1月場所千秋楽、朝青龍が優勝決定戦で見せたガッツポーズが問題になっている。
何故なんだろうと考えた。
朝青龍の場合は、土俵内外での言動がこれまでもさんざん問題にされてきたので、その蓄積の上でのことだろうと思う。
1月場所だけとっても、稀勢の里戦や嘉風戦でのダメ押し、琴欧洲戦での左フック(?)など、色々あった。それらについても、その都度言いたいことがあった人が、千秋楽の件で、それこそダメ押しをされて、言っている、というところだろう。
復活優勝は立派だが、これでまた一段と増長されては困る、という大義名分もあるしね。
ただ、私は、上に挙げた3番については、別に問題だとは思わなかった。場所中の記事にも書いたが、今場所の朝青龍が、それだけ必死だったことのあらわれだと思っている。傍若無人、粗暴なふるまいだとは感じなかった。
(土俵上のふるまいとしては、昨年5月場所千秋楽の勝負後、朝青龍に体当たりを見せた白鵬の方が、私にはよほど残念だった)
(土俵上のふるまいとしては、昨年5月場所千秋楽の勝負後、朝青龍に体当たりを見せた白鵬の方が、私にはよほど残念だった)
その点の見解の相違は別にしても、あの優勝決定戦のガッツポーズ、あれが、決定的に朝青龍批判につながった理由は何なのか。
これまでだって、土俵上でガッツポーズをした力士はいる。
私が初めて、土俵上の力士のガッツポーズを見たのは、もう古い記憶で、はっきりしないのだが、かつて逆鉾が隆の里を破った時だ。
この時は、確かに違和感があった。他のスポーツならともかく、礼節と品格を重んじる相撲の世界で、と思ったのをおぼえている。
しかし、以後も時々そういう力士はいたわけで、今では格別の違和感はない。熱戦を制した気持ちの高ぶりが思わず動作に出たものとして、容認できる。
私が初めて、土俵上の力士のガッツポーズを見たのは、もう古い記憶で、はっきりしないのだが、かつて逆鉾が隆の里を破った時だ。
この時は、確かに違和感があった。他のスポーツならともかく、礼節と品格を重んじる相撲の世界で、と思ったのをおぼえている。
しかし、以後も時々そういう力士はいたわけで、今では格別の違和感はない。熱戦を制した気持ちの高ぶりが思わず動作に出たものとして、容認できる。
ただ、たぶん、今回の朝青龍が大きく違ったとすれば、あれが、非常に大きい動作だったことだろう。
今日、土俵上で見られるガッツポーズは、基本的にまだどの力士にも、自制というかわきまえがあって、小さな動作が思わず出てしまった、というものがほとんどだが、朝青龍のあの動作は、もはやガッツポーズというよりは、バンザイをしているという感じだったので、何だあれは、と思う人が多かったかもしれない。それはわかる。
今日、土俵上で見られるガッツポーズは、基本的にまだどの力士にも、自制というかわきまえがあって、小さな動作が思わず出てしまった、というものがほとんどだが、朝青龍のあの動作は、もはやガッツポーズというよりは、バンザイをしているという感じだったので、何だあれは、と思う人が多かったかもしれない。それはわかる。
では、朝青龍が、両手を挙げて場内の歓呼に応えるのは、あれが初めてだったかと言えば、そうではない。これまでの優勝インタビューの時などでも再三見せていた動作だ。
これも古い記憶だが、かつて、千代の富士が、確か通算1,000勝を達成した時(だったと思う)、花道を下がる時に、ファンから大きな花束を差し出され、それを高く掲げながら引き揚げたことがあった。この時も、他のスポーツではしばしば見かける光景ながら、相撲でこういう動作を見せる力士を初めて見たように思った。
その時には、力士がそういうことをしていいのか、と、ちょっと違和感があったのだが、今では慣れてしまっていた。
その時には、力士がそういうことをしていいのか、と、ちょっと違和感があったのだが、今では慣れてしまっていた。
話は戻るが、朝青龍の両手バンザイ方式の動作は、別に今始まったことではない。
外国人力士は、土俵上の礼節とか品格とかがわかっておらず、単にスポーツ、アスリートとしての感覚でふるまっているからいけないのだ、と言われることがある。
私自身にも、朝青龍に対してそのような感覚はあるし、実際、記事にそのように書いたこともある。
私自身にも、朝青龍に対してそのような感覚はあるし、実際、記事にそのように書いたこともある。
それを言うなら、1月場所は、朝青龍の予想外の好成績がなかったら、あれほどに人気が盛り上がらなかったはずだ。
理事長に謝罪云々を言うのは、少なくとも行き過ぎだと思う。
「苦しい中で優勝を決めて、嬉しかったのはわかるが、土俵上ではもう少し控えめに」くらいの注意を与える程度で充分ではないか。
「苦しい中で優勝を決めて、嬉しかったのはわかるが、土俵上ではもう少し控えめに」くらいの注意を与える程度で充分ではないか。