けさ、ブログタイトル脇に添えた自己紹介を書き換えた。
66歳会社員。ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。
2005年10月のブログ開設時、「50歳会社員。・・・」と書いた。
これを、他の文言は一切変えないまま、毎年年齢だけを書き換えて、66歳に達した。
66歳と、ゾロ目の歳なので、今日はふと、11年前、55歳だった頃を思い出した。
2010年。震災の1年前。
もちろん前の会社の時代だ。3年間勤務した品川の支店を離れ、4月に京橋の本社に戻った年だった。本社の部長職に就任し、2019年4月に、社命で子会社2社(今の勤務先)の監査役として転籍するまで、9年間、2つの部で部長を務めた。
5月には、オケの本番帰りに駅の階段を踏み外して転落し、救急車で運ばれた事件。
前年他界した母の墓を菩提寺に建てた年でもある。
白鵬の63連勝。
今日まで11年。自分にもまわりにも色々なことがあった。振り返れば11年という歳月はやはり長かったと感じる。
先日、同期のT、Yと横浜で定例の飲み会をやった時、「この歳になると、何かをあと何年、いつまでできるか、と「引き算」で考えるようになる」という話題になった。
確かにそうだ、と誕生日の今日、改めて思う。
55歳から過ぎてきた11年。同じ11年がこれから経つと、77歳になっている。
そうか、77歳か、と思う。
ここでの「引き算」論の重要なポイントは、「いくつ(何歳)から引き算をするか」がわからないことだ。
一般的には、今の時代、70代前半で亡くなるのは早い、という感覚がある。80代に乗るまでは生きていたい、とも思う。可能なら80代後半までも。
新聞に載る著名人の訃報を見る時、その人の年齢がこれまでよりも気になるようになった。先日田村正和氏が77歳で亡くなったが、77歳というのは、まだ早いとも思えるし、仕方がないかとも思える年齢だ。
あと11年でその年齢に達する事実を確認する今年の誕生日。
さらに言えば、その年齢にどういう状態で達するのか、が問題だ。生きている、死んではいない、ということではだめだと、本人としては当然に思う。
幸いにも持病はない。常時服用しなければならない薬もない。
監査役の任期はあと2年。68歳になる直前までだ。
とりあえず、今日も元気でA社(西新宿)の監査の仕事で、市原の作業所と千葉の営業所に行ってきた。
明日も元気だろう。
2005年から変えていない「毎日元気」。自分で作った自己紹介の一句だが、この言葉の意味をいつになく考える誕生日になった。
とりあえず、「大好き」なビールを、今夜は妻と飲もう。
珍しい、誕生日記事でした。