naokichiオムニバス

66歳会社員。ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

昔はなかったもの~パソコン<1:パソコン前史>

リアルでも知り合いの、ある女性からメールをもらった。ふだんの会話では聞いたことがなかったのだが、このブログを読んで下さっているという。

彼女いわく、「アフターランチウォーキング」と「駅前シリーズ」のファンとのこと。ありがとうございます。
併せて、「昔はなかったもの」も捨てがたい、と言われた。

思ってみれば、この「昔はなかったもの」カテゴリー、2007年1月に設置し、以後3ヶ月間で、8つのものについて書いたのだが、それっきりになっていた。

せっかく言って下さっているので、何か久しぶりに書き足そう。

となると、以前から、これは書いておかなければならない、と思っていた、あれについて書きましょう。

パソコンです。

パソコンも、今では、テレビ同様、どこの家庭にも複数台あって当たり前、という時代。

今の子供は、物心ついた時には、家の中にパソコンがある、という状況だが、このシリーズ、毎度書いているように、パソコンなんてものは、私の世代にとっては、人生の途中から立ち現れたのだ。

私の場合、パソコンにさわるようになったのは、28歳の時。かれこれ28年になる。
人生の半分は、パソコンを知らずに過ごしたのだ。

パソコンに出会ってから今日まで。特にその前半期くらいかな、パソコンの進歩、普及の過程については、書きたいことがい~っぱいあるよ。

書いて見ましょう。まず、私にとっての「パソコン前史」から。

「コンピューター」という言葉

「コンピューター」という言葉を初めて知ったのは、「鉄腕アトム」でだったと思う。
アニメでなく、雑誌「少年」に連載されていた原作の漫画の中だ。

アトムが頭の中で、何かの計算をする場面だったと記憶する。

「ぼくのコンピューターは、○○秒で計算を終わります」、と言うセリフがあった。

これは、連載の末期だったように思う。それまで、21世紀のロボットであるアトムの頭の中については、「電子頭脳」という言い方をしていた。
エイトマン」など、他のロボットものの漫画も同様に「電子頭脳」と言っていたように思う。

そのことが頭にあったので、突然カタカナで「コンピューター」と書かれたセリフが印象に残った。

鉄腕アトム」は、雑誌「少年」の休刊とともに最終回を迎えた。「少年」の休刊が、1968年3月。私が小学校を卒業したのがこの時なので、いずれにしても、「コンピューター」という言葉を知ったのは、小学生の時だったことになる。

電卓

コンピューター、ではないが、私の世代で言うと、電卓の登場も記憶に残っている。

今どき、どこの家庭にも、使いもしない電卓が何台も転がっているが、私の子供の頃はなかったのだから。

私が電卓というものを初めて見たのは、父の実家でだった。

父の実家は、玩具店を営んでいた。毎週水曜日が定休日で、この日には、母に連れられて、私と妹の合わせて3人で、遊びに行くのが習慣だった。

ある時、そんな定休日の店で、レジのところに電卓が置いてあるのを見つけた。

たぶん、私は高校生だったと思う。Wikipediaによると、もっぱら業務用だった電卓が、個人使用にシフトしたのは1970年代前半。カシオの「カシオミニ」がヒット商品になった(12,800円というから、当時としては相当高価)のが1972年8月だそうだ。
とすると、時期的には合う。

これが電卓というものか、と、妹としげしげとながめ、さわってみたのを思い出す。

さわってみる、と言ったって、何を計算するという目的があるわけではない。
おぼえているのは、「家族4人の平均年齢を計算する」(笑)というものだった。割り算をやってみたかったんだね。

その後、大学時代に自分が電卓を所有し、使うことがあったかどうか、記憶が定かでない。

卒業して、今の会社に就職し、本社の経理部に配属された時に、電卓を買ったのはおぼえている。

しかし、その当時、経理に従事する者は、ソロバンを使って仕事をするのが当たり前、という空気だった。
電卓なんか使うのはプロの経理マンじゃない、みたいな。

私は、小学校の時に珠算検定の5級をとっていた(貼り出された紙に書かれた合格者の受験番号を見るという、人生初めての合格発表がこれ)が、就職した時には既に掛け算、割り算はできなくなっていた。

仕事を教えてくれた先輩(たまたまだが、30年の時を経て、今同じ職場でまた一緒に仕事をしている)に、「すみません、私、ソロバンで掛け算とかできないんです」と言い訳をしつつ、足し算と引き算だけソロバン、掛け算と割り算は電卓で仕事をさせてもらった。

