naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

「週刊甲子園の夏」~怪物江川雨に散る

もうすぐ、夏の甲子園が始まる。
今年は、オリンピックもあるし、野球ファンには楽しみな夏だ。

ところで、朝日新聞社から、「週刊甲子園の夏」が出版されている。

第1号は、「最強伝説KKコンビ」の特集で始まった。毎号、2~3年分の夏の大会の記録と、その時期の代表的な話題の特集が載る。

私も、夏の甲子園は、それなりにずっと観てきたから、色々思い出すことも多く、これまでのところ、全号買っている。

一番新しい第8号は、70年から73年の4年間を扱っており、特集は、

  怪物江川 雨に散る

  小さな大投手と磐城ナイン

の2本。

江川卓と私は同い年だ。
73年、作新学院の江川が甲子園に出場した3年生の夏、私も3年生だった。

3年生の夏休み、受験生の私は、木更津から駿台予備校と代々木ゼミナールの夏期講習に通っていた。

江川が雨に散ったのは、73年8月16日(木)の第3試合。我が千葉県勢、銚子商との2回戦だった。

その日も、私はお茶の水駿台で勉強し、夕方、東京駅から総武快速で木更津に帰った。確か17時半くらいに出る電車だったと思う。

せっかく、話題の江川が、銚子商と試合をするのに、当然テレビ観戦できない。受験生はつらいなあ、と思いつつ、家に帰ると、試合は延長に入り、まだやっていた。

何回くらいから観たかは忘れたが、最後の押し出しサヨナラの場面を見届けたのはおぼえている。
一般の野球ファンは、江川が勝ち進むことを願っていたのだろうが、私としては、地元の銚子商が勝ったことで大いに喜んだ。

「週刊甲子園の夏」を読みながら、35年前の夏を懐かしく思い出したのだった。

江川は、当然その年のドラフトの目玉で、阪急ブレーブスが指名権を獲得した。
阪急のスカウトが江川家に日参していた頃、私は、今度は予備校の冬の講習に通っていたと思う。

阪急への入団を拒否した江川は、法政大学に進み、77年のドラフトでクラウンライター・ライオンズに指名されるがまたも拒否して野球浪人。
この時、ジャイアンツは2番クジだった。運命のいたずら。

そして、翌年のドラフトに際して、例の「空白の一日」事件に至る。私はその時、新入社員として、今の会社で働いていた。

結局、江川卓という投手は、ドラフトで都合3球団から指名されながら、どの球団でも1球も投げなかった。これって、結構珍しい記録ではないだろうか。

(これはまったく余談。江川と私は同い年の同学年だが、私の卒業した県立木更津高校の同じ学年で、野球部に在籍し、キャッチャーをやっていたのが、衆議院議員浜田靖一(浜田幸一の息子)である。私の高校は、県予選の1回戦に勝てばニュースになるレベルだったので、甲子園どころではなかったが)