naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

7月場所11日目

私は毎日、16:05~18:10、NHKの相撲放送を録画して、会社から帰ってから観ている。
今日も、16:05から観始めたのだが、この時点で、十両最後から3番目の取組。いつになく進行が遅い。
物言いのつく相撲でも続いたのだろうか。
そのせいで、中入り後も、東西から力士が上がって、力水、二字口で塵を切って、一旦塩に分かれ、土俵中央で四股を踏み、1回目の仕切りが終わると、もう呼出が立ち上がって、時間いっぱい、という進行が続いた。
長年相撲を観ているが、こういうのは初めてだ。
2回目の仕切りをさせるようになったのは、三役が土俵に上がった、豊ノ島普天王の一番からだった。

千代白鵬が、左四つからの力強い寄りで、十両の優勝争いのトップをいく北太樹を破って7勝目。

栃ノ心は立ち合い低く当たったが、やや頭を下げすぎた。左足が流れ、豪風にひきおとされた。

豊響が今日もまっすぐにいい押しで玉乃島をもっていって、勝ち越し。
●●○●の1勝3敗から7連勝での勝ち越しは、74年7月場所、カド番での大関貴ノ花と同じ星取だ。
貴ノ花は、翌日、全勝の同じ大関北の湖に勝って、大関なのにインタビュールームに呼ばれたのだった。

旭天鵬時天空の一番は、立ち合い時天空が左を入れた。旭天鵬も右上手をとったが、時天空は右も入れてもろ差し。
旭天鵬は右をまきかえて得意の右四つになったが、ここで左から上手投げにいったのが悪く、相手を呼び込む形になってしまった。

栃煌山豊馬将、私が期待する両力士の対戦は、過去、栃煌山の4戦4勝。
豊馬将は低く頭で当たったが、栃煌山は左右からすくうようにしてもろ差し。そのまま前に出た。栃煌山としては最高の相撲だった。豊馬将はちょっと残念な相撲。

把瑠都は、立ち合い左に変わった。出島は落ちずによくついていったが、さらに出ようとするところを、把瑠都がいなして後ろについた。
これだけの巨体で立ち合いに変化することは、まったく許せないし、以後の展開についても、感心できない。確かに勝った。西5枚目で7勝。勝ち越しが見えた。しかし、私としては、それがどうした、と言いたい。再三書いているが、把瑠都のこういう相撲ぶりには、何の意味も値打ちも認めることができない。
この身体を生かして、もっと厳しい隙のない相撲をとってみろ、と言いたい。外国人力士だから、とは言ってほしくない。安馬を、朝赤龍を、旭天鵬を見ろ。

幕内後半戦に入ったのが、17:10頃。これはやはり遅い。

豪栄道は、今日は強かった。立ち合いすばやく二本差して、高見盛を西へいっぺんにつって出た。

鶴竜は、よく突いて出たが、若の里はこらえて右から突き落とした。
鶴竜も、もう少し目方が増えると、こういう相撲も通じてくるのだろうが。

豊ノ島普天王。やっと2回目の仕切りが見られた。
豊ノ島は、左を差してもろ差しねらい。豊ノ島の右と普天王の左のせめぎあいとなった。豊ノ島は、右は差せなかったが、おっつけて前に出て赤房下へ寄り切った。勝負への執念、厳しさの違いを感じた。もしかすると、体格も素質も普天王が上かもしれないが、観ていて気持ちが動かされるのは、豊ノ島の相撲の方だ。

