来月の
定期演奏会、開演前のホワイエ(ロビー)コンサートで、
ハイドンの「ひばり」を演奏する(明日もその練習がある)。
当の「ひばり」の他、「セレナーデ」、「五度」、「皇帝」、「日の出」。
ハイドンが、年下の
モーツァルト、渾身の傑作群に刺激を受けて、自分の
弦楽四重奏作曲をさらに前進させた、と言われるだけあって、どの曲も充実感に満ちている。
「五度」などは、
モーツァルトのK421に触発されて書いたのではないか、と想像をかきたてられる。
他の
ハイドンの
弦楽四重奏曲を、もっと色々聴いてみたいと思う。いずれは全集を手に入れることになるだろうか。
というようなことを思いつつ、先日、
ベートーヴェンの
弦楽四重奏曲を全曲聴いた時に書いた記事について、修正が必要かもしれない、と思った。
この中でこう書いた。
これは違うな、と今日、その
ハイドンの四重奏曲を聴きながら思った。
ベートーヴェンがそれを受けて行った創作行為は、単純にそのレベルを引き上げたのではなく、
ハイドン、
モーツァルトが確立したこのジャンルの、応用理論とでもいうべきものだったか、と思う。
今日、
ハイドンの傑作を何曲か聴きながら、そんな気がした。
前言を修正します。