今は全部電卓だけど(爆)。
(あ、でも、一応机の抽斗にはソロバン、入ってます)

パソコンの話と電卓、非常に遠いようであるが、私の人生においては、「キーで数字を打つ(入力する)機械」という意味では、まず電卓にさわり、やがて、会社に導入されたパソコンにさわるようになったわけで、ひとつながりの話なのだ。
(若い人にしてみれば、パソコンも電卓も、別々のものとして、最初から当たり前に存在してるんだろうけどね)

(余談だが、会社で10年前後上の世代の先輩に話を聞くと、必ず出てくるのが、「タイガー計算機」というもの。私も現物は1回しか見たことがないが、まだ電卓が普及する前の時代、事務職の先輩方は、必須の道具だったらしい。また、計算尺を使って仕事の計算をしていた、という話も聞く)

大型コンピューター

さて、「鉄腕アトム」で知った「コンピューター」というものが、次に自分の身近にかかわりを持ってきたのは、大学の時だった。

たぶん、前期2年の教養課程の時、1974年か75年だったと思うが、数学の科目の一つにコンピューター言語の履修があった。

大学では履修科目を自分で選ぶ。やはり、時代の先端を行くイメージがある、コンピューター関係の知識を得ておきたい、と思って履修することにした。

勉強したのは、プログラム言語の一つ、「FORTRAN」だった。

もう内容については、ほとんどおぼえていないが、パンチカードに穴を空ける作業をしたことと、使った教科書の表紙は何となく記憶にある。

この時代、パソコンはもちろんまだ普及していなかったから、大学教育におけるコンピューターも、大型コンピューターを前提とした内容だったということなのだろう。

そして、コンピューターというものに、もっとかかわりを持つようになったのは、やはり会社に入ってからだ。

1978年に今の会社に入って、前記の通り、経理部に配属された時、扱う業務データは既に電算処理されていた。

新人の私は、カーボン複写の入金伝票や出金伝票をボールペンで記入する。

それを、一定時期分まとめて、別フロアにあるコンピューター室に電算処理依頼するのだった。

手書きの帳簿というものも例外的にはあったが、基本は電算用の伝票が業務の中心だった。
まだ電算処理がなかった時代を過ごしてきた年配の先輩が、こんな電算用の伝票しか書かないんじゃ、若い人は、借方も貸方もわからないじゃないか、と言っていたのをおぼえている。

大学で簿記を履修しなかった私の場合、確かにそうだった。借方貸方の複式簿記の理論は、日々の仕事を通じてでなく、その後、勉強しておぼえていったものだ。

それはともかく、新人の私にとってのコンピューターは、別フロアにある大型のマシン。
自分が書いた入力伝票の処理を依頼すると、後日、アウトプットが届けられてくる、とういうイメージのものだった。
「外注先」という感じ?

あ、関連して思い出したけど、当時は、社内にタイピストがいた。仕事の書類はもちろん全部手書きだったわけだが、例えば本社から支店に発信する、指示文書、通知文書のたぐい、つまりかしこまった公式文書は、手書きの原稿をタイプ室に持ち込むと、タイピスト(3人くらいいたかな)がタイプしてくれるのだった。

あれも、社内の「外注先」、専門職、というイメージだったな。

パーソナル・コンピューター。パソコン。

コンピューターというものが、「パーソナル」な存在になる、つまり、自分自身がコンピューターを使って仕事をする、なんてことは夢想だにしていなかった。

タイピストの特殊技能だと思っていたキーボード入力を、数年後に自分がやるようになる、などとも、露ほども思っていなかった。

そんな時代だ。70年代末期。

今思ってみると、自分のデスクには、パソコンがなかったわけですよ。
今は誰の机の上にもノートパソコンが置いてあるけど。
机の上、今よりずっと広かったんだよなあ・・・。

表とか作る時も、大きな紙ひろげて、定規で線引いて。

(ちなみに、私の職歴の中で、自分の机の上にパソコンが載ったのは、つまり、自分専用のパソコンを持ったのは、入社して10年以上経ってからだったと思う。昭和の末か、平成に入った頃だったかなあ)

さて、まだパソコン、出てきませんね(笑)。

とりあえず、今回は、「パソコン前史」ということで、このへんで。

続きはまた。次回は、パソコン出てきますので。