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レコード・アカデミー賞のすべて

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先月、音楽之友社から「レコード・アカデミー賞のすべて」(ONTOMO MOOK)が発刊された。

賞の創設50周年を記念してのものだ。

私が、クラシック音楽を聴こうと思い立ったのは、1971年、高校1年生の秋だった。
明けて1972年、その手引きとして、「レコード芸術」を買い始めた。今日まで1号も欠かさず購入し、かつ保存している。

初めて買ったのが、1972年1月号。当時の表紙は、毎月の新譜レコードのジャケット写真で、この号は、カラヤンの「マイスタージンガー」だった。

1月号ということで、レコード・アカデミー賞の発表が掲載されており、レコードを買い集め始めていた私は、受賞レコードも参考にしようと誌面を眺めたものだった。
管弦楽曲部門のメータ=ロス・フィルの「春の祭典」、協奏曲部門のカラヤンベルリン・フィルベートーヴェン三重協奏曲、器楽曲部門のアシュケナージのリストなどを候補として検討したのをおぼえている。

以後、高校、大学、卒業後の1980年代前半あたりまで、レコ芸は穴が空くほど読んだ。
暇だったんだよなあ。何度も何度も読み返し、何年何月号の表紙は何で、特集は何で、交響曲の月評で推薦盤になっているのは何で、とおぼえるほどだった。
大木正興氏や高崎保男氏、畑中良輔氏の月評は文章も暗記するくらい読んだものだ。

だから、レコード・アカデミー賞についても、この時期のものは、何年の何部門は何で、大賞は何だったか、などもおぼえている。
特に大学時代は、親しい友人たちもレコ芸を買って読んでいたから、今年の交響曲部門は何がとるか、など予想談義をしたものだ。

そんな身なので、この冊子は非常に興味深く読んだ。

今回初めて知ったが、この賞が1963年に創設される前、1960年~1962年にその前身と言えるレコード賞があったのだそうだ。
「「レコード・アカデミー賞」前史」という記事が冒頭に載っている。

レコード専門誌3誌、「レコード芸術」、「ディスク」、「LP手帖」の批評家が選定するレコード賞として、1960年に「レコード批評家賞」が創設され、翌年から「レコード批評家選奨」に名称変更されたそうだ。

そして、1963年、「レコード・アカデミー賞」が創設される。

この冊子には、「レコード芸術」の1964年2月号から、その特集ページが復刻掲載されている。

選考委員長は村田武雄氏。

大賞が、ブリテンの自作自演、戦争レクイエム。
アカデミー賞として、ワルター=コロンビア響のマーラー1番、ロストロポーヴィチリヒテルベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集、ベーム=フィルハーモニア管の「コシ・ファン・トゥッテ」が選出されている。

冊子では、この第1回から昨年の第50回までの全受賞レコードが掲載されている。

オンタイムで見てきた名盤が多数並んでいて、懐かしい。

全受賞レコード紹介の他、座談会が2つ。

まず、小林利之氏、歌崎和彦氏、諸石幸生氏による「レコード・アカデミー賞の50年」。

小林氏、歌崎氏は、第1回からこの賞にかかわっており、諸石氏は現在の選定委員長。貴重な話をされている。

それから、相場ひろ氏、満津岡信育氏、矢澤孝樹氏による「決定!ベスト・オブ・レコード・アカデミー賞」。

歴代の受賞盤から、部門ごとにベスト3を選ぶものだ。
ちなみに、交響曲部門のベスト1は、カラヤンベルリン・フィルマーラー9番、管弦楽曲部門は、ブーレーズクリーヴランド管の「春の祭典」(CBSの旧盤)、協奏曲部門は、ロストロポーヴィチカラヤンドヴォルザーク、オペラ部門は、マッケラス=ウィーン・フィルの「利口な女狐の物語」。

最後に、そのすべてから、ベスト・オブ・ベストとして選ばれたのが、第1回の大賞受賞盤、ブリテンの戦争レクイエム、次点が、グールド最後の「ゴルトベルク変奏曲」となっている。

