naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

大先輩の訃報

今日1日(火)の夕方、会社のイントラネットに、元従業員の訃報が載った。

「とうとう・・・」と思った。

その方は、Sさんと言われる女性で、享年98歳。私にとっては、大切な人だった。

Sさんは、今から30年前、私が入社して本社の経理部に配属された時に、嘱託という形で、同じフロアの庶務部におられた。
文書の受発信など、細々とした事務を担当されていた。

その時点で68歳。新人の私から見たら、やはり、おばあちゃん、という感じだった。
明治生まれ。「社長を「君づけ」で呼べるのはSさんしかいない」と聞いたことがある。

Sさんは本当に気さくな方で、慣れぬ新人の私にも、いつも声をかけてくれた。

山歩きや音楽が好きな方で、よく音楽の話をしたものだ。
学生時代から傾倒していた、さだ(まさし)さんの話をすると、興味を示してくれた。

入社4年目に、私は今いる品川の支店に転勤したのだが、その翌年か翌々年かに、Sさんが契約期間満了で退職されることになった。

退職される日、本社まで行って挨拶し、その時に、詳しくはおぼえていないが、さださんについての本や、もしかするとレコードかカセットかをプレゼントしたと思う。

以後も、今日に至るまで年賀状のやりとりは続けていた。

もう10年以上前、労働組合で仕事をしている時に、突然電話をしてこられたことがある。
新国立劇場で上演される「アイーダ」のチケットを買ったのだが、腰を痛めて行けなくなってしまったので、行かないかという話だった。
喜んで行かせてもらった。思ってみれば、今のところ、新国立劇場でオペラを観たのは、それが最初で最後になっている。

私が浦安オケで活動していることをお知らせすると、演奏会を聴きに行きたいと言って下さったが、これは結局実現しなかった。

何年か前に、ご本人からでない年賀状が届いた。
ご夫君を亡くされ、葛飾立石の自宅から川崎の方にひきとられて、病院に入ったことを知った。

以後は、川崎の住所に年賀状を出すようになった。
面倒を見ている方から届く年賀状で、最近は目も不自由になり、寝たきりの状態になっていると聞いていた。

それだけに、今日の訃報、「とうとう・・・」という思いで受け止めたのだ。

最後にお会いしたのは、いつだっただろう。
声を聞いたのは、前記「アイーダ」の時だが、最後にお会いしたのは、それよりも前だったかと思う。

ここ20年以上は、年賀状程度のつながりしかなかったけれど、入社したばかりの頃にお世話になった、というのはやはり私にとっては大きいことだ。

本社の5階の、フロア入口の脇の一角。
今では、当時とは全然レイアウトが変わってしまったが、そこに座って、いつも元気でにこにこしていたSさんの姿は、昨日のことのように思い出すことができる。

今、その5階のフロアで、Sさんのことを知っている人が何人いるだろう。2、3人というところだろうか。

今度、本社に行く機会があったら、その場所で頭を下げて合掌したいと思う。

Sさん、長い闘病、お疲れさまでした。どうぞ安らかに・・・。