異例の演奏会が、ともかくも無事終わった。
今回の演奏会は、練習過程から色々と思うところがあった。
希望者参加という中、参加したのは、週1回の練習に行って弾くという行為が、千葉から東京に通勤したり地方に出張したり、と言った普段の生活場面に比べて、極度にリスクが高いものとは思わなかったからだ。
楽器が弾ければ、合奏ができれば、という気持ちでの参加だった。
しかし、いざ練習が再開されてみると、当然に今回の異例さをあれこれ実感することになった。
人が少ないこと、限定された選曲。
唯一のオケ曲である「運命」で、管楽器が揃わない、というのはインパクトがあった(弦よりも管の方が抜けづらい(降りづらい)面はあるはずで、同調圧力的なものが生まれる可能性がある。だから、揃わぬパートがあっても良しとする方針は大変正しいと思う。その上での感想だ)。また、弦は3曲弾けるものの、管の団員は、僅かこの曲、1つの楽章のためだけに練習会場にやってくるのだ。
こんな状態で動き出したのだ、と痛感した。
つまり、健康体の活動ではない。快復途上の人間がリハビリで不自由に歩行練習をしているようなイメージに感じた。
とりわけ、自分のパートであるヴィオラは、休団中の1人を除いて8人いるのに3人しか参加していない。このことは、私にとって一番大きかった。
以前であれば、7人も8人もが毎週集まってあれこれ話しながら弾いていたのに、今はそうでないこと。切ないという他はない事態だと感じた。
練習会場に来て楽器が弾ければ満足できるというものではないのだ、いつもの仲間と会えてこそだと気がついた。
そんなことで、3ヶ月の練習、そして本番と、決して晴れ晴れとした気持ちで過ごせたわけではない。
「こんな形でしか活動できないのか」という思いが常にあった。
終わってみて、普段の演奏会のような達成感がないのも、つまるところ、限られた者だけでの本番であって、「曲がりなりにも演奏会をやった」に過ぎないとも言えるからだと感じる。
ただその反面、こういう形であっても、とにかく練習から本番までを完遂したことは、「何かをつないだ」と言えるのではないか。これも練習から本番までの日々、思ってきたことだ。
6月の定期演奏会が中止(延期)となった上に、この12月も中止だったら、と考えると、空白を1回でとどめたことは意味があるように思う。
今回不参加だった団員にも、もしかすると目標を示すことができたかもしれない。
今回の本番運営において、コロナ対応は団として大きな負担だった。実行委員を務めた個人としても、いささかしんどかった。
しかし、ともかくもこうしてコロナ禍における本番をやったことで、道は作れた。次回以降、社会の環境が変わらず、同様の演奏会運営を強いられるとしても、その基盤は作れたと思う。