naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

ブーレーズ逝去

ピエール・ブーレーズが亡くなった。

ツイッターをチェックしていたら、フォローしている方々から、「ブーレーズ死去」とのツイートが、相次いでたくさんアップされた。

90歳ということだから、年齢的にはやむを得ないところだが、私個人にとっては、一昨年の、アバドマゼールの逝去よりは、ちょっと重いところがある。

クラシック音楽聴取歴の中での存在感が大きかったからだろう。

私が、それまでなじみの薄かったクラシック音楽を聴こうと思ったのが、1971年、高校1年の秋だった。

少しずつクラシックのレコードを集めていこうと思い立ち、最初に買おうと思ったのが、「運命」と「第九」だった。

どの指揮者の盤を買うか、周囲の色々な人に相談したのだが、ちょうどその頃に話題となっていたのが、ブーレーズがニュー・フィルハーモニア管を指揮した「運命」だった。

極度にテンポが遅いことと、3楽章をA-B-A-B-Aの形で繰り返したことが、物議を醸していた。

「変わった演奏」は、初心者向けではないだろう、というアドバイスもあって見送り、この時は、フルトヴェングラーのレコードを買った。
(ブーレーズの「運命」を購入したのは、それから10年後、1981年のこと。私にとって8種目の「運命」のレコードだった)

私が、ピエール・ブーレーズという名前を知ったのは、たぶんこの「運命」のレコード検討の時が最初であり、ほどなくして、当時発売されて、こちらは大評判だった、クリーヴランド管との「春の祭典」のレコードのことも知ったと記憶する。

こんなふうに、ブーレーズは、まず指揮者として高校時代の私の視野に入ってきた。

その後、彼が前衛作曲家で、クラシック音楽の指揮にも参入してきた存在であることを知った。

「歌劇場を爆破せよ」などの、過激な発言でも知られていた。

また、当時既に発売されていた一連のドビュッシーの演奏や、前記の「春の祭典」などは、それまでの演奏にはなかった精密さ、明晰さがあると評されており(「レントゲン写真を見るような演奏」などと言われていた)、伝統的な職業指揮者になしえぬものであるとのイメージがあった。

その後、大学に入学した1974年の秋、ニューヨーク・フィルの来日公演があり、ブーレーズは、常任指揮者として、前任のバーンスタインとともに、やってきた。

この時は、バーンスタインの公演を2回(マーラー5番、エロイカ他)聴いたが、ブーレーズの公演には行かなかった。

2年後の1976年、バイロイト音楽祭の100周年に、「リング」を指揮したが、この時は、パトリス・シェローの演出が話題となったことと共に、記憶に強く残っている。

私は、ブーレーズについては、結局、実演にはふれずじまいだったので、もっぱらレコードを通じて、彼の指揮、彼の作品にふれてきた。
(1995年に行われた「ブーレーズ・フェスティバル」に行かなかったのが、今でも心残りだ)

かなりの数のレコードを聴いてきたが、個人的には、90年代に入ってから、ドイツ・グラモフォンに再録音した一連のものよりも、60年代、70年代にCBSソニーからリリースされた、若い頃の演奏の方が、強く印象に残っている。

特に挙げるとすれば、ラヴェルラヴェルシリーズの3作目としてリリースされた、ニューヨーク・フィルとのマ・メール・ロワ全曲、古風なメヌエット、ラ・ヴァルスの1枚は、アルバムとしての曲目構成もよく、一番何度も繰り返し聴いたレコードだ。

また、クリーヴランド管との「ダフニスとクロエ」第2組曲、亡き王女のためのパヴァーヌも忘れがたい。「ダフニス」はまさに明晰そのものの演奏。そして、「パヴァーヌ」は、絶対的な名盤と言われるクリュイタンス盤よりも、ずっと私にはフランス的でありフィットする演奏だった。

この休みには、改めて、ブーレーズの遺した録音のいくつかを、聴いてみよう。