この日が開会式に決まったのは、統計的に晴天が多かったからだと聞いたことがある。
07年の今日の東京も、朝は曇っていたが、その後きれいに晴れた。
07年の今日の東京も、朝は曇っていたが、その後きれいに晴れた。
敗戦から19年。戦後の日本にとって、最初の国際的大イベントだった。
世界中の国々から、外国人が日本にやってくる。
それ自体が初めてで、国を挙げての大騒ぎだったと、子供心に記憶している。
それ自体が初めてで、国を挙げての大騒ぎだったと、子供心に記憶している。
新聞に、「みんなで外国からのお客さまをお迎えしましょう」みたいな趣旨で、簡単な英会話の連載が載っていたのをおぼえている。
私の通っていた小学校では、必要に応じて授業中にオリンピックを生徒に見せるため、全教室に、それまでなかったテレビを設置した。
家庭で空いているテレビがあれば、拠出してくれとの呼びかけがあったように記憶する。
家庭で空いているテレビがあれば、拠出してくれとの呼びかけがあったように記憶する。
開会式のその日は、土曜日だった。
午前中は授業があって、昼前に帰宅。昼食を食べながら、テレビで開会式を見た。
その昼食が、鯖の味噌煮と、母がよく作ってくれていた、短冊状のにんじんや、玉ねぎが入った塩味のスープだったことを、昨日のように鮮明におぼえている。
午前中は授業があって、昼前に帰宅。昼食を食べながら、テレビで開会式を見た。
その昼食が、鯖の味噌煮と、母がよく作ってくれていた、短冊状のにんじんや、玉ねぎが入った塩味のスープだったことを、昨日のように鮮明におぼえている。
小学校3年のことで、個々の競技の記憶はあまりない。
バレーボールなどは、そんな競技の存在すら知らなかった。ルールも何もわからないが、とにかく日本女子が金メダルをとったことに喜んでいた。
バレーボールなどは、そんな競技の存在すら知らなかった。ルールも何もわからないが、とにかく日本女子が金メダルをとったことに喜んでいた。
木更津の地元の商店会で、日本が金メダルをいくつとるか予想する懸賞があった。
私は、16個と予想していたので、個々の競技の内容はともかくとして、メダルの数だけは気にしていた。
結果、16個はドンピシャ正解で、賞品に確かトランプをもらったと思う。
ちなみに、金16個は、04年のアテネと並んで過去最多である。
私は、16個と予想していたので、個々の競技の内容はともかくとして、メダルの数だけは気にしていた。
結果、16個はドンピシャ正解で、賞品に確かトランプをもらったと思う。
ちなみに、金16個は、04年のアテネと並んで過去最多である。
今、あの東京オリンピックを思い出すと、色々な意味で、時代が変わった、価値観が変わったことを痛感する。
何と言うのか、あの時は、本当に国を挙げて、オリンピックで一体となっていたんだよね。
今では、何か一つのことに国民がこぞって夢中になるなんてことは考えられない。
今では、何か一つのことに国民がこぞって夢中になるなんてことは考えられない。
それは、要するに、日本人にとって、情報源が限られていたことと、価値観が単一だったということによるのだろう。
テレビがやっと広く普及し始めていたこの時代、国民にとっての情報源は、新聞、テレビ、ラジオくらいしかなかった。
今のように、インターネットで、何でも手元で検索できるなんてことは、まったく想像もできなかった頃だ。
限られた情報メディアが、オリンピック、オリンピックと騒げば、北海道から九州まで、オリンピック一色になるのも当然だ。
これは、戦時中の大本営発表とそんなに違わない話だと思う。限られた情報しかなければ、大衆は情報操作されやすい。
もちろん、オリンピックについては、それがいい方に動いた例だと思う。
テレビがやっと広く普及し始めていたこの時代、国民にとっての情報源は、新聞、テレビ、ラジオくらいしかなかった。
今のように、インターネットで、何でも手元で検索できるなんてことは、まったく想像もできなかった頃だ。
限られた情報メディアが、オリンピック、オリンピックと騒げば、北海道から九州まで、オリンピック一色になるのも当然だ。
これは、戦時中の大本営発表とそんなに違わない話だと思う。限られた情報しかなければ、大衆は情報操作されやすい。
もちろん、オリンピックについては、それがいい方に動いた例だと思う。
別のジャンルの話になるが、音楽についてもそうだ。歌謡曲、流行歌の世界では、テレビ、ラジオのどのチャンネルでも、橋幸夫や舟木一夫をやっていた。
音楽を耳にするためのメディアも限られていたから、国民的大ヒット曲、というものも生まれやすかったのだろうと思う。
今は、世に氾濫している音楽のジャンルや、それを聴くための方法も、けた違いに多様だ。
早い話、紅白歌合戦の視聴率低落は、そうした事情によると言えると思う。
音楽を耳にするためのメディアも限られていたから、国民的大ヒット曲、というものも生まれやすかったのだろうと思う。
今は、世に氾濫している音楽のジャンルや、それを聴くための方法も、けた違いに多様だ。
早い話、紅白歌合戦の視聴率低落は、そうした事情によると言えると思う。
つまり、戦時中の、よしあしは別にして、国民が一丸となっていた日本が、終戦20年足らずのあの時期、まだまだ色濃く残っていたということなのだと思う。
国としての求心力、一体感があったということだろう。
それに比べると、今の日本は、はるかに多様で、拡散的だ。
国としての求心力、一体感があったということだろう。
それに比べると、今の日本は、はるかに多様で、拡散的だ。
そんな時代の変化を、オリンピックにからめて一つ言えば、開会式の入場行進が、そもそも当時と今では大違いだ。
古関裕而氏の名作、「オリンピック・マーチ」に合わせて、どの国の選手団も足並み整然と行進していた、東京オリンピック。
今のオリンピックで、行進曲に合わせて行進する国などない。
古関裕而氏の名作、「オリンピック・マーチ」に合わせて、どの国の選手団も足並み整然と行進していた、東京オリンピック。
今のオリンピックで、行進曲に合わせて行進する国などない。
・・・今日の10月10日、50代の者らしい、そんな今昔の感にとらわれたりした。
ところで、小学校3年生の我々を前に、学校の先生がこう言ったのをよくおぼえている。
「日本でオリンピックをやるというのは、大変なことなんだ。もう君たちが生きている間にこういうことはないかもしれない。だから、よく見ておくんだよ」
「日本でオリンピックをやるというのは、大変なことなんだ。もう君たちが生きている間にこういうことはないかもしれない。だから、よく見ておくんだよ」
実際には、その後、札幌と長野で冬季大会が開催されているが、確かに夏の大会はない。
賛否両論のある東京招致だが、私としては、賛成に1票だ。