大阪でのアリーナツアー終了からちょうど2ヶ月。
休養充分とみえて、声は絶好調だった。
休養充分とみえて、声は絶好調だった。
今回のツアー、札幌、武道館の時には、声の不安を感じたのだが、この日のドームではまったくそんなことがなくて、復活! という感じだった。
しかし、MCの中で思わぬ話が。
5日前に、幕張でGPをやっていた際に、演出で乗っていた自転車でスピードを出し過ぎて転倒し、腰を痛めたのだと言う。
広いドームだから、いつも以上に走りまわろうと思っていたけど、走れない、と言った。
そのMCを聞くまでは、いつもみたいに走らないな、程度に思っていたのだが、以後は心配になってしまった。
それでも、走れはしなくても、小田さんは、設置された花道を動いた。
それでも、走れはしなくても、小田さんは、設置された花道を動いた。
「キラキラ」の時に、小田さんは、自転車に乗って、アリーナを一周した。
アリーナツアーの際も、この曲では、場内をまわる演出だった。
札幌の時は、ステージからスタンド席に上がって一周。武道館の時も、アリーナを一周。
アリーナツアーの際も、この曲では、場内をまわる演出だった。
札幌の時は、ステージからスタンド席に上がって一周。武道館の時も、アリーナを一周。
さすがに、ドームでは走って一周できないから、と自転車を使うことにしたのだろう。
この演出の練習で転倒したということなのか、と思った。
しかし、片手でハンドルを握り、片手でマイクを持って歌いながら走るのは、やっぱり危なっかしい。
我々のブロックのすぐ後ろも通ったが、嬉しいというよりは心配が先に立ってしまった。
この演出の練習で転倒したということなのか、と思った。
しかし、片手でハンドルを握り、片手でマイクを持って歌いながら走るのは、やっぱり危なっかしい。
我々のブロックのすぐ後ろも通ったが、嬉しいというよりは心配が先に立ってしまった。
この自転車はやはり無理だったのか、以後、小田さんの動作がますます辛そうになった。
「できるだけみんなの近くに」と、ツアーの時は、花道を作ってオーディエンスに近づこうとしている小田さんとしては、このドームでもその思いは強かったはずだが、思ったように舞台や花道を動けない自分が、さぞかし不本意だっただろうと察する。
そもそも、小田さんの場合、普通ならば、そのことを伏せたままでステージをがんばり通すタイプだと思うので、MCでしゃべったこと自体、不本意だったと思う。状態がよほど悪かったということだろう。
本編最後の「ダイジョウブ」でも、左腰に手を当てながら歩く姿が痛々しく、ライブを満喫するという心境からは遠くなってきた。
そしてアンコール。
アンコールナンバーとしては鉄板の「またたく星に願いを」を、一体やれるのか?
出を待つ間、不安が募る。
出を待つ間、不安が募る。
しかし、やったね。
でも、場内も、手の振り方がちょっと遠慮気味だった感じも。
でも、場内も、手の振り方がちょっと遠慮気味だった感じも。
私は、「何の曲を歌うんでも、もうステージの真ん中で、動かずに歌ってくれればいいから」と思っていたのだが、それでも動くんだな、小田さんは。
「君住む街へ」でも、花道をゆっくりと一周した。動かないでいればいいのに、と思ったが、一周した。
たぶん、予定の通りには歩けていない。歌い終わる時には、移動してきてここの位置に立つと決まっていても、そこまでたどりつけない。そう思えた。
それでも。それでも、小田さんは一周した。
たぶん、予定の通りには歩けていない。歌い終わる時には、移動してきてここの位置に立つと決まっていても、そこまでたどりつけない。そう思えた。
それでも。それでも、小田さんは一周した。
小田さんの思いの強さがそうさせたのだろう。
でも、もう一度書くが、歌については、私が聴いた、札幌、武道館よりもずっとよかった。絶好調だった。
悔しかっただろうな、小田さん。
聴いているこちらも悔しかった。
聴いているこちらも悔しかった。
終演の時点では、これで明日、まだもう1日ある東京ドームは大丈夫だろうか、と思ったが、mixiなどの書き込みを読むと、無事に公演は終わったようで安堵した。
あまり時間はないが、名古屋、そして大阪までに、体調を整えて、悔いのないステージをしてくれればと願う。
オフコースへの思い・・・?
