若い頃は、まだまだこの先、いくらでも時間があるように思っていた。
学生の頃はもちろんだし、社会人になってからも、30代半ばくらいまではそう思っていたような気がする。
やりたいことをやる時間はまだまだある、と。
しかし、その後、仕事がますます忙しくなってきたりして、気がつけば10年くらいはあっという間にたっている。
で、思ってみればもう50歳に到達している。
30歳からここまで20年。同じだけ過ぎれば自分も70歳。
現実味をもっては考えられないが、ともかく、「いくらでも時間がある」訳ではないことは確かだ。
以前、小田(和正)さんが、会員購読している「FAR EAST CAFE PRESS」の紙上インタビューで、今後のアルバム作りや活動について問われて、「50歳過ぎると、自分の人生を、足し算じゃなくて引き算で考えるようになる」といった趣旨のことを話していた。
当時もなるほどと思って読んだが、いざ自分がその年齢になってみると、ますますその実感を持つ。
例えばレコードで聴くクラシック音楽についても、今後どれだけの量を聴けるのか、と考えると、いきあたりばったりに聴きたいものを聴いていくだけではまずいかな、などと思う。
若い頃は、いくらでも時間があると思っていたから、死ぬまでには、かなりのレパートリーを制覇できるような気がしていたが、ここまでくると、つまり気分次第にというだけでなく、ある程度計画的に聴いていかないと、聴かずに終わる音楽が残ってしまう、ということを考えたりする。
いつかは聴こう、また、いつかは聴けるだろうと思っていたものを、意識的に聴いていかないと、チャンスがないまま終わってしまうのでは、ということを思う。
これまでチャンスがなかったということは、量的にボリュームがあるものなどが多い。
例えば、ある作曲家のある曲種の制覇。
ハイドンの全交響曲。
輸入盤で、フィッシャー指揮の全曲盤が、1万円そこそこで買える今日である。一度、端から端までひとわたり味わってみたい。
また、同じハイドンで、全部は無理でも主な弦楽四重奏曲も。
ベートーヴェンについては、彼の生涯の作品の中核をなすと言われている、交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノソナタの内、前二者は、これまでに全曲にずいぶんと親しんだものだが、ピアノソナタに関しては、いまだに全部を知らない。
一応、グルダのアマデオ盤の全集は持っているので、これなども、来年あたりは順次きちんと聴いていかないといけない。
もちろん、聴きたくもないものをわざわざ聴くことはない。自分にとっては興味がありつつ、まだ手が出ずにいるものでなければならない。
現時点での私の興味度合いでいうと、ショスタコーヴィチの交響曲、弦楽四重奏曲は、ごっそり未聴(カルテットなどは1曲も聴いたことがない)だが、何か、いかにもクラそうなので、これらは今後聴くことなく人生を終えても別に惜しくはないかなと思っている。
一方、ショスタコーヴィチと並んで、ベートーヴェン以来の弦楽四重奏曲の傑作群と言われている、バルトークの6曲は、スコアも持っているので、これからもっと深く聴き込んでいきたい方に属する。
ある作曲家、ということだと、興味はありつつこれまで今一つ深入りしてこなかった、一部の曲はずいぶん聴き込んでいるのだが、その作曲家の全体像にはふれたと言い難い人として、私の場合は、まずシューマン。
シューマンは、一度、室内楽、ピアノ曲、歌曲を重点的に聴いてみたい。
ドヴォルザークもそういうところがある。一部の有名曲は繰り返し聴いているのだが、1番から6番の交響曲を始め、他の曲はよく知らない。
あと、量的に、というと、何といっても、ワーグナーの「リング」である。
これなど、いつかその内に、の最たるものだ。
何せ、ストーリーからして複雑そうで、なかなか敷居が高い。
LP時代も、CDの今も、全曲盤を持っていない。
メータの「ワルキューレ」1幕だけは持っていて聴いたことがあるが、それだけだ。
今は映像ソフトが豊富な時代なので、全曲を買うならDVDかな、と思っている。
レヴァインのメト盤がよさそうだと思ってはいて、最近廉価盤で再発売になった時、買ってしまおうかとだいぶ迷った。
しかし、やはり「買っても視聴する時間が確保できるのか」と思うと躊躇してしまい、見送ったままになっている。
会社生活を離れて、自由な時間ができてからでもいいか、と思ったり、ワーグナーは、聴くエネルギーがある年齢の内に、と思ったり、なかなかふんぎりがつかない。
ワーグナーと言えば、いずれはバイロイトへ行って、「リング」でなくても何か観てみたいものだと、学生の頃から思っている。
極度のワグネリアンではないが、一つの夢ではある。
実現しそうにないが・・・。
そんなこんな、思いつつ、年も改まることだし、これらの内いくつかについては、少し意図的に取り組んでみたいものだ、と少し考えている。