今日4日(木)の朝刊に、黒田恭一氏の訃報。驚いた。
もう40年近く前、高校1年の時にクラシック音楽を聴き始めてから今日まで、音楽雑誌や著書などで、黒田氏の文章はたくさん読んできた。
クラシックファンの多くも、カラヤン派とバーンスタイン派に分かれていて、私はバーンスタイン派だった(と言っても、その頃多かった、アンチカラヤンではなかった。当時から今に至るまで、カラヤンのレコードは聴き続けている)。
面白いことに、ファンだけでなく、音楽評論家もそうで、両方ともほめる人、両方ともけなす人は少なく、どちらかに肩入れする批評が多かった。
黒田氏は、私から見ると典型的にカラヤン支持派の旗頭だったので、少々距離を置きながら彼の文章を読んでいた記憶がある。
黒田氏の文章は、他の評論家とは違っていた。批評というよりは、エッセイ風。ちょっとしゃれた味わいのある独特の文体だった。
人によっては、ちょっときどった感じが鼻につくと感じたかもしれない。
人によっては、ちょっときどった感じが鼻につくと感じたかもしれない。
黒田氏が、ある演奏を批判的に書くことは少なかったように思う。
お気に召さない演奏であっても、「僕にはうまく聴けなかった」、「僕には聴くのが難しかった」などの言いまわしをしていたものだ。
批評というよりは、それぞれの演奏のよさを読者に伝えようとする姿勢だったかもしれない。
お気に召さない演奏であっても、「僕にはうまく聴けなかった」、「僕には聴くのが難しかった」などの言いまわしをしていたものだ。
批評というよりは、それぞれの演奏のよさを読者に伝えようとする姿勢だったかもしれない。
しかし、特にオペラの分野においては、勉強させてもらったし、「暮しの手帖」誌の「レコードショップ」のページを長年担当されていたこともあり、お世話になった評論家の一人であることは間違いない。
71歳。吉田氏、宇野氏がいまだ健筆をふるっておられる中、やはり早すぎると感じる。
黒田氏でなければ書けない、あの独特の文章を、まだまだ読みたかった。
残念だ。