25日(日)、いよいよ吉田操アルトリサイタルの本番である。
前夜からの雨は結構強い降りで、これからの本番に向けてちょっと気持ちが盛り上がらない。
しばらくして吉田先生が到着され、ステージセッティング。
普通の声楽のリサイタルのように、中央に歌手、その少し下手寄りにピアノ。
ヴィオラの私は、ピアノの前、少しステージ寄りに椅子に座って演奏することになった。
ヴィオラを使う曲からリハーサル開始。
舞台では他の曲のリハーサルが続く。その間、私は楽屋に移動して一人でさらった。
普通の声楽のリサイタルのように、中央に歌手、その少し下手寄りにピアノ。
ヴィオラの私は、ピアノの前、少しステージ寄りに椅子に座って演奏することになった。
ヴィオラを使う曲からリハーサル開始。
舞台では他の曲のリハーサルが続く。その間、私は楽屋に移動して一人でさらった。
気になっていた雨は、開場が近づくにつれて幸い小降りになってきた。
妻の母、妻の叔母(母の妹)とその家族が到着。
実家の母、伯母(母の姉)も雨の中来てくれた。
伯母は音楽教師をしていたので、寺内昭氏のことはよく知っているそうだ。
妹からは会場に花が届いた。
実家の母、伯母(母の姉)も雨の中来てくれた。
伯母は音楽教師をしていたので、寺内昭氏のことはよく知っているそうだ。
妹からは会場に花が届いた。
そして本番。
まず、寺内作品2曲が歌われた。
次の「春に寄する六つの歌」からの3曲がヴィオラの出番だ。
次の「春に寄する六つの歌」からの3曲がヴィオラの出番だ。
時は五月
かぜのバラ
群舞
かぜのバラ
群舞
会場には、寺内昭氏の奥様がみえていた。
ピアノの脇に自分で譜面台と椅子を出す。
最初の2曲で会場内がなごんだ雰囲気になっていたので、あがるとか緊張するとかいう感じはなく、椅子に座った。
いよいよ・・・!
歌、ピアノと一緒とはいえ、ヴィオラパートはソロだ。
ソロと言えば、私にとっては、昨年12月の浦安市民演奏会での忌まわしい記憶がある。
あがっているつもりはまったくなかったのに、弾き始めたら、練習では一度もなかったような悲劇的な音が出た、「マノン・レスコー」間奏曲のソロ。
あれは今もって心の傷(笑)になっている。
ソロと言えば、私にとっては、昨年12月の浦安市民演奏会での忌まわしい記憶がある。
あがっているつもりはまったくなかったのに、弾き始めたら、練習では一度もなかったような悲劇的な音が出た、「マノン・レスコー」間奏曲のソロ。
あれは今もって心の傷(笑)になっている。
あがっていないつもりだが、弾き始めたらどうなのか・・・?
しかし、幸いにも、練習の時通り普通に音が出た。
ほっとした。
ほっとした。
「あがっていないつもりでも、音を出すまではわからない」と想定しつつ弾き始められたこと自体、あの時の苦い経験がプラスに働いたようだ。
以後はまずまず。
部分部分ではうまく弾けないところもあったが、それはいつものオケの本番でもあること。
トゥッティの中で弾くオケでの普段の本番程度には弾けた。
部分部分ではうまく弾けないところもあったが、それはいつものオケの本番でもあること。
トゥッティの中で弾くオケでの普段の本番程度には弾けた。
自分個人としては、この演奏会の話があってから結構不安もあったのだが、結果、まずまずだったかな、という感じで終わることができた。
休憩後、オペラからの3曲。
そしてアンコール。再度の出番だ。
ステージに出て行くと、客席から私にまで花束が!
ステージに出て行くと、客席から私にまで花束が!
会場も盛り上がっていたので、のびのび弾けた。
次に、吉田先生から「会場の皆さまもご一緒に歌いましょう」と、「故郷(ふるさと)」。
これも、ヴィオラがオブリガードを弾いていいことになっていたが、直前に決まったため、こちらはアドリブ。客席の歌を聴きながら、これは結構楽しかった。
これも、ヴィオラがオブリガードを弾いていいことになっていたが、直前に決まったため、こちらはアドリブ。客席の歌を聴きながら、これは結構楽しかった。
最後に、先生の歌だけで「この道」。
終演のこの頃には雨も止み、薄日もさしてきていた。
ステージをかたづけ、たくさんいただいた花など荷物を整理し、吉田先生ご一家とお茶を飲んで解散となった。