naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

知られざる? ピアノ五重奏ユニット「上田知華+KARYOBIN」のこと

イメージ 1

70年代から80年代にかけて活動した、「上田知華(うえだちか)+KARYOBIN」というユニットをご存知だろうか。

78年にデビュー、5年ほど活動したユニットだ。

このユニットの特徴は、ピアノ五重奏曲の編成であることだ。上田知華が、ピアノを弾きながらヴォーカルをとり、「KARYOBIN」という名前の弦楽四重奏が一緒に演奏する。

「KARYOBIN」とは、インドに住む空想上の鳥(顔が人間の形をしている)で、「迦陵頻」と書くそうだ。

私がこのユニットを知ったのは、まったく偶然だった。
時期ははっきりしないが、たぶん80年の年末頃だったかと思う。秋葉原石丸電気の3号店の邦楽(4階だったっけ)のフロアでのことだった。
私はレコードをあれこれ物色していたのだが、その時、店内に流れていた音楽の珍しいサウンドが耳に止まった。
それが、上田知華+KARYOBINだった。

新作である4枚目のオリジナル・アルバムが、プロモーションで、店内に流れていたのだと思う。

81年に入って、1ヶ月ばかりの間に、それまで出ていた4枚のアルバムを立て続けに買い求めて聴いた。
この時期の彼らは、純粋にピアノ五重奏編成で、他の楽器をまったく使っていなかったのだが、当然に私はその特色ある音楽がたちまち気に入ってしまった。

上田知華のヴォーカルも、岩崎宏美をもう少しおきゃんにした感じの声で、大変魅力あるものだった。
彼女は私より2つ年下だが、一時、何とか彼女と接点を持ってつきあえないものかと(笑)、本気で思っていたことがある。
尚、彼女は、東京音楽大学のピアノ科の学生だったが、中退してデビューしている。

レコードを聴きまくるだけでなく、ライブにも2、3回足を運んだ。

彼らは6枚のオリジナル・アルバムを残した。
最初の2枚は、樋口康雄が作品を提供し、その後、すぎやまこういちも作品を提供するようになり、4枚目に至って、上田知華本人が全曲を作曲する。そして、5作目以降、弦楽四重奏のウエイトが低くなり、6作目になると、打楽器やエレキベースなど、他の楽器が加わるようになる。そうした、音楽の方向性の変化が、五重奏ユニットとしての解散の理由かもしれない。

尚、聞くところでは、金子飛鳥や「世界の車窓から」の溝口肇が、KARYOBINのメンバーとして活動していた時期もあるのだそうだ。

レコードセールス的には、上田知華+KARYOBINは、そう売れたとは言い難いと思う。
中で比較的ヒットしたのは、「パープル・モンスーン」という曲、それから、化粧品のCMに使われた「秋色化粧」くらいだろうか。
「さよならレイニー・ステーション」という曲を、倉田まり子がカバーしたものが売れたことがあった。むしろこの曲は、倉田まり子の歌として知られているかもしれない。

私が彼らのアルバムを聴き始めた頃、確か4枚目のアルバムを木更津の実家の居間で流していたら、一緒にいた母と妹が、これは誰が歌っているのか、と尋ねたことがあった。私同様、母や妹の耳にも止まる音楽だったのだろう。
母は「この人は歌もうまいし、いい曲を作るから、きっとこれから出てくる(売れる)に違いない」と、その時言っていたが、残念ながらビッグアーティストにはならなかった。

ユニット解散後、上田知華は、ソロ・アーティストとして、何枚かアルバムを出したが、結局は作曲家としての活動に重点を置くようになったようだ。
数多くの、主に女性歌手に作品を提供している。松田聖子中森明菜中山美穂森口博子・・・。
もっとも有名なところでは、今井美樹の「瞳がほほえむから」「PIECE OF MY WISH」がある。

クラシックの楽器を使ったユニットは、あれこれあるが、弾き語りピアノ+弦楽四重奏という編成のユニットは、その後も出ていないと思う。

彼らのオリジナル・アルバムは、現在は残念ながら店頭で簡単に入手できる状況にない。
しかし、20代半ばの私をとらえた彼らの音楽は、今聴いてもなお、新鮮である。

  ◎上田知華+KARYOBIN オリジナルアルバム
     上田知華+KARYOBIN
     上田知華+KARYOBIN[2]
     上田知華+KARYOBIN[3]
     上田知華+KARYOBIN[4]
     Miss Heart
     SONG