naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

10月14日のこと

今日で10月も終わりですね。

ところで、10月14日という日。

Wikipediaによると、1958年に東京タワーが竣工した日であり、永作博美堺雅人の誕生日でもあるが、私個人にとっては、忘れられない2つの出来事があった日だ。

その1。1974年、長嶋茂雄の現役引退。

この日は、対中日のダブルヘッダー。これが、長嶋選手の引退試合だった。

当時、私は大学1年。この試合を、小平の下宿の白黒テレビで観た。

私は、長嶋ファンだったわけではないが、ジャイアンツが10連覇を逃したこの年、長年チームを支えてきた大スターも引退してしまうことに、やはり重いものを感じていた。

第1試合でのホームラン(444本目)。その試合後に、外野のフェンス近くを一周したこと(この時、泣きながら長嶋の名前を叫んでいた観客の一人に、落合博満がいたという)。
第2試合、最後の打席のショートゴロ。
そして、あの「我が巨人軍は永久に不滅です」。

涙を流しながらテレビを観たのをおぼえている。

その2。それから16年後の1990年、レナード・バーンスタインの命日。

バーンスタインは、小澤(征爾)さんと並んで、高校時代から私のアイドルだった。

この年の夏、バーンスタインは、サッポロにPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)を創設した。

これと前後して、ロンドン交響楽団との来日公演が行われたが、一部の曲目を弟子の大植英次に指揮させたことなどで、主催者と聴衆の間にトラブルがあったと報じられたりもした。

そして秋。

10月9日に、バーンスタインは、指揮活動から引退し、今後は教育と作曲に専念すると発表した。この件は、一般の新聞にも記事が載ったと記憶する。

バーンスタインが、指揮者として引退してしまう。私の中では、ベームカラヤンと並んで、指揮界のビッグスターであったバーンスタインが、指揮をやめてしまうというのは、大変ショックな情報だった。

ところが、話はこれで終わらなかったのだ。

僅か5日後、自宅で手にした新聞の1面に、バーンスタインの訃報が載っていた。

この時の驚き、衝撃は、本当に忘れられない。

前の年の7月に、カラヤンが81歳で亡くなった。バーンスタインは、カラヤンより10歳下だから、カラヤンがいなくなったのはさみしいが、これから先、10年くらいは、バーンスタインが指揮界のトップとして時代を担っていくだろう、とその時思っていた。

それなのに、1年あまりでバーンスタインまで他界してしまうとは。

今から思えば、仕事中でもウイスキーのグラスを片時も離さず、またチェーンスモーカーでもあったバーンスタインが、長生きできるわけもなかったのだ。72歳は、彼としては長命だったのかもしれない。

バーンスタインが亡くなったのは、ニューヨークの自宅、ダコダ・ハウス。ここは、その10年前に、ジョン・レノンが射殺された場所でもある。
その後、ニューヨークを訪れる機会があり、移動のバスの車窓から、これがダコダ・ハウスです、と教えられ、ここが、バーンスタインとジョンが住んでいた、かつ亡くなった場所なのか、と大きな感慨を持って眺めたものだ。

ところで、以下は余談。

Wikipediaを見ていたら、10月14日は、1982年に、大阪のザ・シンフォニーホールが開館した日だとも書かれていた。

実は、明日、11月1日(土)、その、ザ・シンフォニーホールに初めて行き、メータ指揮のイスラエル・フィルの演奏を聴くことになっている。

天気が思わしくないらしいのが残念だが、楽しみだ。