今日14日(月)は、久しぶりに前の会社の入社同期の者、5人で集まっての飲み会を開いた。
同期の1人、Mは前の会社の子会社の社長を務めているが、今月下旬の株主総会をもって退任することになった。長く単身赴任だったが、社長退任に伴い、自宅のある長野県に帰るとのこと。
しばらく会う機会がなくなってしまうので、送別会をやろうという話が仲間内で持ち上がった。
しかし、折しも東京は緊急事態宣言下。飲食店でのアルコール提供はない。またこのことは、まん延防止等重点措置の対象である隣県の埼玉、神奈川、千葉県も同様である。
20日(日)にこれらが解除されるのか、また延長されるのか。
それをみきわめてから日を決めようかとも思ったが、Mは株主総会後の転居もあるし、下旬は色々忙しくなるだろう。
相談の結果、この際、アルコールが飲めるかどうかは脇に置き、早めに送別会を設定した方がいい、との判断になった。
14日に、同期のBと私の勤務先であるA社(西新宿)に、Mが退任の挨拶のため来訪すると聞いたので、その後に送別会を設定し、同期のTとYに合流してもらう段取りとした。
16時半前、Mの目的の挨拶が終わり、B、Mと私の3人でA社を出て、新宿西口のエルタワーに向かった。
既にTとYは来ており、久しぶりの同期飲み会、いや食事会となった。
メニューのドリンクのページを見るが、アルコールは当然注文できない。
わかっていることであり、仕方がない。
とりあえず、ということで、ノンアルコールビール(小瓶)を人数分頼んだ。やがてソフトドリンクに移行する想定である。
いささか盛り上がらない感じで乾杯。
テーブル上にはアクリル板が設置されていることもあり、料理は大皿のシェアでなく、1人1人希望のものを注文。
5人中、4人が、最近ワクチン接種をしたので、最初はもっぱらその話題。私は接種翌日に接種箇所の疼痛がひどくなり、発熱もしたのだが、Tは逆に体温が下がり、Bは何も起こらなかったと言う。人により色々だ。Yは今日、私と同じ大手町の大規模接種センターで1回目を打ってきたばかりで、副反応の有無はこれから。
そんな話をしている内に、小瓶のノンアルビールは空いてしまい、銘々の手元の料理も食べてしまった。
一緒に入社して43年余りが経つが、昼食はともかくとして、こういう夕方から夜の時間帯の飲食を、アルコール抜きで行うのは、もちろん初めてのことだ。
ビールや焼酎を飲むことと、料理を食べることを交互に行うという、これまで当たり前のリズムが、今日に限っては失われている。座のペースが変だ。時間が経つのが遅い気がする。
酒を飲まない人は当然また別の感覚なのだろうが、飲むのが当たり前、飲むために集まっている、という感覚が普通の我々呑兵衛にしてみると、不思議な感じだった。
ノンアルを何本も飲んでも仕方がないんだけど、とりあえず2本目は頼むか、と店員さんを呼んで注文すると、「すみません、ノンアルビールが売り切れまして」と、まったく想像していなかった答えが返ってきて、一同、えーっ? となった。
落胆、ではない。むしろ「ウケた」。
もともと、今日はこういう状況だから仕方がないのだと、悲しいけれどアルコール抜きを受け入れる一種のわきまえは最初からあったわけだ。その時点で落胆めいたものはくぐり抜けている。その上でノンアルビールの追加を注文したら、その2本目さえも飲ませてもらえないという予想外の事態は、何とも言い難い。落胆というよりもむしろ可笑しくなってしまったのだ。
やむなくMと私は烏龍茶を注文し、それ以外の3人は入店時に出てきたお茶のおかわりで通した。
ともかく会の本旨はもちろん送別会である。
コロナ談義からは離れ、当面の別れを惜しみながら歓談した。
追加の料理としては、ごはん付きの定食を各自注文。
これまで、さんざん飲んだあげくに、締めでお茶漬けやおにぎりを食べることは何度もあったが、こういう「食事」を、同期で集まってみんなで夕食時に食べている、という状況。
誠に空前のことだ。
長く生きていればこその貴重な経験と言えるかもしれない。
送別会は1時間半ほどでお開きとなった。
Mとはまたいずれ会おうと約して別れた。
皆、60代も半ばから後半となったが、コロナを含めてとにかく元気でいれば、また会う機会も持てるだろう。その時にはいつも通りに飲める状況になっているだろう。そうあってほしい。
昨年の3月、同じように前の会社を退職して単身元に帰る同期がいた。当時の状況を振り返れば、最初の緊急事態宣言前で、飲食店は普通に営業していたが、送別会を行うことを断念した。大変残念ではあったが、その時にみんなで相談した上での判断だった。
1年余りが経ち、状況はむしろ悪化している中、同様に退職するMを囲んで、可能な形での送別会を開くことにしたのは、この間の経過も踏まえての、昨年のその時とは違う、今の時点の判断だが、できてよかったと思う。
これがいずれ一つの思い出話になることを願う。