naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

楽聖晩年に行き着いた境地・・・

今日は、移動中にウォークマンベートーヴェン弦楽四重奏曲を聴いた。

昨日、オケ練の往復に13番、そして4番を途中まで聴いた続きで、今日は、4番から。
そして、10番、15番、16番。

ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を語る時、最後の作品である16番は、楽聖ベートーヴェンが晩年に行き着いた境地、と言われる。

作曲順で、12番、15番、13番、14番と、1曲ごとに楽章の数を一つずつ増やしてきた(4→5→6→7)ベートーヴェンが、最後の16番に至って、シンプルな4楽章構成に戻した、というような。

その16番を聴いていてふと思ったのだが・・・。

16番が最後の弦楽四重奏曲だった、というのは、後世の我々が結果として知っている事実なのであって、ベートーヴェン本人は、これが最後の四重奏曲だという気持ちで作っていたかどうかはわからないよね。

弦楽四重奏曲第17番」を、この先書こうと思っていた可能性の方が高いんじゃないだろうか。

そうした、「その先の作品」に向けた通過点として、たまたま、コンパクトでオーソドックスな4楽章構成の作品を書いただけかもしれない。

そこで連想したのが、交響曲の第8番と「第九」。

ベートーヴェンは、ハイドンモーツァルトが書いた交響曲に比べると、はるかに革新的な作品を、最初の1番から書き続けてきた。

そして、それまでのどの交響曲にも増して破格な、声楽付きの「第九」を書き、それが最後の交響曲となった。

今、我々は、ベートーヴェン交響曲を9曲まで書いて、この世を去ったことを知っている。

ブルックナードヴォルザークマーラーなどの「交響曲9曲のジンクス」みたいな情報も、後世の我々に与えられている。

また、有名な作曲家の有名な交響曲は、CDでいつでも好きなように聴ける環境にもある。

そうすると、確かに「第九」というのは、楽聖の最後の交響曲にふさわしい特別な作品だという感覚になる。

しかし、ベートーヴェンは、別に9曲で終わるつもりはなかったはずで、実際、「交響曲第10番」の書きかけ草稿は残っていたと聞いたことがある。

どんな曲だったんだろう、という興味もあるが、とにかく、「第九」を最後にするつもりはなかったわけだ。

視点を変えて、8番に注目してみると、これは16番の弦楽四重奏曲と同様、それまで拡大してきた交響曲群とは一転して、コンパクトで古典的な形式に戻している。盛られた内容はともかく、形式は。

で、もしベートーヴェンがもっと短命で、8番を書いたところで亡くなっていたらどうだっただろう。

この8番が、「第九」のように、さすが楽聖が行き着いた最後の境地、最後の交響曲にふさわしい作品、と言われていただろうか。

「第九」だと、規模や内容から言ってもおさまりがいいけど、8番が最後の交響曲だったら、うーん、ちょっと、という気もする。

8番が最後だったら。
あるいは10番が書かれていたら。

ベートーヴェンの天命、寿命次第で、どのケースもありえたことだ。

弦楽四重奏曲の16番も、もしかしたら交響曲の8番のように、次の何か破格な作品(17番)を書くために、一旦身を縮めただけのものだったのかもしれない。

同じことが、ピアノ・ソナタにも言えるだろう。

あの、32番のソナタ。あれは、確かにベートーヴェンもここまできた、という至高の世界だと思う。

しかし、ベートーヴェンは、33番のソナタを書くつもりだったかもしれない。32番で終わったのは、結果論だ。

若書き、壮年期の作品、円熟期の作品、とよく言うが、「晩年の境地」というのはなかなか難しい面があるね。

モーツァルトシューベルトの「晩年」は、30代だし。

まあ、どの作曲家にも言えることなんだろう。あれこれ考えるのも面白いことだ。