昨日、オケ練の往復に13番、そして4番を途中まで聴いた続きで、今日は、4番から。
そして、10番、15番、16番。
そして、10番、15番、16番。
作曲順で、12番、15番、13番、14番と、1曲ごとに楽章の数を一つずつ増やしてきた(4→5→6→7)ベートーヴェンが、最後の16番に至って、シンプルな4楽章構成に戻した、というような。
その16番を聴いていてふと思ったのだが・・・。
「弦楽四重奏曲第17番」を、この先書こうと思っていた可能性の方が高いんじゃないだろうか。
そうした、「その先の作品」に向けた通過点として、たまたま、コンパクトでオーソドックスな4楽章構成の作品を書いただけかもしれない。
そこで連想したのが、交響曲の第8番と「第九」。
また、有名な作曲家の有名な交響曲は、CDでいつでも好きなように聴ける環境にもある。
どんな曲だったんだろう、という興味もあるが、とにかく、「第九」を最後にするつもりはなかったわけだ。
で、もしベートーヴェンがもっと短命で、8番を書いたところで亡くなっていたらどうだっただろう。
「第九」だと、規模や内容から言ってもおさまりがいいけど、8番が最後の交響曲だったら、うーん、ちょっと、という気もする。
8番が最後だったら。
あるいは10番が書かれていたら。
あるいは10番が書かれていたら。
ベートーヴェンの天命、寿命次第で、どのケースもありえたことだ。
同じことが、ピアノ・ソナタにも言えるだろう。
若書き、壮年期の作品、円熟期の作品、とよく言うが、「晩年の境地」というのはなかなか難しい面があるね。
まあ、どの作曲家にも言えることなんだろう。あれこれ考えるのも面白いことだ。