3月は異動を控えて土曜日は出社続き、先週の7日も、実家父の病院つきそいだったので、土曜の午前に家でだらだらしているというのは、本当に久しぶりのことだ。
ということで、今日はとりあえず、レコードとDVDを流しながら、たまった古新聞と古雑誌を、明日地元のボーイスカウトがとりにくる廃品回収に出すのが、主な予定。
で、まずかけたのが、ハイティンク=コンセルトヘボウのショス5。
今度の本番で弾くということで、ショス5の音源もあれこれ買い集めているが、これもその1枚。
福島章恭氏が、著書「交響曲CD絶対の名盤」でほめていたこともあって、買った。
今度の本番で弾くということで、ショス5の音源もあれこれ買い集めているが、これもその1枚。
福島章恭氏が、著書「交響曲CD絶対の名盤」でほめていたこともあって、買った。
今日初めて聴いたのだが、いやびっくりした。
この5番という曲を、こんなふうに演奏できるものか。
以前、ショスタコーヴィチなど近現代の音楽を、口当たりが決してよくない食べ物にたとえた。
このハイティンクの演奏は、その口当たりのよくない部分をナマのまま出してくるのでなく、ベートーヴェンやシューベルト、ブラームスと続いてきた、交響曲の系譜を意識して、その中に位置づけているような感じがする。
以前、ショスタコーヴィチなど近現代の音楽を、口当たりが決してよくない食べ物にたとえた。
このハイティンクの演奏は、その口当たりのよくない部分をナマのまま出してくるのでなく、ベートーヴェンやシューベルト、ブラームスと続いてきた、交響曲の系譜を意識して、その中に位置づけているような感じがする。
本来刺激の多い、このシンフォニーが、非常にノーブルな感じに響く。全曲を通じて基本的に静謐な印象の演奏だ。
この曲にこういう演奏の仕方があるのか、と感じ入った次第。
この曲にこういう演奏の仕方があるのか、と感じ入った次第。
非常に特色のある演奏だ。