ピエール・ブーレーズが亡くなった。
クラシック音楽聴取歴の中での存在感が大きかったからだろう。
私が、それまでなじみの薄かったクラシック音楽を聴こうと思ったのが、1971年、高校1年の秋だった。
少しずつクラシックのレコードを集めていこうと思い立ち、最初に買おうと思ったのが、「運命」と「第九」だった。
どの指揮者の盤を買うか、周囲の色々な人に相談したのだが、ちょうどその頃に話題となっていたのが、ブーレーズがニュー・フィルハーモニア管を指揮した「運命」だった。
極度にテンポが遅いことと、3楽章をA-B-A-B-Aの形で繰り返したことが、物議を醸していた。
「変わった演奏」は、初心者向けではないだろう、というアドバイスもあって見送り、この時は、フルトヴェングラーのレコードを買った。
(ブーレーズの「運命」を購入したのは、それから10年後、1981年のこと。私にとって8種目の「運命」のレコードだった)
(ブーレーズの「運命」を購入したのは、それから10年後、1981年のこと。私にとって8種目の「運命」のレコードだった)
私が、ピエール・ブーレーズという名前を知ったのは、たぶんこの「運命」のレコード検討の時が最初であり、ほどなくして、当時発売されて、こちらは大評判だった、クリーヴランド管との「春の祭典」のレコードのことも知ったと記憶する。
こんなふうに、ブーレーズは、まず指揮者として高校時代の私の視野に入ってきた。
その後、彼が前衛作曲家で、クラシック音楽の指揮にも参入してきた存在であることを知った。
「歌劇場を爆破せよ」などの、過激な発言でも知られていた。
また、当時既に発売されていた一連のドビュッシーの演奏や、前記の「春の祭典」などは、それまでの演奏にはなかった精密さ、明晰さがあると評されており(「レントゲン写真を見るような演奏」などと言われていた)、伝統的な職業指揮者になしえぬものであるとのイメージがあった。
私は、ブーレーズについては、結局、実演にはふれずじまいだったので、もっぱらレコードを通じて、彼の指揮、彼の作品にふれてきた。
(1995年に行われた「ブーレーズ・フェスティバル」に行かなかったのが、今でも心残りだ)
(1995年に行われた「ブーレーズ・フェスティバル」に行かなかったのが、今でも心残りだ)
かなりの数のレコードを聴いてきたが、個人的には、90年代に入ってから、ドイツ・グラモフォンに再録音した一連のものよりも、60年代、70年代にCBSソニーからリリースされた、若い頃の演奏の方が、強く印象に残っている。
特に挙げるとすれば、ラヴェル。ラヴェルシリーズの3作目としてリリースされた、ニューヨーク・フィルとのマ・メール・ロワ全曲、古風なメヌエット、ラ・ヴァルスの1枚は、アルバムとしての曲目構成もよく、一番何度も繰り返し聴いたレコードだ。
また、クリーヴランド管との「ダフニスとクロエ」第2組曲、亡き王女のためのパヴァーヌも忘れがたい。「ダフニス」はまさに明晰そのものの演奏。そして、「パヴァーヌ」は、絶対的な名盤と言われるクリュイタンス盤よりも、ずっと私にはフランス的でありフィットする演奏だった。
この休みには、改めて、ブーレーズの遺した録音のいくつかを、聴いてみよう。