naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

あれから10年~1998年(平成10年)

今年は2008年、平成20年。

その10年前の1998年、平成10年は、私にとっては色々な意味で記憶に残る出来事があった年だ。

今日はふと、10年前のことをあれこれ思い出した。



2月。

郵便番号が5ケタから7ケタに。

長野オリンピック
ラージヒル団体の金メダル。原田選手の「船木ぃ~、船木ぃ~」。

当時私は、会社では労働組合の副委員長だった。いつも全国各地を出張で歩いていた。
この年、2月下旬のある週、春闘の要求案のオルグで、名古屋→福岡→北九州→熊本とまわったのだが、名古屋から福岡に出発する朝、荷物を持つ拍子か何かに踏ん張った時、ズボンの股間の部分が「ビリッ」と言って10センチ近く破れてしまった。
繕う道具も技術も(笑)なく、以後3日間、座る時にはコートで下半身を隠しながら何とか過ごしたのだった。
九州支部の事務局長の車で移動したのだが、熊本を走っていて、「この近くに森高千里の実家があるんですよ」と教えてもらったのをおぼえている。

4月。

妻が患って入院。
春闘のまっさかり、会社との団体交渉を重ねるさなかのことだった。
忘れられない大変な経験だった。
郷ひろみの「ダディ」が発売され、日本橋丸善で買い求めて、病室に届けた。

ジャイアンツは快調なすべりだし。移籍してきた金石投手がいい仕事をしていた。
でも、この年、優勝はベイスターズだったんだよな。

7月。

和歌山毒物カレー事件。

そして何と言っても最大の事件は、浦安オケの定期演奏会での大ポカ。

メインは、ベト7だった。
フィナーレのコーダで、チェロバスのオスティナートに乗って、各パートがうずまき音型のかけあいになるが、この部分で落ちた。休んでまた弾き出すタイミングを逸したのだ。そして、しばらくはいあがれなくなってしまった。
トップの私だけが音を出せずに、呆然としながら過ごしたあの時間は忘れられない。
本番でこれだけのミスは初めてだった。トップサイドに座っていたのが、先週のオケ練の時、新浦安駅で偶然会ったKさん。演奏が終わって、カーテンコールの間、舞台の上で平謝りしたものだ。
(あ、あさっての本番でお手伝いいただくエキストラの中に、その時おられた方が二人・・・)

この定期演奏会、妻の入院があって、練習への出席率が悪かった。加えて、本番前日に親戚の通夜があり、GPに出られなかった。
やはり練習は正直だと、その時痛感した。

以前書いたが、大学に入って楽器を始めるにあたり、ヴィオラを選んだ時に、ベト7を弾きたい、というインスピレーションがあった。
以来24年経って初めて訪れたベト7の本番だったのだ。なのに。
いつか自分のオケか、よそのオケでいいから、ベト7をもう一度弾いて、あの時の落とし前をつけたい、と思っているのだが、いまだそのチャンスは来ない。

 ※その過去記事「音楽「自分史」~ヴィオラとの出会い」
    http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/16718683.html

8月。

夏の甲子園
横浜高校春夏連覇松坂大輔
あの夏の大会は、まさに、野球マンガが現実になったような、ドラマチックな展開だった。
準々決勝、PL学園戦。松坂、延長17回を完投。
準決勝、明徳義塾戦。残り2イニングで0-6のビハインドからの大逆転サヨナラ。松坂は、9回にリリーフ登板。
決勝、京都成章戦。松坂、決勝戦ノーヒットノーラン
これほどのストーリーが現実にあるんだろうか、と思ったものだ。
また、松坂は、甲子園の優勝投手がプロで大成した珍しいケースでもある。

そして、私の生活に大きな変化。
8月24日に行われた労働組合の定期大会をもって、6年間務めた専従役員を退任し、会社に復職した。
復職先は、本社の企画部。6年ぶりに会社の仕事に戻り、リハビリ勤務。

Wikipediaで調べてみたら、音楽関係では、SMAPの「夜空ノムコウ」がこの年のリリースなんですね。そんなに昔の曲なんだ。
そして、モー娘、Kiroro、浜崎あゆみ、ゆず、鈴木あみ宇多田ヒカルのメジャーデビューもこの年。みんな10年選手なんだ。

98年、そんな年でした。

十年一昔、とよくいうけど、あれからもう10年経ったんだなあ・・・。
組合を下りて、10年か。前記の、九州支部の事務局長は、今、本部の専従で事務局長をやっている。彼も私が専従をやっていた当時の年齢になった。

さて、10年後、2018年、平成30年の自分は?