naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

「昔はなかったもの」~家庭用ビデオ録画機

この「昔はなかったもの」を書いていると、「よく昔はこんな状態で我慢していたな」と感じることが多い。
便利になると、すぐそれに慣れてしまって、元には戻れなくなってしまうのだ。

あるいは、「そういうことができるとは想像もしていなかった」ということもある。不便を我慢するとかでなく、そんな便利が手に入るとは思っていなかった、という次元の話。

家で、テレビ番組を録画して後で好きな時に見られる、というのは、まずはその後者の代表ではないだろうか。

私の世代の場合、テレビの放送そのものが録画でなく、ドラマなどでも生放送であることが多かった。
以前何かで読んだが、昔のテレビ局では、ビデオテープが高価だったから、録画ものの放送をする時も、同じテープに次の番組を上書き録画して使っていたという。
だから、貴重な昔の名番組のビデオが残っていなかったりするのだそうだ。
放映側自体が、録画を気軽にできる状況ではなかったのだ。

そんな感覚でテレビを見ながら育った者にとって、自分の家で番組を録画保存できるようになるとは、やはり思いもしなかった。

録音、というのはあった。子供の頃はオープンリールのテープレコーダー、そして世界統一規格のカセットテープが出始めたのは、私が中学3年から高校入学にかけての頃だった。70年、71年頃だ。
その発想を延長すれば、家でも録画、という話になるのだが、やっぱり思いもよらないことだったと言わざるを得ない。

私の実家でビデオデッキを買ったのが、確か84年(昭和59年)頃だったと思う。
当時私は千葉の現場事務所勤務で、事務所宿舎に寝泊まりしていた。テレビも前の年にやっと白黒からカラーに買い替えたという時だ。
実家に帰省したら、ビクターのビデオデッキがあって、へえ、と思ったものだ。当時はVHSとβの2つの規格があったが、実家のデッキはVHSだった。

その後、市販のビデオソフト、オフコースの82年6月30日の武道館ライブだとか、ユーミンのライブだとかを買って帰って見たりもした。
(余談になるが、当時のビデオソフトは、まだデッキの普及が進んでいなかったためだろう、1本18,000円とか12,000円とか、目の玉が飛び出るほど高かった)

ともかく、番組を録画して後で見るという、それまでまったく想像もしていなかった世界が実現すると、今度は、冒頭に書いた前者、「よくまあこれまで我慢していたもんだ」の方を痛感する。

だって、ですよ、若い方には想像できないかもしれないが、それまでテレビっていうのは、「見たければ、自分がその時間にテレビの前にいなければいけないもの」だったのだ。
そして、テレビは一家に1台しかない時代だったから、別の番組が見たいと思っても許され(笑)なかった
(これを当時は「チャンネル争い」と言った。チャンネル争いのケンカの末に、家族同士での刃傷沙汰なんて事件が新聞に載ったりしていたのだ)。

そうしたことが、ビデオデッキの出現で、革命的に解決したのだ。

ビデオデッキ自体の機能も、長足の進歩を遂げてきている。

84年に実家に入ってきたビデオデッキは、テレビの画面を見ながら早送り巻き戻しをすることができなかった。
だから、今では笑ってしまう話だが、「勘」で、大体このへんかな、と、早送り巻き戻しをストップするのだが、思ったところよりもずっと進んでしまっていたりして、また巻き戻すとか、そんなことをしていたものだ。

後年、自分で買ったビデオデッキに、デジタル表示がついていて、進んだ時間、戻った時間が表示されるのを知った時、これはすごい!と心底感心したものだ。

ビデオデッキの進歩で、一番劇的だったのは、ハードディスク方式になったことだろう。

一つ。ビデオテープの残量を計算して録画予約をする必要がなくなった。
旅行などで家を長期に空けるような時、それまでは大変だった。160分のテープを3倍モードで使っても8時間が限度。おさまりきらない分は、実家に頼んで録画してもらうとかやっていた。

二つ。今何かを録画していても、録画済みのものを見られる。これって、今はほんとに当たり前の感覚になっているが、つい最近までできなかったのだ。テープを入れ替えられないのだから。
例えば、会社から家に帰ってきて、その日の相撲の録画を見ようにも、別のドラマを22時まで録画中だったら、それが終わるまで見られない。
よくそれで我慢できたものだと、今にしてみれば思うが、これも、そんなことができるようになるなんて、想像もしていなかったのだから、仕方がない。

便利に慣れれば、ますますぜいたくになっていく。そして元の生活には戻れない。
技術の進歩というのはありがたいものだと思うが、その反面、ちょっとこわいものを感じたりもする。