今日9月20日は、小田(和正)さん74歳の誕生日。
おとといの横浜のステージではお元気そうでよかった。
最後に「また会おうぜ!」と言ってたし。
来年あたり、後期高齢者ツアーを!
ところで、小田さん74歳。私は66歳。
8つの年齢差は絶対縮まらないが、止まることのない時の流れの中で、私も来年は67、再来年は68と、1年ずつ歳を重ねてその74歳に近づいていく。8年後だね。
歳を重ねることは、やがて絶対にやってくる死に近づくこと。
死に向けて歳を重ねることは嫌で怖いが、時は絶対止まらない。
死んでしまえば歳を重ねることはなくなり、加齢の恐怖も死の恐怖もなくなる。
うーん、パラドキシカルだ。
生きている限り死なない。死んでいない限り生きている。
これもパラドキシカルだな。
とりあえず、今日は元気です。
それでいいんだね。
<追 記>
ふと思い出した。
母が亡くなったのが2009年10月。約1年半後、2011年3月11日に東日本大震災。
震災からしばらくして、伯母(母の姉)と会った時に、こんな話を聞いた。
「あの地震の時は本当に怖かった。思わず「あー、あやちゃん(母の名前)、こんな思いをしなくてよかったねえ(うらやましい、だったか)」と言ってしまった」。
既に墓の下にいる母には、なるほど大地震の恐怖は感じるべくもなかっただろうが、死んじゃってるわけで、生きて怖い思いをするのとどっちがいいのか・・・。
亡き妹に呼びかけた伯母の着想を面白く思ったものだった。
その伯母も今は亡く、新型コロナウイルスのこの状況を知らない。