やっと、一連の余震が治まってきたような気がする。
ついこの間までは、本当にしょっちゅう揺れているような状況だった。
夜、寝る時も、何か安心できなかった。
※こんな感じでした
落ち着かないですね
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/62164768.html
寝入ったところへ
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/62184259.html
寝ると揺れる
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/62184278.html
落ち着かないですね
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/62164768.html
寝入ったところへ
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/62184259.html
寝ると揺れる
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/62184278.html
そういうことはなくなってきたな。
余震が頻繁だった頃は、本当に気が休まらなかった。
自分が、生きている、生活している上での、大きな前提の一つが喪われてしまったような気がしたのだ。
1.生理的欲求 生きる・生命としての根源的な欲求(衣食住等)
2.安全の欲求 生きる・生命を脅かされないことの欲求
3.親和の欲求 家庭・会社・国家等、集団への帰属の欲求
4.自我の欲求 他人からの賞賛を求める欲求
5.自己実現欲求 あるべき自分になりたいという欲求
2.安全の欲求 生きる・生命を脅かされないことの欲求
3.親和の欲求 家庭・会社・国家等、集団への帰属の欲求
4.自我の欲求 他人からの賞賛を求める欲求
5.自己実現欲求 あるべき自分になりたいという欲求
これらはピラミッドのようになっていて、人間は、下位の欲求が満たされると、その上の欲求の充足を目指すのだそうだ。
これに照らして言うと、余震が頻発していた時期に、私の心理の中にあったのは、2の「安全の欲求」が脅かされている、という不安だった。
今立っている、今座っている、今寝ている、大地や床が、決して不動のものではない、決して安定したものではない、という事実。
いつまた揺れるか、という状況の中で、自分の生命、自分の生活が、いかに、大地や床の不動や安定、それによる安心感に支えられていたか、と痛感した。
あの時は、それが喪われてしまったように思っていたからなあ。
当たり前だったことが当たり前でなくなった動揺。結構、精神的には厳しかった。
あれから2ヶ月余りが経過して、やっと、こうして地震が治まってくると、本当に大きな安堵がある。
被災地の方々は、いまだ、1の「生理的欲求」が脅かされた状況に置かれており、心身ともお疲れのことと思うが、それでも、余震の沈静が一つの光明になればと願う。