再三書くが、53連勝、54連勝のあたりでは、白鵬も精神面でしんどいものがあったのだろう。相撲に乱れが出ていたが、ここにきて、磐石、完璧の度合いを深めている。
場所中盤では、大関陣の好調もあって、さすがに4場所連続の全勝は難しいかと思ったが、明日の相手は、今日日馬富士に情けない負け方をした琴欧洲だし、千秋楽は、白鵬としては最もイヤな相手である日馬富士だが、やっと今日勝ち越した状況では、五分以上にはとれるはず。
62連勝、可能性は高い。
対抗馬がいない状況下での連勝記録伸長は、いささか価値が下がる感も否めないのは事実だ。
あの不祥事がなく、朝青龍が今いたら、と思う。昨年のように優勝を交互に分け合う形になっていただろうか。
下から追いかけてくる存在がいない以上、早晩、白鵬の独走時代は到来していたと言えると思う。
「栃若時代」を皮切りに、「○○時代」との言い方が常にされてきたが、ある程度の期間、ライバル二人が覇を競った時代というのは、栃若の他では、輪島と北の湖、そして、貴乃花と曙くらいではないか(柏鵬時代は、大鵬が偉大過ぎたし、北玉時代は、玉の海の急逝であまりに短過ぎた)。
自分自身が強くなることは、自己の素質や努力のたまものだが、同レベルのライバルが同時期にいるかどうかは、自分ではどうにもならない世界だ。
我々観る側も、それが強者の宿命というふうにとらえ、せっかくの記録の価値を低めてとらえることはやめるべきなのかもしれない。
ここから、俄然玉の海の充実期が訪れる。
昭和46年7月場所 ※悲願の全勝優勝達成。
○○○○○○○○○○○○○○○ 15戦全勝 優勝(6回目)
○○○○○○○○○○○○○○○ 15戦全勝 優勝(6回目)
昭和45年9月場所からの6場所で、84勝6敗、優勝4回。すごい成績だし、実際、この時期の玉の海は本当に強かった。
しかし一方、3場所連続で千秋楽、結びの一番に敗れて全勝を逸するという、これまた稀有の経験もしている。
特に、昭和46年1月場所では、今度こそと三たびの挑戦をした全勝を逸したばかりでなく、本割、決定戦と大鵬に敗れて優勝までさらわれた。
特に、昭和46年1月場所では、今度こそと三たびの挑戦をした全勝を逸したばかりでなく、本割、決定戦と大鵬に敗れて優勝までさらわれた。
翌場所、千秋楽を待たずに土がついてしまったが優勝。
このような経過だから、とてもとても強かった玉の海だが、目立った連勝記録は作れなかった。
冒頭から記した、白鵬、あるいは朝青龍が、対抗馬不在の中で、数々の記録を達成したことを思う時、玉の海の場合には、先輩横綱の大鵬、またライバルの北の富士の存在が大きくたちはだかったことに、様々な思いがよぎる。
「記録より記憶に残る選手」という言い方がされるが、玉の海の場合もそう言えるだろう。