他の誰にも書けなかった音楽。
今回の発見。初期、作品18の6曲の中で、6番がとても魅力的な曲だと知った。
6曲の中では、学生時代からここまで、4番に断然親しんできた。
あとは、1番、2番といったところで、正直、3番、5番、6番は、それに比べるとなじみが薄かったのだが、6番っていい曲だね!
近い内、また聴こう。
あとは、1番、2番といったところで、正直、3番、5番、6番は、それに比べるとなじみが薄かったのだが、6番っていい曲だね!
近い内、また聴こう。
中期5曲の中では、これは昔から思ってるんだけど、「ラズモフスキー」の3曲よりは、「ハープ」、「セリオーソ」の方に魅力を感じる。
超個人的な感覚なのだが、この2曲は、ビートルズのアルバムで言えば、「ラバー・ソウル」と「リボルバー」に近いものを感じる。
「サージェント・ペパーズ」や「アビー・ロード」ほどメジャーではないが、独特の魅力がある、というような。
「サージェント・ペパーズ」や「アビー・ロード」ほどメジャーではないが、独特の魅力がある、というような。
そして、あの「第九」の後に書かれた、神品という他はない後期5曲。
ハイドン、モーツァルトが育ててきた弦楽四重奏というフォーマットが、ベートーヴェン一人によって、何という高みに達したのか、という驚きがある。
(再度ビートルズを持ち出すが、初期のロックンロールが、「サージェント・ペパーズ」や「アビー・ロード」の境地にまで至った彼らの進化は、ベートーヴェンのそれと重なり合うものがあると思う)
(再度ビートルズを持ち出すが、初期のロックンロールが、「サージェント・ペパーズ」や「アビー・ロード」の境地にまで至った彼らの進化は、ベートーヴェンのそれと重なり合うものがあると思う)
とりわけ、やっぱり、13番、14番、15番の3曲!
この3曲は、何度聴いてもすごいと思う。どうしても順位がつけられない。甲乙つけ難いものがある。
やっぱり14番かな、と思った瞬間、いやいや15番の方が、とか。
やっぱり14番かな、と思った瞬間、いやいや15番の方が、とか。
この3曲、いっぺん弾いてみたいもんだと思う。
作品18とはまったく違う意味で、だけどね。
どうせ歯が立たないことはわかってるんだけと、というか、怖いもの見たさ、というか。
作品18とはまったく違う意味で、だけどね。
どうせ歯が立たないことはわかってるんだけと、というか、怖いもの見たさ、というか。
それから、今回、最後の16番を聴いて思ったのは、この曲は、過渡的な作品だったのではないか、ということ。
楽聖が最後に到達した境地として、それまでとは違った、シンプルな作品になった、とよく言われる(気がする)が、ちょっと違うのではないか、と。
例えば、シンフォニーが、5番、6番、7番と拡大基調で来て、「第九」の前に、あのコンパクトな8番を書いた、それに通じるものを感じる。
作曲順に言えば、12番、15番、13番、14番と、1曲ごとに楽章の数が増え、かつ内容的にも、それまでの弦楽四重奏曲にはなかった深まりが出てきた。
ちょうど、柿が熟しきったような、そんなところで、ベートーヴェンとしては、一度、昔に帰って、シンプルでコンパクトな四重奏曲を書かねばならない、という気持ちにかられたのではないだろうか。
「その次」へのステップのために。
ちょうど、柿が熟しきったような、そんなところで、ベートーヴェンとしては、一度、昔に帰って、シンプルでコンパクトな四重奏曲を書かねばならない、という気持ちにかられたのではないだろうか。
「その次」へのステップのために。
「弦楽四重奏曲第17番」を見据えていたような気がするのだ。
これは、ピアノ・ソナタだとちょっと違うように思う。
ソナタの32番、作品111は、あれこれやってきた末に、そこに到達した、という感じがある。
もちろん、「ピアノ・ソナタ第33番」が構想されていたかもしれないが、32番自体は作品として自己完結していると思える。
ソナタの32番、作品111は、あれこれやってきた末に、そこに到達した、という感じがある。
もちろん、「ピアノ・ソナタ第33番」が構想されていたかもしれないが、32番自体は作品として自己完結していると思える。
四重奏の16番はそれとは違うように思うのだが、私だけだろうか。
弦楽四重奏をひと通り聴いた。次は、近い内に、そのピアノ・ソナタ、いくかな。
前に32曲曲順で聴いたことがあるんだけど、2回目を。
どうしても、シンフォニーやカルテットほど親しんでいないので、少しソナタに集中しないといけないな。
前に32曲曲順で聴いたことがあるんだけど、2回目を。
どうしても、シンフォニーやカルテットほど親しんでいないので、少しソナタに集中しないといけないな。