24日(木)、ルーテル市ヶ谷ホールで行われたクァルテット・エクセルシオの演奏会を聴きに行った。
(クァルテット・エクセルシオの演奏会に行くのは今月3回目、今週2回目)
ルーテル市ヶ谷ホールには初めて行く。市ヶ谷というところ自体日頃行くことがない。
開演前のちょうどお昼どき、どこで食べるかとさがす。ホールのある方へ橋を渡った先に見つけた大衆食堂安べゑという店に入ってみた。まぐろ刺身定食。
初めてのルーテル市ヶ谷ホール。
階段を下りたところにホール入口があるようで、既に行列ができていた。
●クァルテット・エクセルシオ結成30周年特別企画
日本民謡 八木節 ~幸松肇メモリアル~
日 時 2024年10月24日(木) 13:00開場 13:30開演
会 場 ルーテル市ヶ谷ホール
曲 目 幸松 肇 弦楽四重奏のための「讃歌」
さんさ時雨 五木の子守歌 おてもやん 八木節
箱根八里 鹿児島おはら節 黒田節 よさこい節
[アンコール] 幸松 肇 ソーラン節
券面に大きく書かれた「54番」の席をさがすが、座席表示がどうも違う。
やっと全席自由であることに気づき、急ぎB列の12番に座る。前から2列目の上手側。
この「54番」って何だったんだろう。
プログラム冊子から。
今回の曲目、ベートーヴェン以外は初めて聴く曲ばかりだ。
「幸松肇メモリアル」と表示された演奏会だが、幸松肇氏は、東芝EMIのプロデューサーの傍ら、弦楽四重奏に関する著書を多数書かれ、作曲あるいは編曲もなさるマルチな方だったそうだ。
演奏に先立って、大友(肇)先生がステージに登場し、幸松氏についてお話をされた。
クァルテット・エクセルシオ結成初期に、日本民謡集の編曲作品を演奏したのを機に関わりが生まれ、その後、エク・プロジェクトの運営にも関わってもらったとのこと。
その日本民謡集16曲の内8曲をこれから演奏するが、幸松氏作曲の「讃歌」については、だいぶ前に楽譜をもらってなかなか演奏する機会がなかったのを、ここで演奏する。
幸松氏が一昨年他界された時には、その日の午前中に電話で話したばかりだったので驚いたとの話もあった。
このメモリアルコンサートは、幸松氏への感謝を込めて演奏したい、としめくくられた。
最初は、その「讃歌」。
3つの楽章には、それぞれ作曲家の名前が付されている。ドビュッシー、ラヴェル、シベリウス、ボロディン、バルトーク。
聴いてみると、その作曲家へのオマージュという印象の音楽。
良い意味でのパロディとも感じた。
ものまね、模倣でない、この作品としての独自性を聴くことができた。
エクセルシオの先生方、いずれレコーディングして下さらないだろうか。
初めて入ったホールだが、雰囲気のある、とても素敵な空間だ。
(この写真は、クァルテット・エクセルシオのFacebookページからお借りしました)
次のコダーイも初めて聴く。
弦楽四重奏作品を幅広く紹介している渡辺和氏の「クァルテットの名曲名演奏」(音楽之友社)にも、コダーイの作品は載っていない。
楽章は2つ。
最初の楽章は、どこかドビュッシーの四重奏のような感じ。
2つ目の楽章は、民族的な印象。途中からリズミックになり、ダイナミックさを増す。バルトークを思わせる音楽だった。
全曲を通じて、どこかひなびた懐かしいテイストで一貫していた。
15分の休憩。
CDが販売されていたので、これまで持っていなかった日本民謡集を買った。
後半、また演奏前に大友先生が登場。
後半メインの日本民謡集は、編曲というよりもはや作曲と言える、とのお話。
それから、最後のベートーヴェンの12番第2楽章は、幸松氏が「もしも死ぬ前に何か1曲聴ける時間があると言われたらこの楽章を」と著書に書かれていたそうだ。メモリアルコンサートをその楽章でしめくくりたい、と。
第1集から第4集(各4曲)まで作られた日本民謡集から、8曲が選ばれて演奏された。
大友先生が言われていたように、単なる編曲以上のものがあると思いながら、どれも面白く聴いた。
「八木節」では、楽器を叩いたり奏者が声を出したり。
結成30周年にあたってさまざまな企画で演奏されているクァルテット・エクセルシオだが、このメモリアルコンサートは、特にやりたい企画だったのではないか、と思った。
最後はベートーヴェン。
先生方の幸松氏への気持ちが伝わってくる演奏だった。
客席から花束が贈られたが、幸松氏の夫人だった。
大友先生からマイクが渡されて、一言話された。
エクセルシオが各地で日本民謡集を弾くのを幸松氏がとても楽しみにしていた、とおっしゃっていた。
しみじみとした空気が会場を包んだ。
最後にアンコールとして「ソーラン節」が演奏されて終演。
その直後に事件が起きた。
私の席の前列に2つ空席があった。同じ列にいた知人によると、A列の13番に座った男性客が、自分の両隣の席にプログラム冊子(入場時に自分でピックアップする方式)を置いて確保する形にしていたらしい。
「讃歌」が終わった時に、遅れて入場してきた女性客が空席と思って来て、物が置いてあるのであきらめて下がって行った。
さらに休憩時、男性客が、A列13番の男性客に、ここは空いていないのか、誰か来るのか、と聞きに来ていた。
終演後の事件とは、休憩時に来た男性客が、A列13番の男性客のところに来て、ものすごい剣幕でどなり出したのだ。
さっき聞いた時に、ここは空いていないと言ったが、誰も座らなかったじゃないか、というわけだ。
1対1で静かに苦情を言うならまだしも、会場中に響き渡る大声で長々とわめき続けていた。
せっかくの演奏会の気分が壊れたこと、甚だしかった。
おそらく客席にいた幸松夫人も、このどなり声を聞いただろう。
確かに、座りもしない席を、プログラム冊子を余分に取って確保したのなら、A列13番の男性客も良くない。またこの人は、知人によると禁じられている写真撮影をしたり、マナーが良くなかったらしい。
しかし、どなりに来た男性客にしても、今さら文句を言ったところで、終演してしまったのだから、どうにもならないのに、と思いながら会場を出た。
「お前(A列13番の男性客)なんか音楽を聴く資格はない」というような言葉が聞こえてきたが、むしろ、このメモリアルコンサートの気分を関係ない聴衆まで巻き込んで破壊する行為の方が、よほど音楽を聴く資格がないぞ、と嫌な気持ちだった。
誠に残念だった。