この追加公演、バンドのメンバーは変わらず。園山(光博)さんは、今回も不参加だった。
2008年のツアーでの追加公演の場合、ツアータイトルが変更され、セットリストも大幅に変更された。
今回は、基本的には昨年と同じセットリスト。
今回は、基本的には昨年と同じセットリスト。
私が直前に行った武道館との比較では、本編序盤の「Re」が「グッバイ」に差し替えられ、2回目のアンコールの最後が、「生まれ来る子供たちのために」から「my home town」に差し替えられた。
mixiの関連コミュ情報では、前日の代々木では、「生まれ来る・・・」だったようだ。
mixiの関連コミュ情報では、前日の代々木では、「生まれ来る・・・」だったようだ。
ほぼ3ヶ月半ぶりなので、ああ、こういう曲順だったっけ、などと思いながら聴いた。
「二人」の後のMCで、こんな話があった。
「新しいアルバムを制作して、ツアーに出て、ライブで何度も演奏している内に、音楽がこなれていく。そうした後に、改めてアルバムを聴いてみると、こんな歌を歌っていたのか、などと後悔することが多い。理想を言うなら、皆さんがまったく知らない曲を、ライブで先にさんざん演奏し、その後、ライブアルバムの形でオリジナルアルバムとして発表するのが良い」。
なかなか興味深く、またなるほどと思う話だった。
「新しいアルバムを制作して、ツアーに出て、ライブで何度も演奏している内に、音楽がこなれていく。そうした後に、改めてアルバムを聴いてみると、こんな歌を歌っていたのか、などと後悔することが多い。理想を言うなら、皆さんがまったく知らない曲を、ライブで先にさんざん演奏し、その後、ライブアルバムの形でオリジナルアルバムとして発表するのが良い」。
なかなか興味深く、またなるほどと思う話だった。
個人的には、昨年のツアーの記事にも書いたが、「彼方」は、アルバムに収められた演奏よりも、ライブでの方が、ずっと重厚感があり、この曲にはふさわしいように思う。
聴く側の立場からで言うと、今次ツアー、初日の和歌山だけが、アルバム「小田日和」発売前の公演だった。この初日に行って、アルバムで聴く前に、初めて聴く曲に多く接することができたのは、貴重だったと思う。
(あ、ついでに書いておくと、このMCの中で、「ツアー」の発音の話も出た。「今の若い人たちは、「ツ/アー」(アの方が高い)って言う。俺たちの時代は「ツ\アー」だった」と。ちなみに私は前者です)
今回、ピアノはヤマハ。
今回、非常に広い会場なので、花道も長く、小田さんの総移動距離も相当なものだった。走ることが減ったのは、幕張での事故の影響と、さすがに年齢か。しかし、終盤はずいぶん走っていた。
ちょっと特徴的だったのは、アリーナに下りる場面が非常に少なかったことだ。階段は設けられていたのだが、何故だったんだろう。
それにしても、改めて思ったが、その都度、規模も構造も異なる会場に一つ一つ合わせて、照明、音響、花道等々を設営するのは、相当に大変なことだろう。
オペラハウスや、劇団四季劇場などのように、常設の小屋に、固定したプロダクションを用意して客を待つ、というのとは正反対の運営だ。
現地単品生産は、建設産業の特性だが、まさにこれも建設業。
オペラハウスや、劇団四季劇場などのように、常設の小屋に、固定したプロダクションを用意して客を待つ、というのとは正反対の運営だ。
現地単品生産は、建設産業の特性だが、まさにこれも建設業。
「Yes-No」は、イントロのアレンジが変更されたように思った。
本編最後のMCでは、「昔、好きだったような歌をまた書きたい。2つでも3つでも書けたら、またみんなの前で歌いたい」という話をした。
「最後から二番目のアルバム」と称される「小田日和」だが、次のアルバムへの期待が持たれる。
「最後から二番目のアルバム」と称される「小田日和」だが、次のアルバムへの期待が持たれる。
上にふれたMCは、今回の代々木で初めて聞くものだった。
それ以外は、毎回必ず話すものも多かった。その一つが、アンコールで「もっと近くに」を歌う前の、オフコースの話。
若気の至りで、バンドがうまくいかなくなり、何とか立て直したくてこの曲を書いた。しかし結局は解散していった、という話だ。
前にも書いたが、何故小田さんが、わざわざこの話をするのか、いまだにわからない。いきなり演奏しても別にいいと思うのだが、この前置きを必ずするのは、やはり小田さんにとって、何かの思いがあるのだろう。
それはさておき、もう一つ気になるのは、このMCで、「がんばったけど、結局解散することにした」と話す下りで、私が行ったほとんどの会場では、客席から笑いが起きることだ。
