昨19日(日)、宇都宮へ行き、ララスクエアで昼食をとった後、タクシーに乗って、会社の先輩の家に向かった。
Nさんというこの先輩が、だいぶ前に亡くなっていたことを知り、訪ねたのだ。
Nさんとは、1983年から4年間、千葉の現場事務所で一緒だった。
Nさんは機械担当、私は総務担当と、職種は違ったが、本当にお世話になった。
まずは、事務所に赴任する時の引っ越し。当時、浦和の独身寮に住んでいたのだが、千葉への引っ越しの時は、Nさんが事務所のトラックを運転して浦和まで来てくれて、事務所2階の宿舎、6畳間に荷物を運んだ。
宿舎では、Nさんと部屋が隣同士だった。Nさんの大きな鼾は今でも思い出す。
職住一体の環境、宿舎には、他の社員や青森からの出稼ぎの人たちも泊まっていた。
事務所の食堂で3食とり、夜になれば一緒に酒を飲む生活。
Nさんは、まさしく現場屋さんというイメージの、声の大きい豪快なキャラクターで、底なしの飲んべえだった。
Nさんの酒量にはとてもついていけなかったが、毎日一緒に飲んでいた。
酒癖の悪さはなく、人と喧嘩したり暴れたり、などということはなかったと記憶する。
ただ、ある日、夕食の後に私が事務所で残業仕事をしていたら、酔っぱらったNさんがやってきて、当時の炊事婦の食事が不味い、という愚痴をこぼし始めた。
その話があまりにも延々と続くので、私が机をたたいて、「俺、今、仕事してんだよ!」とどなったことがある。
懐かしい思い出だ。そんなことも楽しかったなあ。
その話があまりにも延々と続くので、私が机をたたいて、「俺、今、仕事してんだよ!」とどなったことがある。
懐かしい思い出だ。そんなことも楽しかったなあ。
豪快なキャラクターの反面、気遣いにあふれたところもあって、そこが好きだった。
この現場事務所の在籍中に、私は結婚することになり、Nさんに披露宴の招待状を渡した。
しばらくしたある日、Nさんが、珍しく折り入って、という感じで話しかけてきた。あの時も酔っぱらってただろうか。
俺なんかを披露宴に呼ぶより、事務所の中のポストからすれば、もっと呼ぶべき相手がいるんじゃないのか、という話だった。
俺なんかを披露宴に呼ぶより、事務所の中のポストからすれば、もっと呼ぶべき相手がいるんじゃないのか、という話だった。
いやいや、そういうことじゃなくて、この事務所ではNさんに一番世話になっているんだし、あなたに祝ってもらいたいんだから、是非出席してくれよ、と話して、出席してもらった。
柄にもない遠慮、ということではない。事務所の中の状況を、心底気にしてくれてのことだった。
2年半住んだ事務所の宿舎から、今のマンションに引っ越す時にも、Nさんの世話になった。
私は、その後、本社に転勤したが、Nさんは千葉、あるいは木更津の現場事務所での勤務を続けた。
10年余り前、心臓を患って入院したという話を聞き、千葉市内の病院に見舞いに行った。
酒だけでなく煙草も相当吸う人だったので、心臓なんだから、もう煙草はだめだよ、と言ったら、わかった、という感じではまったくなく、にやにや笑っていたのをおぼえている。
最後に顔を見たのは、この時だっただろうか。
酒だけでなく煙草も相当吸う人だったので、心臓なんだから、もう煙草はだめだよ、と言ったら、わかった、という感じではまったくなく、にやにや笑っていたのをおぼえている。
最後に顔を見たのは、この時だっただろうか。
Nさんは、私より11歳年長なので、既に定年退職し、出身地である宇都宮の実家に戻った。
毎年、年賀状を出していたが、在職中から今に至るまで返事をくれることはなかった。
元気でいるかなあ、と時々思っていた。
つい先日、同じ千葉時代に一緒だった先輩の訃報が入った。その件で、千葉の者とメールのやりとりをしていた中で、「Nさんも亡くなってしまって」との言葉があり、Nさんがこの世にいないことを初めて知って、びっくりしたのだった。
Nさんと親しかった社員に電話したら、亡くなった時には、会社の者には知らせないということだったそうで、ごく限られた者だけが葬儀に行ったとのことだった。
そうだったのか・・・。
そんなことで、年賀状で使っている住所だけを頼りに、タクシーのナビで、行ってみたのだった。
呼び鈴を押すと、幸いお姉さんがご在宅で、話をうかがうことができた。
お姉さんは、Nさんとそっくりな顔。
お姉さんは、Nさんとそっくりな顔。
定年後、宇都宮に戻ってからも、相変わらず酒は飲んでいたそうだが、その後、病気をして、2010年の11月に亡くなったとのことだった。
もう4年経つのか、と、知らなかったこととは言え、改めて衝撃を受けた。
10年前に家で撮ったという写真と、葬儀の時の写真を見せていただいた。
もう会社を離れたのだから、会社の人には知らせない方がいい、というのは、お姉さんの夫の意見だったらしいが、お姉さんとしては、そのことが少し心残りな様子だった。
短時間の滞在だったが、上に書いたような、Nさんとの思い出話をいくつかさせていただき、辞去した。
お訪ねできて、ご遺族と話ができて、よかった。
機会があれば、当時一緒だった仲間たちと集まって、Nさんの昔話をしたいものだ。