物が投げ込まれたり、コースに乱入して取り押さえられる者がいたり。
チベット情勢についてはよくわからないし、政治的、あるいは宗教的なことについて書こうとは思わないが、それは別にして言いたいことはある。
しかし、オリンピック自体は、政治とは無関係に、世界中のアスリートが技と力を競うイベントだ。
政治的な主張がどうあれ、宗教的な主張がどうあれ、祭典の象徴とも言うべき、聖火をターゲットにすることが妥当であるのか。
政治的、宗教的な主張は、別の場でやるべきではないのか。
少なくとも、日本が、日本人が、チベット情勢について、何か明確な立場で主張していない中、今日の長野の聖火リレーについて、中国人であれ、チベット人であれ、ああやって沿道に陣取って、デモンストレーションをすることに意味があるのか。
星野仙一監督を始めとするアスリート系のランナー、そして一般応募のランナーに、大きな恐怖を与えながら走らせることに、一体どういう意味があるのか。
関係ないじゃないか、日本人。
ケンカは自分たちでやってくれればいい。何で、この長野でやるんだ?
ケンカは自分たちでやってくれればいい。何で、この長野でやるんだ?
パリを始め、道中さまざまな妨害が行われてきたそうだが、聖火をターゲットにしての主張、ケンカは、やっぱりスジではないと思う。
全世界を、各国で明るく迎えてもらいながら、北京に向かって走るべき聖火。
それが、あんな警備の人に囲まれて走らなければならないとは。
それが、あんな警備の人に囲まれて走らなければならないとは。
何か、やっかいものが来日し、何とか次のソウルに向かって出ていってくれた、みたいな。
それにしても、今日、福原愛選手にあれだけ乱入者を近づけてしまったことは、警察としては不本意だっただろう。
日本警察の求める水準としては、車道に一歩たりとも踏み込ませない、何も投げ込ませない、ということだったと思う。
日本警察の求める水準としては、車道に一歩たりとも踏み込ませない、何も投げ込ませない、ということだったと思う。
たぶん、事前の警察の目標からすると、大失敗だったのではないか。
リレー終了後、「誰がうまく動かなかったのか」という反省会が行われたことだろう。
リレー終了後、「誰がうまく動かなかったのか」という反省会が行われたことだろう。