個人的には、あの時期、解散の通知に驚き、万感の思いで最後のツアーに接し、さらに最後の最後、あの東京ドームの解散公演で涙した。
今でも忘れられないそうした思いからすると、このMCで、解散の下りになると、どっと沸く、というのが、何ともやるせない。
若気の至りで、バンドがうまくいかなくなり、何とか立て直したくてこの曲を書いた。しかし結局は解散していった、という話だ。
前にも書いたが、何故小田さんが、わざわざこの話をするのか、いまだにわからない。いきなり演奏しても別にいいと思うのだが、この前置きを必ずするのは、やはり小田さんにとって、何かの思いがあるのだろう。
それはさておき、もう一つ気になるのは、このMCで、「がんばったけど、結局解散することにした」と話す下りで、私が行ったほとんどの会場では、客席から笑いが起きることだ。
個人的には、あの時期、解散の通知に驚き、万感の思いで最後のツアーに接し、さらに最後の最後、あの東京ドームの解散公演で涙した。
今でも忘れられないそうした思いからすると、このMCで、解散の下りになると、どっと沸く、というのが、何ともやるせない。
セカンドアンコールの「hello hello」では、歌いながら、アリーナ後方の、花道から遠い一角を歩いてまわった。
その後、たぶん「生まれ来る・・・」だろうと思ったら、「my home town」が歌われた。
横浜の公演では、歌われることが多いと聞くが、個人的にはずいぶん久しぶりに聴いた。
私が行った公演だと、2008年の追加公演、東京ドームで歌われている。その前だと、2002年の「kirakira」ツアーまでさかのぼる。
ピアノの弾き語りで始まり、やがて、バンドのトゥッティに至るアレンジは、ダイナミックでインパクトがあった。
横浜の公演では、歌われることが多いと聞くが、個人的にはずいぶん久しぶりに聴いた。
私が行った公演だと、2008年の追加公演、東京ドームで歌われている。その前だと、2002年の「kirakira」ツアーまでさかのぼる。
ピアノの弾き語りで始まり、やがて、バンドのトゥッティに至るアレンジは、ダイナミックでインパクトがあった。
これまで同様、ほぼ3時間で終演。
この代々木体育館は、客ハケが非常にスムーズな構造になっているようで、規制退場もなく、すんなりと表に出られた。
八重洲に移動して、適当に入った店で、飲んだ。
さて、今次ツアー、広島が不戦敗だったとは言え、この代々木で6回の参戦となった。
同一ツアーの参戦回数としては、オフコース時代も含めて、たぶん、過去最多。
(妻は、武道館が2日とも風邪で不戦敗だった。この代々木は、新潟以来となる)
同一ツアーの参戦回数としては、オフコース時代も含めて、たぶん、過去最多。
(妻は、武道館が2日とも風邪で不戦敗だった。この代々木は、新潟以来となる)
何度も聴いた今回のセットリストで、特によかったのは、「二人」、「明日」、「その日が来るまで」、「風と君を待つだけ」、「彼方」、「hello hello」。
「小田日和」10曲の中では、やはり「二人」と「彼方」かな。
以下は余談。
MCの中で、小田さんが、この追加公演については、色々なストーリーがありまして、というようなことをちらっと言った。何か言いたげだが飲み込んだ、という感じだった。
妻との間でその話題になった。
2008年の追加公演とは、何か違うところがある。
スポンサーの明治安田生命との関係で、何かのいきさつがあったのではないか。
そう考えると、この日の公演でいくつか気がつくところもある。
そんな話を妻とした。
推測憶測の世界なので、ここには書かないが、小田ツアーに通い慣れた身からすると、ちょっと感ずるところがあったのも事実ではある。
MCの中で、小田さんが、この追加公演については、色々なストーリーがありまして、というようなことをちらっと言った。何か言いたげだが飲み込んだ、という感じだった。
妻との間でその話題になった。
2008年の追加公演とは、何か違うところがある。
スポンサーの明治安田生命との関係で、何かのいきさつがあったのではないか。
そう考えると、この日の公演でいくつか気がつくところもある。
そんな話を妻とした。
推測憶測の世界なので、ここには書かないが、小田ツアーに通い慣れた身からすると、ちょっと感ずるところがあったのも事実ではある。
※小田和正公式サイト Far East Cafe
http://www.fareastcafe.co.jp/
※ツアー特設サイト
http://www.k-oda2014.com/index.html
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