naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

元ザ・ピーナッツ伊藤エミさん死去

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ザ・ピーナッツの双子の姉、伊藤エミさんの訃報。

最近の訃報の中でも、特に重く受け止めた。

現役のアーティストではない。1975年に引退して、既に37年。
客観的に言えば、過去の人になっていたわけだが、それでも、重い。

そう思うのは私だけではないようで、何人かのマイミクさんが、衝撃を受けたと書かれていた。

何故か。

それは、後にも先にも「ザ・ピーナッツ」のような存在がいなかったからだ。

これまで、女性デュオは他にも色々いた。双子の女性デュオも、ザ・ピーナッツだけではない。

しかし、あの声質のブレンド、あのハーモニーは、ザ・ピーナッツだけのものだった。

空前にして絶後の存在。

楽曲のよさも。

特に、宮川泰作品。「ふりむかないで」、「恋のバカンス」、「ウナ・セラ・ディ東京」・・・。

それに劣らぬ、すぎやまこういち作品。「ローマの雨」、「恋のフーガ」・・・。

初期作品は、洋楽のカバー、そして、国産のオリジナルポップスへ。
やがて歌謡曲風の作品、「大阪の女」に至っては演歌に傾斜している。

そうした、幅広い曲想のどれも、ザ・ピーナッツはこなした。

ウナ・セラ・ディ東京」は、典型的な歌謡曲のようでいて、しかし歌謡曲とは言えない、不思議なテイストを持った作品だったが、この曲などは、曲のよさがアーティストのよさを引き出し、逆に、このアーティストでこそ曲のよさを引き出せたと言える、稀有な例だと思う。

さらに言えば、ザ・ピーナッツという存在を、メディアとしてのテレビ、映画がこの上なく活かし、確固たるものにしたと思う。
テレビの台頭時代における、「シャボン玉ホリデー」、そして、映画「モスラ」。
ここにも、ザ・ピーナッツをめぐる大きな相乗効果があったと思う。

シャボン玉ホリデー」の、お粥のコント、エンディング。
タレントが消耗品となっている今日のテレビ界と違って、テレビ番組とタレントが密接に、ある価値を産んでいた時代。

いくつもの意味で、ザ・ピーナッツの存在は大きい。

先に書いた通り、現役のアーティストではない。
私の世代だからこそ感じることなのだろう。

それを幸せだと思う。

伊藤エミは、「東京の女」を作曲した沢田研二と結婚する。

芸能界、また渡辺プロの先輩であるザ・ピーナッツは、ジュリーにとっては憧れの存在であったと聞く。
テレビ局かどこかで、ザ・ピーナッツがトイレから出てくるところに遭遇し、「この人たちもトイレに入るんだ!」と思った、という話を、何かで読んだ記憶がある。

ジュリーが、自分のライブ(確か野外での公演だったと思う)のステージに、新妻の伊藤エミを呼び入れ、ファンに紹介したシーンの写真を、芸能雑誌か何かで見た。
白い、ウェディングドレスのような服装の伊藤エミの美しさに、私も魅せられた記憶がある。

この結婚は残念な結末を迎える。しかし、その話は置こう。

けさのスポニチによれば、ずっと姉妹での生活をしていたらしい。

71歳。
彼女もそんな歳になっていたのか、また、亡くなるにはまだ早い、という両面の驚きがある。

妹に看取られての旅立ちは、幸せだったと言えるだろうか。そうだといいが。

手元に、もう20年以上前にリリースされたベスト盤がある(画像)。

明日は、これを聴いてみよう。