naokichiオムニバス

66歳会社員。ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

終戦の日に

8月15日。

妹が姪を連れて木更津に帰ってきた。

木更津駅で出迎えて、父の施設へ。

最近の父は、我々が顔を出しても、この人たちは誰だろう、という反応。

今日も、声をかけても終始下を向いたままで、コミュニケーションはほとんどとれず。

仕方がない。

日頃お世話をして下さるスタッフの方が、「よく校歌を歌ってらっしゃいますね」、とおっしゃる。

その父の歌は、私もここの施設で前に聞いたことがある。自分の旧制中学の校歌だ。私や妹の高校の校歌でもある。

こうして、目の前のコミュニケーションもとれないほど衰えた脳の中で、70年も前の中学の校歌がどうして出てくるのだろう。

不思議なことだ。

施設を辞去して、実家へ向かう途中の和食の店で昼食。

姪は19歳になった。

思ってみれば、日本が終戦を迎えた昭和20年の今日、大正15年生まれの父は19歳だったのだ。

実家を妹にまかせ、千葉に戻ったら、施設から封書が届いていた。利用料の請求と一緒に、毎月、父の近況を報告する書類も入っている。

その中にこうあった。

「七夕の短冊に、「健康第一」と自書されました」。

「健康」は、父の大切な言葉。昔から、我々子供たちにも健康が第一だと繰り返し説き、実家を離れてからは、帰省した際に、二言目には、風邪薬や胃腸薬は足りているかと気にしていた。
年賀状にも決まって、健康で1年を過ごすように祈っている、と書いて来た。

今年の七夕、さっき見たような状況の父が、短冊に何か書けと言われて「健康第一」と書いた、と聞くと、これも先の校歌の話と同様、何とも不思議な気持ちになる。

脳の中の奥底には、きっと「健康が大事」という意識(父にとってのキーワード、キャッチコピー、ポリシー)が残っていて、今や脳内の記憶をほとんど呼び出せないようになっている中で、そのことだけは掬い採れたんだなあ・・・。

そんなふうであっても、どんなふうであっても、とにかく1日1日を生きていってくれたら。少しでも長生きしてくれたら。

そう思う。

終戦の日、父、86歳。