●小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅧ
日 時 2015年3月24日(火) 18:00開場 19:00開演
会 場 東京文化会館大ホール
曲 目 ベートーヴェン 交響曲第2番ニ長調
ラヴェル 歌劇「子どもと魔法」
指 揮 ナタリー・シュトゥッツマン(ベートーヴェン)
小澤征爾(ラヴェル)
管弦楽 小澤征爾音楽塾オーケストラ
会 場 東京文化会館大ホール
曲 目 ベートーヴェン 交響曲第2番ニ長調
ラヴェル 歌劇「子どもと魔法」
指 揮 ナタリー・シュトゥッツマン(ベートーヴェン)
小澤征爾(ラヴェル)
管弦楽 小澤征爾音楽塾オーケストラ
上野の文化会館で演奏会を聴くのは、久しぶりだ。
私が若い頃は、まだサントリーホールはなく、クラシックの演奏会と言えば、この文化会館かNHKホールが中心で、独身寮が浦和にあったため、上野駅が会社の帰り道だったこともあり、ここにはずいぶん通い詰めたものだ。
それから、思ってみれば、小澤さんの実演を聴くのも、ずいぶん久しぶりだ。
昔は、小澤さんの演奏会にもしょっちゅう行ったものだが、前回聴いたのは、いつのことだっただろう。正月に、サイトウ・キネンでマーラーの2番を聴いたが、まさかあれが最後だっただろうか。
昔は、小澤さんの演奏会にもしょっちゅう行ったものだが、前回聴いたのは、いつのことだっただろう。正月に、サイトウ・キネンでマーラーの2番を聴いたが、まさかあれが最後だっただろうか。
客席に着く。2階1列の3番。2階正面最前列の一番左だ。
満員ではない。私の右隣2つも空席だったし、1階にも結構空席が散見された。
満員ではない。私の右隣2つも空席だったし、1階にも結構空席が散見された。
小澤さんでも、とちょっと驚く。これが、サイトウ・キネン・オーケストラとかだったら違うのだろうか。
まず、ベートーヴェンの2番。
シュトゥッツマンが指揮をする、というのは、今回の演奏会まで知らなかった。
この曲の2楽章は、福永陽一郎氏だったと思うが、ワルター指揮の実演で聴いて、涙が止まらなくなった、と書かれていたのを読んだ記憶がある。
確かに美しい音楽だ。4日前に聴いた、スプリング・ソナタ同様、こわもてのベートーヴェンの、別の一面がある。
確かに美しい音楽だ。4日前に聴いた、スプリング・ソナタ同様、こわもてのベートーヴェンの、別の一面がある。
2楽章が終わったところで、オケのメンバーが突然立ち上がって、弦も管も席替え。
ヴァイオリンは、ファーストとセカンドが入れ替わったり、他のパートも前後で交替していた。管も、正規奏者とアシスタントが交替していた。
ヴァイオリンは、ファーストとセカンドが入れ替わったり、他のパートも前後で交替していた。管も、正規奏者とアシスタントが交替していた。
1楽章、4楽章のテンポは速かった。
指揮者が、おそらく楽譜にはない、クレッシェンド、ディミヌエンドを追加していたように思われた。
引き締まったダイナミックなベートーヴェンだった。
休憩の間、オケはピットにもぐった。
下手舞台袖から、コンコンコン、と何かを叩く音がして、小澤さんが登場。小澤さんのオペラを聴くのは、初めてだ。
小澤さんは、この「子どもと魔法」を、2013年に、松本でのフェスティバルで演奏しており、CDもリリースされている。
その時とは、演出、装置は別の人のようだ。
その時とは、演出、装置は別の人のようだ。
緞帳が上がると、思っていたより本格的な舞台装置だった。舞台左右に日本語の字幕。
ラヴェルの音楽は、学生時代から好きで、色々な作品を聴いてきたが、この「子どもと魔法」については、あまりなじみがないまま今日まで来てしまった。
こうして実演でじっくり聴いてみると、やはり、あのラヴェルの音楽だ。
CDで音を聴くだけでなく、実演だと視覚要素も加わるので、理解が深まる。
それにしても、ラヴェルは、何と精緻で美しく、幻想的な、すばらしい音楽を書いたのだろうか。
それから、ベートーヴェンの後に聴くラヴェルは、同じオーケストラ音楽でも、ずいぶん違うと感じる。
ベートーヴェンが、一つの塊としての音楽であるのに対して、ラヴェルは、多彩なパレットから、必要な時に必要な音だけ取り出して使う、という感じがする。
ベートーヴェンが、一つの塊としての音楽であるのに対して、ラヴェルは、多彩なパレットから、必要な時に必要な音だけ取り出して使う、という感じがする。
子供が、最後に「ママ」と呼ぶ幕切れ、その母親が出てくればいいのに、と思った。
小澤さんは、たいそう元気そうに見えた。指揮台には椅子が置いてあったが、立って指揮する場面が多かった。
先日、水戸室内管弦楽団の演奏会で、ベートーヴェンのシンフォニーを振った時には、楽章間で椅子に座って休み、水を飲んでいたと聞いたので、まだそこまでの快復なのか、と思っていたが、この日の公演では、繰り返されるカーテンコールにも、確かな足取りで応じていたし、安心した。