朝赤龍は、常に立ち合いが一定している。稀勢の里は、立ち合い右から張ったが、NHKの放送でもしきりと言われていたように、その張り手で何をしようとしたのか、何ができたのか、わからない。朝赤龍が、いつもの自分の立ち合いをして、左を差し、右おっつけで頭をつけて食い下がった。それだけのことだ。稀勢の里は、右で張ったことに、何の意味もなかった。
朝赤龍は、自分からふりほどいて突き放す動き。以後もみあって、双方不得手は右四つになってしまったが、前の一番同様、勝負に対する気持ちは朝赤龍の方が上回っており、最後は右下手投げで決めた。
朝赤龍は、これで初日から4連敗の後7連勝。立派だ。l
一方の稀勢の里は負け越し。動きのよさ、相撲の厳しさの違いだ。
それにしても、稀勢の里という力士については、何度も書いてきたが、この早い時期の負け越しで、また言いたい。
琴欧洲と同時に十両昇進した時から、日本人力士一番のホープということで、しきりとマスコミは稀勢の里を持ち上げてきた。まだ関脇にも上がっていない、三役で2ケタ勝ったのも先場所が初めてという力士なのに、相当前から、大関候補と持ち上げてきた。
その論調にも問題があると思うが、今日思ったのは、ひょっとして、稀勢の里本人もその気になっていたのではないか、ということだ。稀勢の里本人が何か勘違いしていないのか?
自分はまだ最高位が小結で、コンスタントに幕内上位から三役で2ケタ勝てていない、ということを自覚していたのか、ちょっと疑問に思うのだ。日本人力士期待の星、と言われることを意識しすぎていないのか。私は常々思い、書いてきたが、この人の得意とされる左四つの相撲は、決して強くもうまくもない。突く相撲の方がむしろ破壊力があると思うが、本人がそれを優先的に使おうとはしていないし、一言で言えば、相撲の完成度はまだまだ低い。
それなのに、土俵上では、過剰なまでに気合いの入った表情をいつも見せ、しかしながら、それが星に結びつかない。朝青龍を、白鵬を、決してフロックとは言えない内容でしばしば破っている以上は、力はある。しかし、土俵上で、頭に血が上ったようになっていることが、その力を十二分に発揮するのを妨げているのではないか。
もっと言うなら、謙虚さが足りないと思う。自分はまだまだ三役に定着し、上をねらえる力はないのだ、とか、自分の相撲はまだまだ完成していないのだ、という気持ちが、もしかしたらないのではないか。周囲がほめそやす、日本人力士として、次の大関、また横綱をねらえるのは自分だ、などと思っていないか?
土俵上で気合いが入るのは悪いことではないが、稀勢の里の土俵上での過剰な気合いの入り方、そして、負けて花道を下がる時にいつも見せる、「こんなはずではないのに」という表情を見ると、もしかしたら、この人は勘違いしているのではないか、と思えてしまうのだ。
そういう言い方が失礼なら、自分の現状についての冷静な認識がない、とは言ってもいいだろう。
私は、負けた後の稀勢の里を見ていて、「反省」というものを感じることができない。土俵に上がって、勝手にただカッカとして、負けた後、ただ悔しい、悔しい、という顔をしているだけでは、成長はないと思うのだ。
来場所は平幕に落ちるが、そこから巻き返して、三役に定着するか、それとも、ただの人になってしまうのか。後者であれば、稀勢の里、勘違いの人に終わってしまう。力があるだけに、それではあまりにも惜しい。自分自身で、もっと力をつけよう、と思ってほしい。
今のままでは、私は稀勢の里を認める気にはなれないのだが、相撲が変わった、と思わせてほしい。応援する気持ちにさせてほしい。本当にそう思う。

琴奨菊安美錦は、4勝6敗同士の苦しいところでの対戦。両力士ともいいところを時に見せながら、思いのほか星が上がっていないのは残念だ。
立ち合い攻め込んだのは安美錦。今場所、時に見せる押しの威力が今日も出た。しかし、琴奨菊も土俵際でこらえて左を差した。そこからは琴奨菊の相撲。右上手をとって、がぶって逆襲。

琴欧洲が、今日はいい相撲。立ち合い右から張って、雅山をよく見ながら突いて出て、一旦は左を差したが、まわしにはこだわらずにそのまま正面に押し出した。非常にいい相撲だった。
雅山は、今場所星はあがっているものの、突きの威力は落ちてきているように思う。

琴光喜千代大海は、琴光喜普天王戦と同じ轍を踏んだ格好。どうしてこうして前にのめってしまうのか。
やはり、琴光喜という人は、稀勢の里同様、過剰に意識してしまうのだろう。2敗の自分が追わなければ、とか、地元のファンの声援に応えなければ、とか。
立ち合いから突き合いとなった。頭で当たった千代大海に対して、琴光喜は上体が高かった。結果としては、この差が最後まで響いた。
琴光喜としても、今場所の調子からすれば、決して突き負ける相手ではないはずだが、結局、突き合いの中で、どう組むかという視点を欠いたように思う。突き合いながら、押し込んだのは琴光喜の方で、右も差したのだが、そこで自分の形を作ってしまう、というプロセスなしに、前に出てはたかれた。
まあ、千代大海も、魁皇戦同様、最初からどこかではたこうと思っていたはずで、その引き足の鋭さ(?)に、琴光喜がついていけなかったという面もある(琴光喜があわてて出たというよりは)が、それにしても、大関同士の対戦なら、それも想定しておかなければならない。
千代大海は、めでたく12回目のカド番をクリア。一応は優勝争いの一角に残っている。

魁皇栃乃洋は、魁皇が当たってすぐに右上手。すかさず上手投げで崩して、そのまま青房下へ。勝ち越しに向けて、大きい一番。
魁皇は、これで幕内勝利が746勝。大鵬と並んで史上3位になった。何だかんだ言いながらも、大した記録だ。明日36歳の誕生日を迎えるのだそうだ。

結び、白鵬安馬。時間いっぱいから、安馬が2回つっかけ、横綱は受けず。やはりとりにくい相手という意識があるのか、3回目も立ちにくそうだった。
しかし、立ち上がってからは、まったく問題なし。当たってすぐ安馬の左を右から引っ張り込むようにして、左からはおっつけて正面に走った。決まり手はきめだし。強かった。

全勝 白鵬
3敗 琴欧洲琴光喜千代大海豊響

豊響を除けば横綱大関ばかり。一応、4大関中3人の名前が残っているのは喜ばしいが、星3つの差では・・・。

可能性としては、史上初の12日目の優勝もある、という状況。まあ、そうはならないだろうが、完璧な独走であることは間違いない。
思わず、途中休場しながら優勝した、73年11月の輪島を思い出した。