昨日のスポニチに、12日目、13日目での優勝決定(15日制)の一覧が載っていた(画像)。
思っていたより少ない。もっとあったかと思ったが、驚いた。
千代の富士は4回で最多。
そして、今回の白鵬が3回目。
まあ、思ってみれば、これは優勝力士本人の力量というよりは、優勝争いの展開の産物だ。
13日目終了時点で、追いかける力士との間で星3つの差がつくことが条件なのだから、要は、「周囲がだらしない場所」ということになる。
13日目終了時点で、追いかける力士との間で星3つの差がつくことが条件なのだから、要は、「周囲がだらしない場所」ということになる。
その力士の生涯優勝回数とは必ずしも比例しないわけだ。
上記双葉山だけが12日目に優勝を決めているというので、ネット検索で調べてみた。
そうしたら、東正横綱の双葉山は12日目で全勝。次点は、西正横綱の男女ノ川、東前頭4枚目の安藝ノ海、東前頭14枚目の松ノ里、西前頭15枚目の照國で、9勝3敗。
あれ、星4つの差じゃないの?
これは、まだ優勝決定戦制度ができる前で、同成績の場合は、上位力士が優勝とされていた時代だからのようだ。
つまり、12日目時点で、双葉山全勝、男女ノ川2敗なら、残り3日を双葉山が全敗し、男女ノ川が全勝すれば、星数で男女ノ川が上回って優勝するが、その可能性がなくなったことで、優勝決定となったものと思われる。
あれ、星4つの差じゃないの?
これは、まだ優勝決定戦制度ができる前で、同成績の場合は、上位力士が優勝とされていた時代だからのようだ。
つまり、12日目時点で、双葉山全勝、男女ノ川2敗なら、残り3日を双葉山が全敗し、男女ノ川が全勝すれば、星数で男女ノ川が上回って優勝するが、その可能性がなくなったことで、優勝決定となったものと思われる。
そしてひときわ目を引くのが、1991年名古屋の琴富士。平幕優勝だ。
平幕優勝自体が稀なことだが、加えて13日目に優勝を決める、というのは、今後もなかなか考えられない記録だろう。
平幕優勝自体が稀なことだが、加えて13日目に優勝を決める、というのは、今後もなかなか考えられない記録だろう。
この場所、上位力士は何をしていたんだ? という感じだが、横綱は3人。
旭富士が8勝7敗、北勝海が9勝6敗、大乃国が場所途中で引退。
これじゃ仕方がないか。
大関は2人。小錦12勝3敗、霧島10勝5敗。
小錦=琴富士戦は12日目に組まれていて、琴富士が勝っている。これが13日目優勝決定のポイントとなった。
後の貴乃花、貴花田は、小結で11勝4敗。14日目に、優勝した琴富士に唯一の土をつけているものの、他の下位力士に星を落としたこともあって、届かなかった。
貴花田の初優勝は、この3場所後。やはり平幕優勝だった。
旭富士が8勝7敗、北勝海が9勝6敗、大乃国が場所途中で引退。
これじゃ仕方がないか。
大関は2人。小錦12勝3敗、霧島10勝5敗。
小錦=琴富士戦は12日目に組まれていて、琴富士が勝っている。これが13日目優勝決定のポイントとなった。
後の貴乃花、貴花田は、小結で11勝4敗。14日目に、優勝した琴富士に唯一の土をつけているものの、他の下位力士に星を落としたこともあって、届かなかった。
貴花田の初優勝は、この3場所後。やはり平幕優勝だった。
13日目の優勝決定は、全勝や14勝1敗が多いが、唯一、1973年九州の輪島が12勝止まり。
初日から全勝で独走の輪島は、12日目に大関貴ノ花と対戦。勝って全勝を守ったものの、前哨戦の突っ張り合いの中で、指の付け根を裂傷した。
翌13日目は出場したものの、横綱北の富士戦は相撲にならず、完敗。この時点で、次点の横綱琴櫻、関脇北の湖、平幕の富士櫻、黒姫山が4敗のため、星3つの差で優勝が決まった。
輪島は翌日から休場。千秋楽の表彰式には、休場力士が出てきて賜杯を受け取るという異例の事態となった。
(優勝力士の休場は、その後、1989年3月場所の千代の富士がある)
初日から全勝で独走の輪島は、12日目に大関貴ノ花と対戦。勝って全勝を守ったものの、前哨戦の突っ張り合いの中で、指の付け根を裂傷した。
翌13日目は出場したものの、横綱北の富士戦は相撲にならず、完敗。この時点で、次点の横綱琴櫻、関脇北の湖、平幕の富士櫻、黒姫山が4敗のため、星3つの差で優勝が決まった。
輪島は翌日から休場。千秋楽の表彰式には、休場力士が出てきて賜杯を受け取るという異例の事態となった。
(優勝力士の休場は、その後、1989年3月場所の千代の富士がある)