naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

やっと余震が治まってきたかな・・・?

やっと、一連の余震が治まってきたような気がする。

ついこの間までは、本当にしょっちゅう揺れているような状況だった。

夜、寝る時も、何か安心できなかった。

   ※こんな感じでした
       落ち着かないですね
          http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/62164768.html
       寝入ったところへ
          http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/62184259.html
       寝ると揺れる
          http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/62184278.html

そういうことはなくなってきたな。

気象庁地震情報は、始終チェックしている。

ここ数日は、最大震度4の地震が、1日に1回程度、最大震度3の地震が、1日に3~5回というところだ(発生場所は全国でカウントして)。

余震が頻繁だった頃は、本当に気が休まらなかった。

自分が、生きている、生活している上での、大きな前提の一つが喪われてしまったような気がしたのだ。

アメリカの心理学者、アブラハム・マズローが唱えた「欲求段階説」によると、人間の欲求は5段階あるという。

   1.生理的欲求   生きる・生命としての根源的な欲求(衣食住等)
   2.安全の欲求   生きる・生命を脅かされないことの欲求
   3.親和の欲求   家庭・会社・国家等、集団への帰属の欲求
   4.自我の欲求   他人からの賞賛を求める欲求
   5.自己実現欲求  あるべき自分になりたいという欲求

これらはピラミッドのようになっていて、人間は、下位の欲求が満たされると、その上の欲求の充足を目指すのだそうだ。

これに照らして言うと、余震が頻発していた時期に、私の心理の中にあったのは、2の「安全の欲求」が脅かされている、という不安だった。

今立っている、今座っている、今寝ている、大地や床が、決して不動のものではない、決して安定したものではない、という事実。

いつまた揺れるか、という状況の中で、自分の生命、自分の生活が、いかに、大地や床の不動や安定、それによる安心感に支えられていたか、と痛感した。

あの時は、それが喪われてしまったように思っていたからなあ。

当たり前だったことが当たり前でなくなった動揺。結構、精神的には厳しかった。

あれから2ヶ月余りが経過して、やっと、こうして地震が治まってくると、本当に大きな安堵がある。

被災地の方々は、いまだ、1の「生理的欲求」が脅かされた状況に置かれており、心身ともお疲れのことと思うが、それでも、余震の沈静が一つの光明になればと願う。