあさまのオーストリア公演。6月予定の海外公演に行けるんだろうか、行けないんだろうか、なんてことを、オリパラ同様、結構ぎりぎりまで思ってたものだ。それが無理だったのは、今になれば当然と思っているのだが、ひるがえって、では延期になった来年の6月はどうなのか、とそろそろ考え始めている。

 

延期になった時点では、丸1年先のことなので、さすがに1年も経てば、状況も変わってるだろう、という気がしていた。そう、まさに「さすがに1年も経てば」って感じに思ってた。でもね、既にそれから4ヶ月が経って、その延期公演は、8ヶ月先のことになった。

 

今、オーストリアはさほど深刻な状況ではないが、フランスやドイツで再度のロックダウンなど、ヨーロッパ全体は状況が悪化し始めている。私自身は、もしかするとまた中止か延期になるのではないか、あるいは予定通り決行されても自分は行かない選択もあるかな、とそろそろ現実味を持って考えるようになってきた。

 

「だいぶ先」、「さすがにその頃には」、なんていう「スパン」は、きわめて相対的なものなので、時間が経過すればするほど、「だいぶ」でも「さすがに」でもなくなってしまうことが、この数か月の経過で少しずつわかってきた。

 

先日、前の会社の同期で飲んでいた時、仲間の一人が、「ある人から、この状況はあと4年続くと聞いた」、と言っていた。

 

瞬間、4年かあ、と思った。ここでも、「いくら何でも4年までは」という感覚になりかかったが、現状が2年、3年経っても変わらなければ、だんだんそうでもなくなって、ついに4年経過した時点では、「あと10年経てば」になってる可能性もあるな、と思ったりもした。つまり、「4年はありうるかもしれない」と。

 

1月頃の、「春になったら」は、今、万人が笑い飛ばすんだろうけど、今の時点で、「来年の今頃には何とかなっていてほしい」みたいな話は、まだ必ずしも笑わない。しかし、そんな保証がある話でもない、とも半分気づき始めている。

 

 


そうなるとね。

 

そこを突き詰めて見つめた場合、「時間がなくなってくる」んだな。

 

万事にわたって、「早く以前のような状況に戻りたい」と、誰もが思う。

 

例えば、会社の仲間と、「コロナが落ち着いたら、久しぶりに一杯やりたいですね」などと言い合う。しかしそれがいつ来るのかはわからない。

 

所属オケ。今は、有志だけで集まって、椅子の消毒だとか何だとかめんどくさいことをやりながら、制約のある選曲で12月の定期演奏会を目指している。「早く前のように、何の心配もなくみんなで普通に集まって、好きな曲を笑いながらしゃべりながら演奏したい」と思う。しかし、それはいつになるのか。65歳3ヶ月の私には、そんな日は来ないかもしれない、と思うことが増えてきた。若い団員とは残り時間が違う。
(来年5月の定期演奏会では、普通にブラームスの2番他をやることが先日決まったが、できるんだろうか・・・)

 

あとね、小田(和正)さんのツアー。前回のツアーは、昨年終わった。これまでだったら、次のツアーは来年あたりかな、ってことになるが、小田さんに限らずコンサート会場を満員にして公演できる状況は、いつになったら来るのか? 待つしかないのだが、時間がなくなってくるという点では、当の小田さんが先月73歳になった事実は軽くない。若いアーティストとは残り時間が違うと思う。

 

東京オリパラも同様だ。アスリートたちにとってみれば、2021年の延期大会が中止になって、次の2024年のパリを目指せ、と言われても、パフォーマンス能力のピークを考えれば、間に合う人と間に合わない人がいるだろう。そう、分野によっては、そのように若い人にも時間がなくなる場面はある。

 

つくづくとんでもないことになったものだなあ。

 

私としては、感染後の重篤化や死亡リスクの関係が解明整理され、今の諸々の不自由を部分的にでも解除できるような、医学的科学的なエビデンスが確立されることを願う。有効なワクチンの開発ももちろん待ちたい。

 

それまでの間は、重苦しさに負けずに、明るく。

 

今、元気であることは、とにかく何よりのことだ。ありがたいことだ。

 

だから、今、できることを、元気にやりたい。それしかない。

 

※過去の関連記事
    「笑っていいとも!」終了のニュースに
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/63941010
    どうなる、新型コロナウイルス・・・
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2020/03/14/003541
    「今日も元気でよかった」という1日1日を積み重ねたい
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2020/04/18/103423
    井上道義氏の主張
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2020/07/08/224203