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68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

「オーケストラ」を満喫~メータ=イスラエル・フィル

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1日(土)、大阪のザ・シンフォニーホールで、ズービン・メータ指揮、イスラエルフィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴いた。

かねてから、イスラエル・フィルの実演を聴きたいと思っていた妻の希望で行ったものだ。
今回の来日公演、東京でも3種類のプログラムでの演奏会が行われることは承知していたが、どうせなら、まだ行ったことがない、大阪のホールで、ということになった。
(もっとも、妻も私も、最近リニューアルしたフェスティバルホールでの公演と勘違いしており、チケットを購入してから、違うホールであることに気がついた(汗)。そうは言っても、東京で言えばサントリーホールに相当する、大阪を代表するコンサートホールだ。フェスティバルホールの方は、またの機会に考えたい)

●ズービン・メータ指揮 イスラエルフィルハーモニー管弦楽団 2014年日本公演

日 時 2014年11月1日(土) 18:00開場 19:00開演
会 場 ザ・シンフォニーホール
指 揮 ズービン・メータ
管弦楽 イスラエルフィルハーモニー管弦楽団
曲 目 ヴィヴァルディ 合奏協奏曲「調和の霊感」より
                   4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲ロ短調
     モーツァルト 交響曲第36番ハ長調リンツ
     チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調
     [アンコール]プロコフィエフ バレエ「ロメオとジュリエット」から「ティボルトの死」
              ストラヴィンスキー サーカス・ポルカ

ヴィヴァルディは、同じ「調和の霊感」の4番が当初予告されていたが、10番に変更された。急な変更だったようで、プログラム冊子の曲目解説も、別葉で挟み込まれていた。

我々の席は、2階CC列20番・21番。やや下手寄りからオケを見下ろす形の席を、ネット購入の際に、座席表から選んだ。

名だたるメータ、イスラエル・フィルの演奏会としては、少々残念な客入りだった。大阪でこれだと、続く三重、名古屋はどうなのか、余計な心配をしてしまう。

個人的には、メータもイスラエル・フィルも、実演では初めて聴く。
ホールも初めてだし、初めてづくしの演奏会となった。

冒頭のヴィヴァルディは、ヴァイオリンのソリスト4人が全員女性。一方、リピエーノは、チェンバロ以外全員が男性で、4・4・4・1・1の編成。対向配置。
チェロ以外は、全員が立っての演奏だった。

私は「調和の霊感」はほとんどなじみがない。LPレコード時代も含めて、音源は持っていないと思う。
ただ、この10番は、バッハが編曲しての4台のチェンバロのコンチェルトの方を聴いたことがあったので、個人的には曲目変更してくれてよかった。

妻が、「一番右のソリストがとても上手だった」と言っていた。

続いて、「リンツ」。

弦は、10・8・6・5・3の編成。

テンポは、2楽章が普通より少し速かった。逆に4楽章は、あまり速くなかった。

聴いた後に、何とも言えぬ味わいが身体の中に残る、そんなモーツァルトだった。

ブリリアントな演奏ではなく、メリハリのきいたシャキっとして演奏でもなく、しっとりとしたうるおいが音楽全体を覆っている、という感じであった。

こういうモーツァルトはあまり聴いたことがない。とても印象に残った。

休憩後のチャイ5、弦は、16・14・10・10・8の編成。

1楽章の序奏が終わり、8分の6になって、弦が8分音符で伴奏のきざみを弾くところは、全パートが、弓先で全部アップで弾いていた。こういうのは初めて見た。

曲が始まって、まず思ったのは、ヴィオラのすばらしさ。16型だから、本来は12人のところ、何故かチェロと同じ10人だったが、すごい存在感だった。音量も音色もすばらしかった。

