naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

「労務者とは云え」

昨16日(水)、風呂に入りながら、ラジオでFM放送をつけたら、なぎら健壱さんが歌っていた。

歌われた1曲に、路上に倒れた労務者を歌ったものがあった。

私には、初めて聴く曲だったが、曲中、「労務者といえども」という歌詞が繰り返し出てくるのが、耳にひっかかった。

労務者だが、人が一人死んだのだ、というような歌詞だった。

これって、何か差別的じゃないか、との印象を受けた。

「犬だって生き物で、人間同様に命は大切で尊い」みたいな感じに聞こえたのだった。
(この言い方自体、犬を大切に飼われている方には不快なのだろうが)

聴き進むと、その労務者を競走馬になぞらえるような歌詞も出てきた。

なぎらさんの「悲惨な戦い」が、かつて放送禁止になったことは有名だが、この歌って、問題にはならないんだろうか。

でも、今の時代に、ラジオでオンエアされているんだよなー。

ネットで、歌詞を調べてみた。

   『労務者とは云え』

      1、ある日街を歩いていたら 年寄りの労務者が倒れてた
        冷たい歩道に仰向けになり 一晩以上もそのままらしい
        労務者とは云え 人ひとり死ぬ
        誰も歌わぬ 悲しみの歌 誰も看取らぬ その亡骸 
        労務者とは云え 人ひとり死ぬ

      2、新聞紙1枚顔に被せて 道をベッドに石枕
        顔に刻んだつらい道のり 一握りのばら銭が彼の財産
        労務者とは云え 人ひとり死ぬ
        誰も歌わぬ 悲しみの歌 誰も看取らぬ その亡骸 
        労務者とは云え 人ひとり死ぬ

      3、衰えかかる命を知るとは 穴から空をのぞくようなものさ
        脚を痛めた競馬の馬が 小屋で死ぬのを待つようなものさ
        労務者とは云え 人ひとり死ぬ
        誰も歌わぬ 悲しみの歌 誰も看取らぬ その亡骸 
        労務者とは云え 人ひとり死ぬ

         (なぎらさんは、「労務者と云えども」と歌っていたように記憶する)

歌詞だけでなく、関連情報もヒットした。

この歌、ボブ・ディランの作詞作曲なのだそうだ。まったく知らなかった。

「オンリー・ア・ホーボー」(Only a Hobo)という歌で、Wikipediaによると、「ある日、街角を歩いているとき、老いたホーボー(放浪者)が建物の玄関前でうつ伏せに倒れているのを見かけた歌い手が、落命したその放浪者のようすを同情的に歌詞に描く」とされている。

これを高石友也さんが、和訳したのが上の歌詞。彼は、訳詞にあたり、当時、釜ケ崎で労務者4人が凍死した事件に示唆を受けたとしているそうだ。

そういうことなんだ。

まず、わかったのは、なぎらさんは、カバーとして歌っていること。

また、元歌が日本の歌でないこと。

そして、和訳にあたっては、原詞の浮浪者が、労務者に翻案されていること。

建設業に身を置く者として、耳に入ってきたこの歌詞がひっかかったのは、何か、「労務者」というものを低く見る視点が感じられたからだった。

しかし、つまり、日本のその時代を背景としたものと捉えれば、別なのかもしれない。差別的な意図は、そこにはないのかもしれない。

そう思った。

だから、今に至るまで、こうして歌われているのだろう。差別どころか、むしろある時代を語り継ぐ歌として。

ボブ・ディランノーベル文学賞決定の過程で、この曲は話題にのぼったのだろうか。