クラシック音楽の鑑賞歴も、40年を超えた。
また、長くアマオケで活動してきた中で、数多くのオケ曲を演奏してきた。
耳で聴くことと、自分で演奏することは、相当に違う行為だ。
自分で演奏することで、その音楽に対する理解が格段に深まる。
私の感覚だと、それは、例えばこういうことだと思う。
親戚の家、あるいは友人の家でもいいが、要は、自分が日常住んでいない家に、数日間、泊まりがけで滞在したとする。
そうすると、短時間の訪問に際して、通された部屋でだけ過ごすのとは違って、その家の間取りであったり、トイレや浴室がどうなっているかなど、細部を体験することができる。
自分の家ではないながら、外からその家を見ていた、あるいは通された部屋だけ知っていたのとは、格段に違って感じられる。
あるいは、旅先の旅館などでも、何日か滞在して、あちこち歩いている内に、館内の構造をすっかり覚えてしまったりするものだ。
自分で演奏する、というのは、そんな経験に似たものがあるような気がするのだ。
ヴィオラ、という、オケの中の1パーツを通してであっても、耳で聴いているだけではわからなかったことが、実際に演奏してみるとよくわかる。
今の浦安オケだと、年2回の演奏会。半年かけて練習した曲は、本番が終わった時には、たいてい好きになっている。
(たまに例外もあるが。聴くと弾くとでは大違い、いい曲だと思っていたのに、こんなにしんどいんだ、とびっくりする場合(例;シベリウスの「カレリア」組曲の1曲目)とか、とうとう好きになれずに終わる場合(例;フランクの交響曲。来年春に38年ぶりに弾くが)とか)
最近、自分でびっくりしているのが、先月演奏したブルックナーの4番だ。
実はこの曲、学生時代から聴いてはいるが、ブルックナーのシンフォニーの中では、そう好きな方ではなかった。
ブルックナーは、聴くなら、7番、8番、9番だった。
それが。
本番が終わってから、もう2ヶ月近く経つのに、その4番を、毎日のように聴かないと気がすまない、というふうになっている。
好きになっちゃった(キャッ)、んだね。
いや、練習過程では、初めて取り組むブルックナーは、辛くて苦痛だったのだ。練習の記事では、何度もそれを書いてきた。
ただ、先月の演奏会では、本番直前にトップ代奏をすることが決まって、苦痛だとか言っていられなくなり、泥縄のにわか勉強をして、本番を乗り切った、という経緯がある。
たぶん、そうした特殊事情、火事場の馬鹿力を出さなければならなかった経験が、一気にこのシンフォニーと自分の距離を縮めたのだと思う。
予定通りトップサイドのままで本番を終えていたら、今、こういう感覚にはなっていなかったかもしれない。
予定通りトップサイドのままで本番を終えていたら、今、こういう感覚にはなっていなかったかもしれない。
ともかく、毎日のようにブルックナーの4番を聴きたくなり、7番、8番、9番はそっちのけ。
ちょっと前までは、めったに聴かない曲だったのに。
本番で演奏することを通じて、それまで気がつかなかった曲の魅力を知り、いい曲だなあ、と思うに至る。
そういう経験は、たびたびしてきたのだが、ここまでの振幅は突出しており、自分でも驚いているところだ。
そういう経験は、たびたびしてきたのだが、ここまでの振幅は突出しており、自分でも驚いているところだ。
もしかすると、男女の関係でも、こういうの、あるかもしれないね。
※関連の過去記事
ブルックナーの交響曲とのつきあい
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/18947731.html
よっぽどの苦行・・・? ブルックナー
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/57638371.html
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