今日で10月も終わりですね。
ところで、10月14日という日。
その1。1974年、長嶋茂雄の現役引退。
当時、私は大学1年。この試合を、小平の下宿の白黒テレビで観た。
私は、長嶋ファンだったわけではないが、ジャイアンツが10連覇を逃したこの年、長年チームを支えてきた大スターも引退してしまうことに、やはり重いものを感じていた。
第1試合でのホームラン(444本目)。その試合後に、外野のフェンス近くを一周したこと(この時、泣きながら長嶋の名前を叫んでいた観客の一人に、落合博満がいたという)。
第2試合、最後の打席のショートゴロ。
そして、あの「我が巨人軍は永久に不滅です」。
第2試合、最後の打席のショートゴロ。
そして、あの「我が巨人軍は永久に不滅です」。
涙を流しながらテレビを観たのをおぼえている。
その2。それから16年後の1990年、レナード・バーンスタインの命日。
バーンスタインは、小澤(征爾)さんと並んで、高校時代から私のアイドルだった。
そして秋。
10月9日に、バーンスタインは、指揮活動から引退し、今後は教育と作曲に専念すると発表した。この件は、一般の新聞にも記事が載ったと記憶する。
ところが、話はこれで終わらなかったのだ。
僅か5日後、自宅で手にした新聞の1面に、バーンスタインの訃報が載っていた。
この時の驚き、衝撃は、本当に忘れられない。
前の年の7月に、カラヤンが81歳で亡くなった。バーンスタインは、カラヤンより10歳下だから、カラヤンがいなくなったのはさみしいが、これから先、10年くらいは、バーンスタインが指揮界のトップとして時代を担っていくだろう、とその時思っていた。
それなのに、1年あまりでバーンスタインまで他界してしまうとは。
バーンスタインが亡くなったのは、ニューヨークの自宅、ダコダ・ハウス。ここは、その10年前に、ジョン・レノンが射殺された場所でもある。
その後、ニューヨークを訪れる機会があり、移動のバスの車窓から、これがダコダ・ハウスです、と教えられ、ここが、バーンスタインとジョンが住んでいた、かつ亡くなった場所なのか、と大きな感慨を持って眺めたものだ。
その後、ニューヨークを訪れる機会があり、移動のバスの車窓から、これがダコダ・ハウスです、と教えられ、ここが、バーンスタインとジョンが住んでいた、かつ亡くなった場所なのか、と大きな感慨を持って眺めたものだ。
ところで、以下は余談。
天気が思わしくないらしいのが残念だが、楽しみだ。