naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

89年2月26日・・・オフコース 「The Night with Us」 東京ドーム

今日は2月26日。
オフコースの最後のライブが東京ドームで行われたのが、89年2月26日のことだった。
あれから18年たつ。

(話はそれるが、この年の1月7日に崩御した昭和天皇の、大喪の礼が行われたのが2日前の2月24日。私にとっては、喪失感の大きいイベントが続いた)

私がオフコースのライブに初めて行ったのは、そこから約10年さかのぼる79年8月4日の田園コロシアム。雨の中の野外ライブだった。5人の時代だ。
以後、ツアーのたびに聴きに行った。
82年に鈴木(康博)さんが脱退し、4人になった時は、これからどうなるのだろうと思ったが、84年に活動が再開された。
4人での最後のツアータイトルは「STILL a long way to go」。最後となったオリジナルアルバムと同じだ。
ツアーが行われている最中に、入会していた「オフコースクラブ」から封書のDMが届いた。
何だろう、と思って開けてみると、「オフコースはこのツアーの終了をもって解散します」と書いてあった。あの時の衝撃は忘れられない。

最後の最後、東京ドームで一夜限りのライブ、「The Night with Us」を行うとの告知は、確かそのDMに書かれていたのだったか。
どうやって手に入れたか忘れてしまったが、4枚のチケットを入手し、妻と、オフコースファンだった、会社の女子社員夫妻と4人で行った。

さすがに東京ドームは異様な雰囲気だった。
暴動でも起こるのではないか、というのはおおげさだが、今からある時間がたてばライブはどんなにいやでも終わるしかないのであって、その最後の最後の時、客席の聴衆はそれをどう受け入れるのだろう、収拾がつくのだろうか、と思った。自分自身がどんな心境でその時を迎えるのかも想像がつかなかった。
アーティストの解散コンサートとしては、東京厚生年金会館に、グレープのラストツアーに行ったことがあるが、あれは本当に最後の公演ではなかった。これは正真正銘最後なのだ。

この一夜限りのライブ、曲目はもちろん、直前のツアーとは違った。

オープニングは、グレンミラーの「ムーンライト・セレナーデ」が流れた。
場内騒然とする中、メンバーが登場して、1曲目はいきなり「緑の日々」。
そして続く2曲目は、直前のツアーでは本編の最後に演奏されていた「君住む街へ」。
このあたりで、私はもう涙がボロボロあふれていた。

mixiオフコースのコミュニティに、当日の曲目リストが投稿されていたので、転載させていただく。

  緑の日々
  君住む街へ
  LAST NIGHT
  夏の日
  こころは気粉れ
  逢いたい
  時に愛は
  言葉にできない
  きかせて
  たそがれ
  夏の別れ
  IT’S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU)
  she’s so wonderful
  君が、嘘を、ついた
  ぜんまいじかけの嘘
  Tiny Pretty Girl
  YES-YES-YES
  生まれ来る子供たちのために

  ●アンコール
  Yes-No
  眠れぬ夜
  愛を止めないで
  いつもいつも

ふだんのツアーが、直前リリースのアルバムの曲中心で構成されてきたのに比べると、やはり最後のコンサートという選曲だ。

4人になってからは聴いたことがなかった曲としては、「きかせて」、「時に愛は」、「生まれ来る子供たちのために」。
特に「きかせて」は嬉しかった。

そして何と言っても、「言葉にできない」。
今では、ライブでしばしば歌われるこの曲だが、私の記憶に間違いがなければ、この時の演奏は、ビデオソフトとしても発売されている82年6月30日の武道館、小田(和正)さんが歌えなくなってしまった有名なあのライブ以来。4人のオフコースとしては最初で最後だったと思う。
イントロが始まったところで、場内にハッとした空気が流れたのを覚えている。
長いこと封印してきた曲を、このラストライブに限って歌う決心をしたのかな、と思った。
この日も曲の途中で、7年前同様に小田さんが声を詰まらせてしまった。
曲が終わった後に、「だからこの曲はやりたくなかった」というようなMCがあった。

終盤にさしかかるにつれて、「終わりの時」が近づいてきているという、どうにもやるせない思いがどんどん募った。

アンコールは、本編でやらなかった以上は、絶対やるに違いない、やらないで終わる筈がない、オフコースのライブの定番3曲。つまり、これらがまだ歌われない内は、まだ終わらない、と思って聴いていた。
しかし、「Yes-No」が終わり、「眠れぬ夜」という順序で演奏され、「愛を止めないで」が始まった時、これでもうこの後に残る曲はないな、と覚悟した。

「愛を止めないで」の曲締め、(大間)ジローさんが、最後のアコードの前に、タメのソロを入れる。もちろん、「のがすなチャンスを」でのドラムソロほど長いものではないが、オフコースの晩年、このドラミングは長くたたく傾向があった。
この日もずいぶん長くて、「ああ、このままたたき続けてくれたら、オフコースも終わらないのに」と思ったのだった。

しかし、曲は終わり、最後の最後は、予想していた「いつもいつも」をアカペラで。
この曲をやられては、さすがにあきらめざるを得ず、客電が入って、席を立ったが、本当に悲しかった。

あれから18年。

5人のオフコースが、79年から82年までの3年間。
4人のオフコースが、活動再開の84年から89年までの5年間。
小田さんがソロ活動を続けて現在に至るまでの期間は、それを合わせた倍以上になった。
小田さん以外のメンバーも、それぞれに活動している。

あの日の涙は涙として、その後、私は小田さんのソロツアーには欠かさず通って楽しんでいる。
先日も書いたが、最近はテレビにも出るし、そこでの若いアーティストたちとのコラボレーションを見ると、いい歳のとり方をしていると思うし、長く活躍することの稀有な貴重さをすばらしいと思う。
小田さんも、聴いているこちらも元気でいればこそ、あの東京ドームで泣いたことが終わりではなく、こうしてその後の新たな楽しみを得させてもらえているわけで、生きるということ、時間の流れというものについて、考えさせられもする。

ところで、オフコース関連のサイトでは、再結成を望むか、というテーマの意見交換が行われたりしている。
アリス、チューリップ、ゴダイゴなど、再結成して活動したバンドも少なくない。チューリップは、今やっているツアーが最後らしいが。

オフコースをもう一度聴いてみたいか?
これは私個人としては非常に悩むところだ。
やってほしい気もするし、やってほしくない気もする。
一つ言えることは、もし再結成するのであれば、5人のオフコースが見たい。
やはり、小田さんと鈴木さんのコンビネーションがあってこそのオフコースだと思うからだ。

そんな日がくるだろうか。

ともかく、明日あたり、久しぶりにオフコースのアルバムを何か聴いてみよう。