かねてから、イスラエル・フィルの実演を聴きたいと思っていた妻の希望で行ったものだ。
今回の来日公演、東京でも3種類のプログラムでの演奏会が行われることは承知していたが、どうせなら、まだ行ったことがない、大阪のホールで、ということになった。
(もっとも、妻も私も、最近リニューアルしたフェスティバルホールでの公演と勘違いしており、チケットを購入してから、違うホールであることに気がついた(汗)。そうは言っても、東京で言えばサントリーホールに相当する、大阪を代表するコンサートホールだ。フェスティバルホールの方は、またの機会に考えたい)
今回の来日公演、東京でも3種類のプログラムでの演奏会が行われることは承知していたが、どうせなら、まだ行ったことがない、大阪のホールで、ということになった。
(もっとも、妻も私も、最近リニューアルしたフェスティバルホールでの公演と勘違いしており、チケットを購入してから、違うホールであることに気がついた(汗)。そうは言っても、東京で言えばサントリーホールに相当する、大阪を代表するコンサートホールだ。フェスティバルホールの方は、またの機会に考えたい)
日 時 2014年11月1日(土) 18:00開場 19:00開演
会 場 ザ・シンフォニーホール
指 揮 ズービン・メータ
管弦楽 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
曲 目 ヴィヴァルディ 合奏協奏曲「調和の霊感」より
4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲ロ短調
モーツァルト 交響曲第36番ハ長調「リンツ」
チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調
[アンコール]プロコフィエフ バレエ「ロメオとジュリエット」から「ティボルトの死」
ストラヴィンスキー サーカス・ポルカ
会 場 ザ・シンフォニーホール
指 揮 ズービン・メータ
管弦楽 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
曲 目 ヴィヴァルディ 合奏協奏曲「調和の霊感」より
4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲ロ短調
モーツァルト 交響曲第36番ハ長調「リンツ」
チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調
[アンコール]プロコフィエフ バレエ「ロメオとジュリエット」から「ティボルトの死」
ストラヴィンスキー サーカス・ポルカ
ヴィヴァルディは、同じ「調和の霊感」の4番が当初予告されていたが、10番に変更された。急な変更だったようで、プログラム冊子の曲目解説も、別葉で挟み込まれていた。
我々の席は、2階CC列20番・21番。やや下手寄りからオケを見下ろす形の席を、ネット購入の際に、座席表から選んだ。
名だたるメータ、イスラエル・フィルの演奏会としては、少々残念な客入りだった。大阪でこれだと、続く三重、名古屋はどうなのか、余計な心配をしてしまう。
私は「調和の霊感」はほとんどなじみがない。LPレコード時代も含めて、音源は持っていないと思う。
ただ、この10番は、バッハが編曲しての4台のチェンバロのコンチェルトの方を聴いたことがあったので、個人的には曲目変更してくれてよかった。
ただ、この10番は、バッハが編曲しての4台のチェンバロのコンチェルトの方を聴いたことがあったので、個人的には曲目変更してくれてよかった。
妻が、「一番右のソリストがとても上手だった」と言っていた。
続いて、「リンツ」。
弦は、10・8・6・5・3の編成。
テンポは、2楽章が普通より少し速かった。逆に4楽章は、あまり速くなかった。
聴いた後に、何とも言えぬ味わいが身体の中に残る、そんなモーツァルトだった。
ブリリアントな演奏ではなく、メリハリのきいたシャキっとして演奏でもなく、しっとりとしたうるおいが音楽全体を覆っている、という感じであった。
こういうモーツァルトはあまり聴いたことがない。とても印象に残った。
休憩後のチャイ5、弦は、16・14・10・10・8の編成。
1楽章の序奏が終わり、8分の6になって、弦が8分音符で伴奏のきざみを弾くところは、全パートが、弓先で全部アップで弾いていた。こういうのは初めて見た。
曲が始まって、まず思ったのは、ヴィオラのすばらしさ。16型だから、本来は12人のところ、何故かチェロと同じ10人だったが、すごい存在感だった。音量も音色もすばらしかった。
