naokichiオムニバス

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ケンカは自分のところでやってくれ。聖火リレー

今日26日(土)、長野で北京オリンピック聖火リレー

物が投げ込まれたり、コースに乱入して取り押さえられる者がいたり。

チベット情勢についてはよくわからないし、政治的、あるいは宗教的なことについて書こうとは思わないが、それは別にして言いたいことはある。

聖火リレーは、今年、「中国で行われる」オリンピックのためのものだ。
それは事実だ。

しかし、オリンピック自体は、政治とは無関係に、世界中のアスリートが技と力を競うイベントだ。

政治的な主張がどうあれ、宗教的な主張がどうあれ、祭典の象徴とも言うべき、聖火をターゲットにすることが妥当であるのか。

政治的、宗教的な主張は、別の場でやるべきではないのか。

少なくとも、日本が、日本人が、チベット情勢について、何か明確な立場で主張していない中、今日の長野の聖火リレーについて、中国人であれ、チベット人であれ、ああやって沿道に陣取って、デモンストレーションをすることに意味があるのか。

星野仙一監督を始めとするアスリート系のランナー、そして一般応募のランナーに、大きな恐怖を与えながら走らせることに、一体どういう意味があるのか。

関係ないじゃないか、日本人。
ケンカは自分たちでやってくれればいい。何で、この長野でやるんだ?

パリを始め、道中さまざまな妨害が行われてきたそうだが、聖火をターゲットにしての主張、ケンカは、やっぱりスジではないと思う。

全世界を、各国で明るく迎えてもらいながら、北京に向かって走るべき聖火。
それが、あんな警備の人に囲まれて走らなければならないとは。

何か、やっかいものが来日し、何とか次のソウルに向かって出ていってくれた、みたいな。

新聞で読んだが、立川志の輔さんが、「世界中を聖火が逃げ回っている」と評したのだそうだ。
言い得て妙だ。
そういうイメージでの聖火リレーになっていること自体がおかしいのだ。

それにしても、今日、福原愛選手にあれだけ乱入者を近づけてしまったことは、警察としては不本意だっただろう。
日本警察の求める水準としては、車道に一歩たりとも踏み込ませない、何も投げ込ませない、ということだったと思う。

たぶん、事前の警察の目標からすると、大失敗だったのではないか。
リレー終了後、「誰がうまく動かなかったのか」という反省会が行われたことだろう。