とうとう・・・、と思った。
老衰とのことだ。
この連載は、数ヶ月ごとに掲載されるとのことだった。2回目が、最新号である6月号に掲載されたので、おそらくこれが最後の原稿になったと思われる。
この新連載、2回とも、ご自身の健康状態についてふれられている。硬膜下血腫の手術をされたそうで、足腰が弱って外出は車椅子になってしまったことなどが書かれている。
宇野氏には、長くお世話になってきた。
そう思って、最初に買ったクラシックのレコードが、フルトヴェングラーの「運命」「第九」の2枚組だったが、そのライナーノートが宇野氏だった。
フルトヴェングラーの「第九」、最後のプレスティッシモについて、「ここは人類が神の前に進み出ていくところであり、音楽を超えているのだから、さすがのベートーヴェンもそこから先は書けなかった。フルトヴェングラーの超快速なテンポこそが正しい」、「他の指揮者は交通整理をしているだけ」などと書いていたのを、今でもおぼえている。
当時、宇野氏は、レコ芸では協奏曲の月評を担当されていたが、時に過激な表現も辞さない、はっきりとした論調で、私には参考になった。
宇野氏の批評や著書を読み重ねるにつれて、氏がほめる、あるいはけなす演奏なら、こうだろう、と大体見当がつくようになった。
批評の内容が自分の感性と合うかどうか、という点では、宇野氏は私にとってベストワンの存在ではなかったが、直前までレコ芸で健筆をふるっておられたし、著書が多かったこともあり、クラシックを聴き始めてから45年近くの期間で、最も重要な評論家であったことは間違いない。
1930年、昭和5年生まれの86歳。母と同い年だ。信頼してきた音楽評論家が、一人また一人と鬼籍に入っていくようになり、宇野氏もいつかは、と頭にはあった。
いつかは来る日がとうとう来てしまった、という感じだ。
このムックは、完成出版に至るのだろうか。
宇野さん、長い間、ありがとうございました。