曲全体を通じて感じたのは、集合体としてのオーケストラとは、こういうものか、ということだった。
特定のパートやセクションが、巧さをアピールするとか、突出するとかいうことがない。
木管のソロなどは、一つ一つを聴くと、結構主張のある吹き方なのだが、その部分だけが出過ぎているという感じがまったくない。
書くのが難しいのだが、例えばオーボエがソロを吹く時に、そこにスポットライトが当たったような感じを受け、目と耳がそちらに向く。ただ、そこだけが極度に目立つわけでもなく、あくまでオケ全体の中の一部、というあり方は堅持される。
木管のソロなどは、一つ一つを聴くと、結構主張のある吹き方なのだが、その部分だけが出過ぎているという感じがまったくない。
書くのが難しいのだが、例えばオーボエがソロを吹く時に、そこにスポットライトが当たったような感じを受け、目と耳がそちらに向く。ただ、そこだけが極度に目立つわけでもなく、あくまでオケ全体の中の一部、というあり方は堅持される。
「弦のイスラエル・フィル」と言われる弦も、びっくりするようにつややかで美麗な音だとか、鋼のように強靱な迫力だとかいう感じではない。
そういう、何か突出したものを感じさせはしないが、オケの中の弦セクションとして、とても魅力的ですばらしい音を出していた。
そういう、何か突出したものを感じさせはしないが、オケの中の弦セクションとして、とても魅力的ですばらしい音を出していた。
弦、管、各パートの連携が、サッカーで言う、無駄のない鮮やかなパス回しのような感じだった。
加えて、メータの指揮も、何か特別なことをするわけではなかった。
基本的には、インテンポ。チャイコフスキーだからと言って、テンポを伸縮させたり、要所でためたり、ということは、ほとんどなかった。
あっさりと、すっきりと音楽を進めて行った。
基本的には、インテンポ。チャイコフスキーだからと言って、テンポを伸縮させたり、要所でためたり、ということは、ほとんどなかった。
あっさりと、すっきりと音楽を進めて行った。
そういう指揮のもとで、オーケストラが、パート、セクションの集合体として、個々が突出せずに、一体となって連携しながら、音楽を作っている。
それも、本当にいい音で、いい響きで。
そういう演奏だった。
それも、本当にいい音で、いい響きで。
そういう演奏だった。
指揮者が、自己の解釈の独自性で聴かせるのでなく、音楽監督としてのメータが、長年のパートナーシップの中で、このような音楽ができるように、オケを導いてきた。そういう印象だ。
メータが誇りたいのは、「自分のチャイコフスキー」でなく、「自分のパートナーとしてのイスラエル・フィル」だ、と。
メータが誇りたいのは、「自分のチャイコフスキー」でなく、「自分のパートナーとしてのイスラエル・フィル」だ、と。
モーツァルトで感じた独特の味わいも、チャイ5で感じた魅力も、曲の違いはあれ、同じものが根底にあるからだと思う。
今、「オーケストラ」を満喫している。そう思いながら聴いた。
そうした意味では、チャイ5の中では、2楽章が圧巻だったと言える。
2楽章から3楽章、4楽章は、ほとんど間を空けずに演奏された、
尚、そうした、めったに聴けない、集合体としてのオケの魅力の中で、私のいた2階席からの聞こえ方では、全体のバランスからすると、やや弦に寄り過ぎているか、と感じた。特に弦の中でも、ファーストヴァイオリンは、もう少し控えめでもよかったかもしれない。
4楽章では、金管がもう少し出てくれても、と思った部分が、ところどころあった。
4楽章では、金管がもう少し出てくれても、と思った部分が、ところどころあった。
ただ、いずれにしても、長年聴き慣れたチャイコフスキーの5番を、本当に堪能した。
アンコールの2曲は、私は聴いたことがない音楽だった。
いずれも、上記の楽器も加わって、オケ全体が活躍する曲ではあるが、中でも弦をアピールしたい選曲なのかな、と思った。
いずれも、上記の楽器も加わって、オケ全体が活躍する曲ではあるが、中でも弦をアピールしたい選曲なのかな、と思った。
メータは、ずっと暗譜で演奏してきたが、最後の「サーカス・ポルカ」だけ、譜面を見ての演奏だった。あれだけ、特に難しいんだろうか。
アバドが今年亡くなり、小澤さんも大病をしてから、なかなかかつての元気を取り戻せずにいる。
今回初めて生で見たメータも、舞台袖から指揮台まで往復する足取りは、決して壮健な感じを受けなかった。
しかし、是非またこのオーケストラと来日して演奏を聴かせてほしいものだ。