また訃報だ。
服部正氏と言えば、何と言っても「ラジオ体操第一」の作曲者だ。
私の会社でも、全国各地の現場では、朝、作業を始める前には、ラジカセで音を出して、ラジオ体操をする。
4年前に出向していた厚生労働省の外郭団体では、毎朝、始業時にラジオ体操をする習慣があった。
それがきっかけて、家でもNHKの「テレビ体操」を録画して、時々体操をするようになった。
それがきっかけて、家でもNHKの「テレビ体操」を録画して、時々体操をするようになった。
また、私の住む町内でも、毎日朝、近くの公園で、ラジオ体操をした後、公演内外の清掃をする、という集まりがある。
職場で、学校で、毎日毎日、全国津々浦々で、「ラジオ体操第一」は行われているはずだが、日本全国でこれほど親しまれている音楽もないだろう。
学生時代、ジュネスの演奏会に行った時、オケの演奏に先立って、服部氏の指揮するマンドリンオーケストラの演奏を聴いたことをおぼえている。
私個人にとって、もっと大きな思い出は、大学オケで、服部氏の作曲したオペラ、「真間の手古奈」(ままのてこな)を演奏したことだ。多摩オペラ研究室の主催公演に、賛助参加したのだった。
今から31年前、大学4年の時だ。77年9月9日、10日の2日間。立川社会教育会館での公演だった。
その時の演奏会プログラムが手元にある。
指揮は、鷲見尚保氏。
前半が、梶原桂作曲の「マッチ売りの少女」、そして、後半が服部正作曲の「真間の手古奈」、
ピットに入って演奏したのは、これが初めての経験だった。
ピットに入って演奏したのは、これが初めての経験だった。
もう一つ言うと、「真間の手古奈」というのは、千葉の市川が舞台の神話が材料になっている。
今でも、京成に「市川真間」という駅がある。
今でも、京成に「市川真間」という駅がある。
服部氏は亡くなっても、「ラジオ体操第一」は、おそらく、今後50年経っても、100年経っても、残っているだろう。