naokichiオムニバス

69歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

朝青龍のガッツポーズは何故問題にされたのか

1月場所千秋楽、朝青龍が優勝決定戦で見せたガッツポーズが問題になっている。

何故なんだろうと考えた。

朝青龍の場合は、土俵内外での言動がこれまでもさんざん問題にされてきたので、その蓄積の上でのことだろうと思う。

1月場所だけとっても、稀勢の里戦や嘉風戦でのダメ押し、琴欧洲戦での左フック(?)など、色々あった。それらについても、その都度言いたいことがあった人が、千秋楽の件で、それこそダメ押しをされて、言っている、というところだろう。

復活優勝は立派だが、これでまた一段と増長されては困る、という大義名分もあるしね。

ただ、私は、上に挙げた3番については、別に問題だとは思わなかった。場所中の記事にも書いたが、今場所の朝青龍が、それだけ必死だったことのあらわれだと思っている。傍若無人、粗暴なふるまいだとは感じなかった。
(土俵上のふるまいとしては、昨年5月場所千秋楽の勝負後、朝青龍に体当たりを見せた白鵬の方が、私にはよほど残念だった)

その点の見解の相違は別にしても、あの優勝決定戦のガッツポーズ、あれが、決定的に朝青龍批判につながった理由は何なのか。

これまでだって、土俵上でガッツポーズをした力士はいる。
私が初めて、土俵上の力士のガッツポーズを見たのは、もう古い記憶で、はっきりしないのだが、かつて逆鉾隆の里を破った時だ。
この時は、確かに違和感があった。他のスポーツならともかく、礼節と品格を重んじる相撲の世界で、と思ったのをおぼえている。
しかし、以後も時々そういう力士はいたわけで、今では格別の違和感はない。熱戦を制した気持ちの高ぶりが思わず動作に出たものとして、容認できる。

ただ、たぶん、今回の朝青龍が大きく違ったとすれば、あれが、非常に大きい動作だったことだろう。
今日、土俵上で見られるガッツポーズは、基本的にまだどの力士にも、自制というかわきまえがあって、小さな動作が思わず出てしまった、というものがほとんどだが、朝青龍のあの動作は、もはやガッツポーズというよりは、バンザイをしているという感じだったので、何だあれは、と思う人が多かったかもしれない。それはわかる。

では、朝青龍が、両手を挙げて場内の歓呼に応えるのは、あれが初めてだったかと言えば、そうではない。これまでの優勝インタビューの時などでも再三見せていた動作だ。

これも古い記憶だが、かつて、千代の富士が、確か通算1,000勝を達成した時(だったと思う)、花道を下がる時に、ファンから大きな花束を差し出され、それを高く掲げながら引き揚げたことがあった。この時も、他のスポーツではしばしば見かける光景ながら、相撲でこういう動作を見せる力士を初めて見たように思った。
その時には、力士がそういうことをしていいのか、と、ちょっと違和感があったのだが、今では慣れてしまっていた。

話は戻るが、朝青龍の両手バンザイ方式の動作は、別に今始まったことではない。

とすると、今回、何が問題にされたのかというと、それが「土俵上だった」からではないか、と思う。
確かに、朝青龍としても、土俵上であれだけ派手なバンザイは初めてだったと思う。その点なんだろう。

外国人力士は、土俵上の礼節とか品格とかがわかっておらず、単にスポーツ、アスリートとしての感覚でふるまっているからいけないのだ、と言われることがある。
私自身にも、朝青龍に対してそのような感覚はあるし、実際、記事にそのように書いたこともある。

しかし、今回の優勝パレードのオープンカーに、長年世話になった元床山さんを同乗させた、という話を聞くと、朝青龍が、何の礼もわきまえない、粗暴なだけの人物なのか、とも思う。

それに土俵上での、異例な動作を言うのなら、高見盛北桜はどうなのか。あれだって、旧来の土俵上の作法からははずれる要素があるし、彼らの場合は、毎日のことだ。
人気があるからいい、ということなのか。

それを言うなら、1月場所は、朝青龍の予想外の好成績がなかったら、あれほどに人気が盛り上がらなかったはずだ。

理事長に謝罪云々を言うのは、少なくとも行き過ぎだと思う。
「苦しい中で優勝を決めて、嬉しかったのはわかるが、土俵上ではもう少し控えめに」くらいの注意を与える程度で充分ではないか。

朝青龍という横綱に、指導すべき点があるのは事実だろう。
それであれば、ある特定の動作や行為だけをとりあげてどうこう言うのでなく、もっと広い観点から話をすべきだと思う。そうでないと、本質的なことが伝わらないままに終わってしまう。