曲全体を通じて感じたのは、集合体としてのオーケストラとは、こういうものか、ということだった。

特定のパートやセクションが、巧さをアピールするとか、突出するとかいうことがない。
木管のソロなどは、一つ一つを聴くと、結構主張のある吹き方なのだが、その部分だけが出過ぎているという感じがまったくない。
書くのが難しいのだが、例えばオーボエがソロを吹く時に、そこにスポットライトが当たったような感じを受け、目と耳がそちらに向く。ただ、そこだけが極度に目立つわけでもなく、あくまでオケ全体の中の一部、というあり方は堅持される。

「弦のイスラエル・フィル」と言われる弦も、びっくりするようにつややかで美麗な音だとか、鋼のように強靱な迫力だとかいう感じではない。
そういう、何か突出したものを感じさせはしないが、オケの中の弦セクションとして、とても魅力的ですばらしい音を出していた。

弦、管、各パートの連携が、サッカーで言う、無駄のない鮮やかなパス回しのような感じだった。

加えて、メータの指揮も、何か特別なことをするわけではなかった。
基本的には、インテンポ。チャイコフスキーだからと言って、テンポを伸縮させたり、要所でためたり、ということは、ほとんどなかった。
あっさりと、すっきりと音楽を進めて行った。

そういう指揮のもとで、オーケストラが、パート、セクションの集合体として、個々が突出せずに、一体となって連携しながら、音楽を作っている。
それも、本当にいい音で、いい響きで。
そういう演奏だった。

指揮者が、自己の解釈の独自性で聴かせるのでなく、音楽監督としてのメータが、長年のパートナーシップの中で、このような音楽ができるように、オケを導いてきた。そういう印象だ。
メータが誇りたいのは、「自分のチャイコフスキー」でなく、「自分のパートナーとしてのイスラエル・フィル」だ、と。

モーツァルトで感じた独特の味わいも、チャイ5で感じた魅力も、曲の違いはあれ、同じものが根底にあるからだと思う。

今、「オーケストラ」を満喫している。そう思いながら聴いた。

そうした意味では、チャイ5の中では、2楽章が圧巻だったと言える。

2楽章から3楽章、4楽章は、ほとんど間を空けずに演奏された、

尚、そうした、めったに聴けない、集合体としてのオケの魅力の中で、私のいた2階席からの聞こえ方では、全体のバランスからすると、やや弦に寄り過ぎているか、と感じた。特に弦の中でも、ファーストヴァイオリンは、もう少し控えめでもよかったかもしれない。
4楽章では、金管がもう少し出てくれても、と思った部分が、ところどころあった。

ただ、いずれにしても、長年聴き慣れたチャイコフスキーの5番を、本当に堪能した。

このオケで、5番もいいが、「悲愴」を聴いてみたい、と思った。
また、この弦で、マーラーの9番を聴いてみたい、と思った。
そして、このヴィオラで、ブラームスを何か聴いてみたい、と思った。

開演前から、ステージ右奥にハープやコントラファゴット、、ティンパニの左側に大太鼓や木琴などの打楽器が置かれていたので、何か、ハデな曲をアンコールでやるんだろう、と思っていた。

アンコールの2曲は、私は聴いたことがない音楽だった。
いずれも、上記の楽器も加わって、オケ全体が活躍する曲ではあるが、中でも弦をアピールしたい選曲なのかな、と思った。

メータは、ずっと暗譜で演奏してきたが、最後の「サーカス・ポルカ」だけ、譜面を見ての演奏だった。あれだけ、特に難しいんだろうか。

私がクラシック音楽を聴き始めた、1970年代前半、メータとクラウディオ・アバド、そして小澤征爾は、若手三羽烏と呼ばれ、カラヤンの後のベルリン・フィル音楽監督候補と言われていたものだ。

アバドが今年亡くなり、小澤さんも大病をしてから、なかなかかつての元気を取り戻せずにいる。

今回初めて生で見たメータも、舞台袖から指揮台まで往復する足取りは、決して壮健な感じを受けなかった。

しかし、是非またこのオーケストラと来日して演奏を聴かせてほしいものだ。