アリーナツアーでは、オフコースの曲がたくさん歌われた。
何か回顧的だなと感じていた。
この日のドームでも同じだったが、昔のツアーで使われた映像を目にしたのには驚いた。
「きかせて」では、「We are」のツアーの時の、マンハッタンの夜景(途中で、東京湾岸の夜景に切り替わった)。
「生まれ来る子供たちのために」では、海原を進むヨットの映像。これは、私は実ははっきり記憶していないのだが、映像が古い感じがしたので、たぶん、その前のツアーか、初めての武道館の時に使われたものではないかと思う。
そして。
「言葉にできない」では、これはもう忘れられない、ひまわりの映像。「over」のツアーで使われたあのひまわりが、あの時と同じタイミングでビジョンに映し出された。
びっくりした。
もしかして、「We are」とか「over」とかいう文字がかぶさるのか、と思ったが、それはなかった。
「言葉にできない」では、これはもう忘れられない、ひまわりの映像。「over」のツアーで使われたあのひまわりが、あの時と同じタイミングでビジョンに映し出された。
びっくりした。
もしかして、「We are」とか「over」とかいう文字がかぶさるのか、と思ったが、それはなかった。
とにかく回顧的。
そもそも、オープニングで流れるアニメも、子供の頃からの小田さんを振り返るストーリーになっているが、それも含めて回顧的。
どんな思いでこういう演出にしたのだろう。小田さんの思いは・・・?
それと、一つ思ったことがある。
19年ぶり、あのオフコースの最後のステージ以来の東京ドーム。
私も含めて、会場に足を運んだファンの中には、そのことを意識していた人が少なくなかったと思う。
これまでのツアーでも、MCの中で、オフコース時代の話題にふれていただけに、絶対にあの89年2月26日のことが語られるだろうと思っていた。
しかし、意外にも、小田さんの口からその話題が出ることはなかった。
そして、気がついてみれば、ビジョンに映し出された写真や映像の多くは、5人の時代のオフコースのものだった。オープニングのアニメもそうだった。
4人の時代のオフコースの写真や映像は少なかった(というか、正確に記憶していないが、まったくなかったかもしれない)。
4人の時代のオフコースの写真や映像は少なかった(というか、正確に記憶していないが、まったくなかったかもしれない)。
それらのことと関連するが、小田さんの今後についても、あれこれ考えずにはいられない。
61歳という年齢もあって、このツアーが最後になるのではないか、という説も出ている。
小田さん本人は、MCなどでそれを冗談めかして否定しているし、この日のMCでも、「またこの東京ドームを走りまわりたい」と言っていた。
小田さん本人は、MCなどでそれを冗談めかして否定しているし、この日のMCでも、「またこの東京ドームを走りまわりたい」と言っていた。
少なくとも、今の時点で、これを最後のツアーにする、という決意はしていないのだろうと推測する。
ただ、「そうなるかもしれない」という気持ちが、小田さんのどこかにあるのかな、とは思う。
「きっとまたいつか」というツアータイトル。逆説的に読めば、必ず2、3年後にツアーをやる事が確実なら、別にこんなタイトルはつけないだろう、と思えてしまうのだ。
小田さん自身の中に、「きっとまたいつか」と願う気持ちがあるからでは?
そして、今回のドームツアーで初めて歌われた新しい曲、「さよならは言わない」。
今の自分の思いだ、というようなMCの後に歌われたこの曲、私には、何か小田さんには珍しく、気持ちが露わな詩のように思えた。
今の自分の思いだ、というようなMCの後に歌われたこの曲、私には、何か小田さんには珍しく、気持ちが露わな詩のように思えた。
小田さん自身の中に、「さよならは言わない」という決意があるからでは?
