naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

その時

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9日(水)昼前の、三陸沖の地震

その日の夜中や翌朝にも余震があり、気にはなっていた。

しかし、東北震源で、東京にいた我が身にこれほどの地震がふりかかろうとは・・・。

昨11日(金)、14:46。

また地震? やっぱり東北の地震の影響かな。

最初はその程度の感覚だった。

しかし。

これほどの揺れは生まれて初めて、という猛烈な地震だ。

職場の全員が机の下に身を隠した。
(写真は私がもぐった机)

揺れもすごいが、社屋がきしみをたてている。何か地鳴りのような音も。聴覚からの恐怖も結構あった。
私のいる社屋は、既に築50年近い。少し前に耐震補強工事を施してはいるが、あのニュージーランド地震で、日本人の多くがいたビルの崩壊を、テレビで観たばかりだ。
 
床が抜けたりしないのか?
建物が崩壊したりしないのか?
 
近代的な免震構造オフィスビルにいたら、もう少し冷静になれたかもしれないが、そんな不安も頭をよぎった。

どんなに大きな地震も、1分過ぎれば治まる、と聞いたことがある。
1分だけ! 1分持てば!

しかし、昨日の地震は長かった。長く感じただけだろうか。

やっと揺れが治まり、机の下から出た。

机の下にいる時から妻に電話を始めたが、何度かけてもつながらない。

総務部からの指示で、社屋にいた者は隣の公園に避難。

とにかく携帯電話の電池が問題だ。近くのコンビニに急ぐ。

乾電池式の充電器と電池8本を購入。

16時前、社屋に戻る。帰れる者は帰ってよい、とのおふれが出た。

私の職場は5人在籍しているが、豊島区在住の者と、横浜在住の者は退社した。
この時点で、交通機関は当然動いていないので、家まで歩いて行く、ということだ。

さて、私はどうしよう。

東京から千葉までは40km。1時間に4km歩いたとして10時間。
順調に行っても夜中の到着だ。

そもそもそんなに歩けるのか、ということがある。
これから暗くなる。寒くなる。

結局、職場の残り3人は、会社に泊まることにした。

会社に入った当時は、当時の国鉄が春にストライキをするのが普通だった。
会社に泊まる、ということはその頃の年中行事だった。何か懐かしい。
状況は全然違うが。

この間、妻に、妻の実家に、父がお世話になっている施設に、母の実家にと電話をかけ続けたが、つながらない。

せめて妻にはメールを入れようと思ったが、メールの送信もできない。
会社のパソコンからもメールを入れたが、返信がない。

心配になる。

何度もかけ続けて、17時半前、やっと電話がつながった。
妻は、外出先の浦安で地震に遭遇したとのことだったが、無事が確認できて、とにもかくにもよかった。

妻も母には連絡がとれないとのこと。

とりあえず、会社に泊まることは伝えて切ったが、以後、また電話はつながらなくなったので、この1回の通話ができたのは、本当にラッキーだった。

19時半頃、携帯電話に13通のメールが一度に着信した。

妻もメールを何度も入れていたのだった。

幸い、東京京橋は、停電にならず、水道も大丈夫だったので、不便はなかった。

会議室の床に寝そべった。

しばしば余震があったので、熟睡はできなかったが。

夜中に、妻から母の無事確認のメール。よかった。

一夜明け、父の施設に電話、そして母の実家に電話。いずれも無事ということで、やっと関係者の安否確認終了。

八丁堀のローソンに行ってみる。

食べ物は、見事なまでに一切ない。飲み物と新聞だけ買った。

充電器に使う電池が足りなくなるといけないと思ったが、同じことを考える人は多いようで、単3の電池のみ売り切れ。
他のコンビニにもまわったが、臨時休業しているところもあり、営業していても、同様に単3だけ売り切れ。結局断念。

でも、充電器だけでも早期に買っておいてよかった。

ビルの多い場所だが、窓ガラスが割れたビルの前には、車道や歩道に通行止めの措置がなされている。

昨日帰った職場の者に電話。豊島区在住の者は、順調に帰宅。家の被害も大したことはなかったとのこと。
横浜の者は、夜中の2時まで歩いたが、家まで到達できず、断念してビジネスホテルに泊まったとのこと。会社に残ればよかったと言っていた。

設置された災害対策本部の会議に出席。東北方面の支店や事業所とはほとんど連絡がとれない状況。

東北新幹線が動き次第、各関係部から現地に乗り込み、支援をするように、と社長から指示が飛んだ。

この間も、しばしば余震。
昨日のあれだけの揺れは二度ないだろう、と頭では思いつつも、ぐらっとくるとやはり怖い。余震に慣れるということはまだできない。

7時頃、妻からのメール。昨晩身を寄せた友人宅を出て、バスでJRの駅まで移動し、動き始めた総武線で千葉まで帰るという。

10時半頃、家に着いたとメール。

14階建ての11階。家の中はどんな具合かと案じていた。
火が出ていなければ、どんな惨状でもとりあえずよしとすべきだろう、とメールで伝えておいた。

家具の転倒等はなく、ガラスが割れるなどの危険な状況もないが、積んであった本やCDの崩壊を始め、物がずいぶん散乱していて足の踏み場もないとのこと。

まあ、今回は誰しも同じ目に遭っているのだから、少しずつでもかたづけていくしかない。

とりあえず、座れる場所だけ作って、余震にだけ気をつけて座っているように、電話で伝える。この電話も引き続きなかなかつながりにくかった。
メールは問題ないが。

ところで明日の日曜日。

午後のオケ練については、練習会場に予定していた公民館は、避難所としての使用が優先で、当初の利用目的では使えないらしく、インペクから中止のメールが配信された。

団員からのメールで入った情報では、新浦安は液状化が起きているらしい。
毎週行っているあのへんが、今はどんな状況なのか。

もう一つは、午前中に予定されている、経理の検定試験。
昨年9月に受けて不合格だった、財務諸表の試験に向けて、不充分ながら勉強を重ねてきた。本来、前日の今日の土曜日は、1日勉強にあてる予定だったのだが、それどころではなくなった。

せっかく勉強してきたので、予定通り受けたい気持ちの反面、今の精神状態では、とも思う。
受けに行くこと自体を断念するのが妥当なのかもしれない。

思案中。