naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

前言修正~ハイドンの弦楽四重奏曲

来月の定期演奏会、開演前のホワイエ(ロビー)コンサートで、ハイドンの「ひばり」を演奏する(明日もその練習がある)。

ということで、今日は、ハイドン弦楽四重奏曲を通勤時にいくつか聴いた。

当の「ひばり」の他、「セレナーデ」、「五度」、「皇帝」、「日の出」。

やっぱり、ハイドンはすごい、と思った。

今日聴いた内、「セレナーデ」以外は、モーツァルトハイドンに献呈した、「ハイドン・セット」より後に書かれた作品。

ハイドンが、年下のモーツァルト、渾身の傑作群に刺激を受けて、自分の弦楽四重奏作曲をさらに前進させた、と言われるだけあって、どの曲も充実感に満ちている。

「五度」などは、モーツァルトのK421に触発されて書いたのではないか、と想像をかきたてられる。

他のハイドン弦楽四重奏曲を、もっと色々聴いてみたいと思う。いずれは全集を手に入れることになるだろうか。

というようなことを思いつつ、先日、ベートーヴェン弦楽四重奏曲を全曲聴いた時に書いた記事について、修正が必要かもしれない、と思った。

   ※その過去記事 「ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲を番号順に聴いて」
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/63007112.html

この中でこう書いた。

ハイドンモーツァルトが育ててきた弦楽四重奏というフォーマットが、ベートーヴェン一人によって、何という高みに達したのか、という驚きがある」。

これは違うな、と今日、そのハイドンの四重奏曲を聴きながら思った。

ハイドンの四重奏曲が、ベートーヴェンよりも下にあるような書き方は、間違いだ。

ハイドンモーツァルトが違いに触発し合って高め、完成させた弦楽四重奏曲の価値それ自体、不滅の価値がある。

ベートーヴェンがそれを受けて行った創作行為は、単純にそのレベルを引き上げたのではなく、ハイドンモーツァルトが確立したこのジャンルの、応用理論とでもいうべきものだったか、と思う。

ハイドンモーツァルトとは、別の地点、別の次元に、別の花を咲かせた、というか。

今日、ハイドンの傑作を何曲か聴きながら、そんな気がした。

前言を修正します。