裏返せば、そこに別の意識もあるのか・・・?
裏返せば、そこに別の意識もあるのか・・・?
そして、この日のライブで一番びっくりしたのは、最後の最後に歌われた「きっと同じ」。
バンドのメンバーがステージを去り、小田さんが一人残った。
こういう時、小田さんがピアノを弾きながら1曲歌って、静かにしめくくることはよくある。
しかし、このドームのステージには、もともといつものようにピアノは置かれていない。「東京の空」以降で使われたスタインウェイは、その時だけ花道中央に設置されたものだったので、既に置かれていない。
しかし、このドームのステージには、もともといつものようにピアノは置かれていない。「東京の空」以降で使われたスタインウェイは、その時だけ花道中央に設置されたものだったので、既に置かれていない。
小田さんが持ったのはギター。
小田さんが、一人でギターを弾き語りするのを、これまでに私は見たことがない。
小田さんが、一人でギターを弾き語りするのを、これまでに私は見たことがない。
何を歌うんだ?
弾き出されたイントロに耳を疑った。「きっと同じ」。
5人のオフコースの、最後のオリジナルアルバム、「I LOVE YOU」に収録されている短い曲。
このアルバムは、5人のオフコースのラストとなった、あの82年6月30日の武道館の時点ではまだ発売されていなかった。
おそらく、この曲は、4人になってからのオフコースのライブ、そしてソロとしてのライブで歌われたことは、一度もないのではないだろうか。
おそらく、この曲は、4人になってからのオフコースのライブ、そしてソロとしてのライブで歌われたことは、一度もないのではないだろうか。
そういう曲を、何故、この最後の最後に歌ったんだろう。
歌う前に、「できるだけのことはしたくて」と小田さんは言った。不本意な体調でのステージになったことを指しているのだろうと思った。
しかし、ビジョンには歌詩が出たから、急な思いつきではなく、予め決まっていた選曲だったのだろう。
どうして?
この曲は、こんな歌詩で締めくくられる。
始まることも 終ることも
きっと同じだね きっと同じだね
きっと同じだね きっと同じだね
きっと同じだね
小田さんの中に、どんな思いが・・・?
今はまだわからない。
きっと、いつかわかる日がくるのだろう。
きっと、いつかわかる日がくるのだろう。
まだ、名古屋と大阪の公演が残っている。最後の最後となる、大阪には行く。
素朴な意味でなく言うが、「楽しみ」だ。
最後にもう一つ。
「きっと同じ」をレコーディングした時のエピソードを、何かで読んだことがある。
小田さんが、曲作りをしながら、「このフレーズを弾いてみてくれないか」と、鈴木さんに頼んだ。
鈴木さんが鮮やかにそれを弾いたのを聴いて、小田さんが「やっぱりヤスのギターは全然違うな。かなわないなあ」と言った。
鈴木さんが鮮やかにそれを弾いたのを聴いて、小田さんが「やっぱりヤスのギターは全然違うな。かなわないなあ」と言った。
・・・と言ったような趣旨の話だったと記憶する。
そんなことを思いながら、席を立ったのだった。
※関連の過去記事
89年2月26日・・・オフコース 「The Night with Us」 東京ドーム
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/46518307.html
【ご注意:ネタバレ情報】 08.8.23 小田和正ライブ 曲目リスト
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/56374440.html
【ご注意:ネタバレ情報】 小田和正ライブを聴いて・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/56375114.html
【ご注意:ネタバレ情報】 08.9.11 小田和正武道館
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/56599456.html
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/46518307.html
【ご注意:ネタバレ情報】 08.8.23 小田和正ライブ 曲目リスト
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/56374440.html
【ご注意:ネタバレ情報】 小田和正ライブを聴いて・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/56375114.html
【ご注意:ネタバレ情報】 08.9.11 小田和正武道館
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/56599456.html