naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

ブルックナー4番との距離

クラシック音楽の鑑賞歴も、40年を超えた。

また、長くアマオケで活動してきた中で、数多くのオケ曲を演奏してきた。

耳で聴くことと、自分で演奏することは、相当に違う行為だ。

自分で演奏することで、その音楽に対する理解が格段に深まる。

私の感覚だと、それは、例えばこういうことだと思う。

親戚の家、あるいは友人の家でもいいが、要は、自分が日常住んでいない家に、数日間、泊まりがけで滞在したとする。

そうすると、短時間の訪問に際して、通された部屋でだけ過ごすのとは違って、その家の間取りであったり、トイレや浴室がどうなっているかなど、細部を体験することができる。

自分の家ではないながら、外からその家を見ていた、あるいは通された部屋だけ知っていたのとは、格段に違って感じられる。

あるいは、旅先の旅館などでも、何日か滞在して、あちこち歩いている内に、館内の構造をすっかり覚えてしまったりするものだ。

自分で演奏する、というのは、そんな経験に似たものがあるような気がするのだ。

ヴィオラ、という、オケの中の1パーツを通してであっても、耳で聴いているだけではわからなかったことが、実際に演奏してみるとよくわかる。

今の浦安オケだと、年2回の演奏会。半年かけて練習した曲は、本番が終わった時には、たいてい好きになっている。

(たまに例外もあるが。聴くと弾くとでは大違い、いい曲だと思っていたのに、こんなにしんどいんだ、とびっくりする場合(例;シベリウスの「カレリア」組曲の1曲目)とか、とうとう好きになれずに終わる場合(例;フランクの交響曲。来年春に38年ぶりに弾くが)とか)

最近、自分でびっくりしているのが、先月演奏したブルックナーの4番だ。

実はこの曲、学生時代から聴いてはいるが、ブルックナーのシンフォニーの中では、そう好きな方ではなかった。

ブルックナーは、聴くなら、7番、8番、9番だった。

それが。

本番が終わってから、もう2ヶ月近く経つのに、その4番を、毎日のように聴かないと気がすまない、というふうになっている。

好きになっちゃった(キャッ)、んだね。

いや、練習過程では、初めて取り組むブルックナーは、辛くて苦痛だったのだ。練習の記事では、何度もそれを書いてきた。

ただ、先月の演奏会では、本番直前にトップ代奏をすることが決まって、苦痛だとか言っていられなくなり、泥縄のにわか勉強をして、本番を乗り切った、という経緯がある。

たぶん、そうした特殊事情、火事場の馬鹿力を出さなければならなかった経験が、一気にこのシンフォニーと自分の距離を縮めたのだと思う。
予定通りトップサイドのままで本番を終えていたら、今、こういう感覚にはなっていなかったかもしれない。

ともかく、毎日のようにブルックナーの4番を聴きたくなり、7番、8番、9番はそっちのけ。

ちょっと前までは、めったに聴かない曲だったのに。

本番で演奏することを通じて、それまで気がつかなかった曲の魅力を知り、いい曲だなあ、と思うに至る。
そういう経験は、たびたびしてきたのだが、ここまでの振幅は突出しており、自分でも驚いているところだ。

もしかすると、男女の関係でも、こういうの、あるかもしれないね。

※関連の過去記事
    ブルックナー交響曲とのつきあい
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/18947731.html
    よっぽどの苦行・・・? ブルックナー
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/57638371.html