naokichiオムニバス

67歳会社員。ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

びっくりしたマーキュリーの音質

先月、入社同期の旅行の合間に、仙台のタワレコで、このCDを買った。

「マーキュリー・リヴィング・プレゼンス50」シリーズの1枚、クーベリック=シカゴ響の「プラハ」「新世界」。
イメージ 1


クーベリック=シカゴ響の一連の録音は、モノーラル。
他には「展覧会の絵」や「我が祖国」などがあって、私が大学の頃にも、1枚1,500円の廉価版でフォノグラムから出ていたと記憶するが、これまで聴いたことはなかった。

今日、朝の通勤時に聴いたのだが、音が鮮明なことに驚いた。

プラハ」は1953年、「新世界」は1951年の録音なのだが、実にきれいな音だ。

マーキュリーと言えば、「松ヤニが飛び散る音が聞こえる」と評される、シュタルケルの録音が有名で、音質には定評があると聞いていたが、モノーラル録音でこれほど鮮明だとは驚いた。

思わず、同じウォークマンに入れてある、フルトヴェングラーの「運命」の冒頭と聴き比べてみた。こちらはクーベリックよりも新しい1954年の録音だが、何とも鈍い音だ。

「新世界」の1951年と言えば、あのフルトヴェングラーバイロイトの「第九」が収録された年。あの「第九」も、不備の感じられる録音だ。あれはまあ、ライブ録音だからという面もあるが、「運命」の方はスタジオ録音。

さらに連想したのは、ワルターウィーン・フィルの「大地の歌」。1952年のモノーラル録音だが、録音には定評あるデッカだけあって、音質は良好だ。デッカのモノ録音には、エーリッヒ・クライバーの「薔薇の騎士」など、他にも高音質の盤が多い。

うーん、そう考えると、フルトヴェングラーがEMIと組んでいたのは、後年のレコードファンのためには残念なことだったのか?

EMIは、フルトヴェングラーの一連の録音で、長年さんざん稼いた上、最近はリマスタリングの再発や、SACDでの再発など、まだ売り足りないのか、という感じだ。

しかし、このマーキュリーの録音を聴いてしまうと、もしフルトヴェングラーが、マーキュリー、あるいはデッカと常時録音できる立場だったら、と思ってしまう。

以前、ステレオ録音をたくさん残せたワルターのように、フルトヴェングラーがあと少し長生きしていたら、と書いたことがあるが、存命期間もさることながら、より優れた録音技術を持つレーベルとの縁があったなら、という面も感じさせられたのだった。