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69歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

ミシェル・プラッソン 日本ラストコンサート Au revoir!

15日(木)、東京オペラシティコンサートホールで行われた、ミシェル・プラッソンの日本ラストコンサートを聴いた。

 

プラッソンという指揮者は、EMIから何枚もレコードを出していたのでもちろん知っていたが、格別ファンだったわけではない。実演もたぶん聴いたことがなかったと思う。

今回は、日本でのラストコンサートだということと、プログラムに惹かれてチケットを買い求めた。

「Au revoir!」は、フランス語で「さようなら」の意味らしい。

 

ミシェル・プラッソン 日本ラストコンサート Au revoir!

日 時 2024年8月15日(木) 13:00開場 14:00開演

会 場 東京オペラシティコンサートホール

指 揮 ミシェル・プラッソン

ソプラノ 大村博美

バリトン 小森輝彦

合唱指揮 大島義彰

合 唱 二期会合唱団

オルガン 石丸由佳

管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団

曲 目 ラヴェル 組曲マ・メール・ロワ

    ラヴェル バレエ「ダフニスとクロエ」第2組曲

    フォーレ レクイエム

    [アンコール] フォーレ ラシーヌ讃歌

 

 

プログラム冊子から。

 

私の席は2階C1列の23番。

 

このラストコンサートは、13日(火)のサントリーホールとこの日の2回公演。

プラッソンのリハーサルの模様や、サントリーホールの演奏会については、旧Twitterで見ていた。

これが正真正銘のラストということになる。

 

合唱団はオケと同じステージの奥。プログラム冊子のメンバー表によると、各パート10人ずつの40人。

ヴィオラのトップは須田祥子さんだった。

プラッソンは白の上着。オケ楽員の黒と対照的で目立った。椅子に座っての指揮。

 

最初の「マ・メール・ロワ」は、つなぎのない組曲版。

5曲ともゆったりとしたテンポで、深沈とした趣の演奏だった。時にものがなしくもあった。

終曲の最後は、「ハ長調の美しさ」をつくづく感じた。

 

合唱団が入場。

椅子が増設されて弦の人数が増えた。

 

「ダフニスとクロエ」第2組曲

マ・メール・ロワ」は全曲演奏が好きで、組曲だと物足りなく感じるが、「ダフニス」については全曲よりも第2組曲の方が好きだ。

(ついでに、ストラヴィンスキーの「火の鳥」も、全曲より組曲を好む)

 

この「ダフニス」は、「マ・メール・ロワ」とはだいぶ印象が違い、1つ1つの音がとてもクリアに分離して聞こえた。

東京二期会主催の演奏会であり、メインがメインなので当然だが、「ダフニス」が合唱入りであるのは本当に嬉しい。

3曲ともすばらしかったが、特に終曲の追い込みには、これが聴けてよかったと思った。名演だった。

 

20分の休憩の後、メインはフォーレのレクイエム。

この曲は、大学時代に演奏したことがある。大学の合唱サークルの演奏会に、大学オケの有志が賛助参加したものだったと記憶する。確か2年生の時だったと思う。

それまでフォーレのレクイエムという曲は知らなくて、実際演奏することになって、周囲の先輩などから、曲について教えられた。ヴィオラとチェロがそれぞれ2部に分かれること(私はファーストヴィオラを弾いた)、ヴァイオリンが全曲にわたって出番があるわけでないこと、フルートの出番がほとんどないことなど。

この時、「ピエ・イエズ」はボーイソプラノだったのだが、ある日の練習が雨で、このソロを歌う少年がゴムの長靴を履いていたことが、妙に今日まで記憶に残っている。あの少年も、当時10歳くらいだったとして、もう還暦前後だろうか。

半世紀近く経つが、その後この曲を演奏する機会はない。本当に貴重な経験だったと思う。

 

昔話はさておき、ステージでの演奏、ヴィオラは4人ずつの2部だった。

この曲を実演で聴くのは初めてだっただろうか。いや、昔何か一度聴いたことがある気もする。

改めて良い曲だと思った。本当に美しい。

じっくりとした演奏だった。

「ピエ・イエズ」を歌った大村さんは、先月聴いた東京二期会の「蝶々夫人」(ダブルキャスト)で、蝶々さんを歌った(私が行った日の出演ではなかったが)。プラッソンのテンポの動きに合わせるのに少し苦心しているように感じた。

終曲は速いテンポだった。オルガンがまさに天国的だった。

 

サントリーホールでアンコールがあったことは知っていたが、カーテンコールの間、オーボエが早々に入場。

ラシーヌ讃歌」が演奏された。

この曲は、2011年の浦安市民演奏会の時に弾いたことがある。ただ、その時は、ヴァイオリンなしの編成だった。この東京フィルはヴァイオリンも演奏に加わっていた。

曲が終わって、レクイエムの時にはなかったフライングブラボー。もっと余韻を味わえばいいのになー。

その人物は「ブラーヴィ」と言っていた。コーラスに、という意図かもしれないが、それよりは「自分の声」を会場内に目立たせたかったのだろう。

 

プラッソンは1933年生まれというから90歳を超えている。指揮台から下りる時も楽員が手をさしのべていた。そんな老齢の指揮者を、日本で最後だということもあって、客席の拍手が何度もステージに呼び戻していた。

最後、コンマスが一礼してオケがはけても拍手はやまない。

おそらくネットで言う「参賀」になるのだろうと容易に予測がついた。

格別のプラッソンファンでもない私としては、再度ステージに引っ張り出されるのを見るのが忍びなく、席を立った。

階段で1階に下りたら、大きな歓声が聞こえてきたが、もちろんそのまま帰った。

 

昔話ついでに過去の恥を1つ。

フォーレのレクイエムを知って間もない時期だったと思うが、実家に帰って父母と夕食をとっていた時、ちょうどその日がクリスマスイブかクリスマスだったので、買って持っていたフォーレのレクイエムのレコードをかけたことがある。

当時の私としては、クリスマス→キリスト→教会音楽、くらいの思考回路で、わざわざレコードを取り出したのだが、今にして思えば、キリストの聖誕祭に葬式の音楽をかけるというのも無知の恥と言う他はない。

もし取り出したのが「マタイ受難曲」だったりしたら、さらに救いようがないところだが、幸か不幸かそのレコードは持っていなかった。

 

東京二期会の旧Twitterから