また、誌面の合間には、「「レコード・アカデミー賞」こだわりコラム」が挿入されており、カラヤンバーンスタインはどちらが受賞回数が多いか、など、これも興味深い内容だ。

今回、この冊子で読んで、そう言えばそうだった、と思わされたのは、カラヤンが大賞を受賞していない、という事実だ。

1970年代から80年代にかけて、カラヤンはレコード・アカデミー賞の常連だった。
1972年には、チャイコフスキーの3大交響曲と「マイスタージンガー」で2部門同時受賞しているし、特にオペラでは、「オテロ」の他、1978年から1981年には、「サロメ」、「ドン・カルロ」、「アイーダ」、「パルジファル」で4年連続受賞している。そして、前記マーラーも。

「こだわりコラム」によれば、アーティスト別の受賞回数ランキングでは、カラヤンがトップ(14回受賞)。それなのに、大賞を受賞していなかったとは。

同じ時期、指揮者でレコード界の中心的存在だったのが、ベームバーンスタイン。両巨匠は、総受賞回数はカラヤンより少ないものの、大賞は4回ずつ受賞している。
ベームは、「ルル」、「トリスタンとイゾルデ」、「ニーベルンクの指環」、ブルックナーの4番で大賞。
バーンスタインも、ベートーヴェン交響曲全集、ブラームス交響曲全集、「トリスタンとイゾルデ」、ベルリン・フィルとのマーラー9番で大賞。

オペラの録音が決して多くなかったバーンスタイン(加えて高崎保男氏の受けもよくなかった)が、生涯唯一のオペラ部門での受賞で大賞となったのに、この部門常連のカラヤンが、とうとう大賞を得ずに終わった、というのは、カラヤン側から見れば無念な話だろう。

また、カラヤンの大賞もさることながら、あのカルロス・クライバーが、大賞どころかアカデミー賞さえ一度も受賞していない、というのも、言われてみれば、の驚きだ。

レコーディングが少ない人だった、ということはあるが、そのほとんどが、今に至っても不動の名盤とされているのに。
特に、「こうもり」や「トラヴィアータ」あたりは受賞してしかるべきだったと思うが、その年に競合盤があったということか。

1973年度の小澤征爾=パリ管の「火の鳥」も、個人的には懐かしいレコードだ。
小澤さんは、その前年に、日本フィルを指揮した武満徹、石井眞木作品で日本人作品部門の受賞があるが、海外のオケを振って、邦人作品でないレパートリーでの受賞は、「火の鳥」が初めてだった。
ボストン響の音楽監督に就任し、世界にはばたきつつあった小澤さんの名誉の一つとして、喜ばしく思ったのをおぼえている。

その小澤さんは、翌年、今度は日本人演奏部門で、ニュー・フィルハーモニア管との「第九」で受賞。イギリスのオケ、ソリストもすべて外国人だが、日本人演奏部門ということで、議論を呼んだものだ。
この、日本人演奏部門は、日本人作品部門ともども、その当時、日本人のクラシック音楽、現代音楽のレコーディングを奨励する意味で設けられていたものかもしれないが、日本人を別枠扱いすることの違和感は指摘されていた。
小澤さんの他、東京クヮルテットや内田光子なども、この部門で受賞しているが、後年、日本人枠でなく、通常の部門での受賞も少なくない。
日本人演奏、日本人作品とも、1998年になってやっと廃止されるが、ずいぶん長く続いたものだと思う。

歴代受賞盤を眺めると、この人が1回しか受賞していないのか、という驚きも少なくない。
カラス、クーベリック、ケンプ、スターン、スウィトナーチョン・ミュンフン、R.ゼルキンバックハウスペライアヘブラー、マルティノン、マリナー、ラローチャランパル

それやこれや、大変興味深い冊子であった。

クライバーの例に顕著なように、受賞の有無がその演奏の価値と比例するものではないが、レコード・アカデミー賞の50年の歴史を一覧すると、自分が長年親しんできたクラシックレコードの歴史の一端を確認できるような気がして、懐かしくまた感慨深いものがある。